おかしな二人 ~岡嶋二人盛衰記~
井上 夢人
井上夢人という名前よりも「岡嶋二人の片割れ」といったほうが通りが良いかもしれない。
コンビ解散から二十年たった今でも。
岡嶋二人は、井上夢人(当時の名は井上泉)と徳山諄一によるコンビ作家のペンネーム。1982年にミステリ小説の権威である江戸川乱歩賞を受賞してデビュー、二十作以上のミステリ小説を世に送りだし、1989年にコンビ解散。
コンビ作家というと海外だとエラリー・クイーンが有名だが、日本の小説界ではめずらしい。
ぼくは岡嶋二人の他に知らない。逆に栗本薫/中島梓のような一人二役の作家はけっこういるけどね。
漫画や絵本だとストーリー担当・作画担当のように役割分担をしやすいのでさほどめずらしくないが、小説だとそこまではっきりと役割がわかれないからね。
岡嶋二人の場合は「アイデアと執筆担当(井上)」と「アイデア担当(徳山)」と、はじめから偏ったバランスのコンビだったので、いずれ破綻をきたすことは必然だったのかもしれない。
けれど、それにしては長くもったほうなんじゃないだろうか(乱歩賞初挑戦から解散までで考えると十二年)。
これを読むと、徳山諄一という人物はずいぶん大物だとおもう。
二人して一生懸命築きあげてきたものを、片方が飽きてしまったからといって壊そうとする。
そこですぐに「じゃあ、何かほかのヤツを考えよう」と言えるだろうか。ぼくなら言えない。「ふざけるなよ!」と喧嘩になるとおもう。
けれど徳山氏はあっさり折れる。自分の意見を表には出さずに。
しかも徳山氏は井上氏より七歳年上なのだ。
よほどの大人物なのか、それともこだわりがないだけなのか。
この姿勢こそが、岡嶋二人がうまくいった秘訣であり、同時に解散の原因でもあったと井上氏は書いている。
このくだりを読んで、ユウキロック『芸人迷子』という本を思いだした。
人気漫才コンビ・ハリガネロックの結成から解散までをつづった自伝小説だ。
この本の中で、ユウキロックさんは「相方である大上が自分から動いてくれることをずっと期待していた」とくりかえし書いている。
ネタを考えるのも自分、演出も自分、コンビとして次に何をするかを決めるのも自分。何を言っても相方は逆らわない。黙って自分についてきてくれる。
だがユウキロックさんにとってはそれが不満だった。ときには意見がぶつかりながらも切磋琢磨しあう関係でいたい。
結局、大上さんは「相方に従う」という姿勢を変えることはなく、ハリガネロックは解散した……。
岡嶋二人というコンビも、ハリガネロックに似た関係だったのだろう。
一方がイニシアティブをとってもう一方がついてきてくれるからこそうまくいき、そういう関係だったからこそ一方の不満が高まれば溝は深まっていくばかり。
井上さんも「徳さんはぼくの意見に反論してこない」ことを再三不満点としてあげている。
ずいぶん勝手な話だ。でも、その気持ちもわかる。
こっちは「意見をぶつけあいたい。ときには衝突してもいいから」とおもい、でも相手は「喧嘩になるのはイヤだから折れる」。
どちらの気持ちもよくわかる。
よく漫才師は夫婦に例えられるけど、コンビ作家も夫婦みたいなものなのだろう。
特に、江戸川乱歩賞受賞~コンビ解散を描いた『衰の部』を読むと、離婚してゆく夫婦の顛末を読んでいるような気になる。
お互いに意見をぶつけあうことで喧嘩しながらもやっていく夫婦もあれば、喧嘩がこじれて別れてしまう夫婦もある。
一方が相手に従うことで波風を立てずにやっていける夫婦もあれば、一方が我慢しすぎたせいで耐えられなくなって離婚してしまう夫婦もいる。
どちらが正解ということもない。
けれど別れてしまう。一度はうまくいった二人なのに。
悲しい。
失恋の経緯を読んでいるような気分になった。
ぼくは中高生のとき、岡嶋二人の本を読んだ。十冊は読んだとおもう。
ぜんぶ古本屋で買ったものだけど(なにしろぼくが岡嶋二人を知ったときには解散してから何年も経っていたのだから)。
正直、岡嶋二人作品のことはなにひとつおぼえていない。
競馬を題材にしたものがあったな、とか、孤島での誘拐だか殺人だかの話があったような、とかその程度。
でも何作も読んでいるわけだから、おもしろくなかったわけではないはずだ。
ミステリ小説なんてそれでいい。そのときおもしろければいいのだ。
岡嶋二人作品は安定して高い水準にあった。二人で話しあって作られたのだから、一人で作るものよりも精緻なものになっただろう。
ただし、後々まで記憶に残るような派手さや粗っぽさはなかった。それもまた共作の過程で削りとられてしまったのかもしれない。
岡嶋二人作品はディズニー作品に似ている。あっと驚く意外性はないが、はずれもない。何を読むか迷ったときにとりあえず手に取っておいてまちがいはない。
その「平均点以上の佳作」を生みだし続けるためにどれほどの苦労があったのか。
この本を読むまでは、まったく想像しなかった。
はじめにこのくだりを読んだとき、「何をおおげさな」とおもった。
いくらなんでも、二十作以上の作品を世に出した人気ミステリ作家が(しかもそのうち何作かは権威ある賞も受賞している)、「デビューと同時に、そのクライマックスを終えたのだ」だなんてまさか。
けれど、最後まで読んだ今ならわかる。
この言葉は、少なくとも井上夢人氏にとっては本心なのだと。
乱歩賞を受賞するためにコンビを結成し、小説を書いたことすらない状態から試行錯誤をくりかえして乱歩賞を受賞、そしてデビュー後は時間的制約のせいで思うような形での共作ができなくなった岡嶋二人にとっては、まさに受賞した瞬間がピークだったのだろう。
『おかしな二人』には井上氏側の言い分しか書かれていないが、部外者として読んでいると「まあ解散にいたったのはどっちにも問題があったからなんだろうな」とおもう。
けれど、最大の原因は締め切りに追われていたことなんじゃないだろうか。
時間がなかったから、デビュー前のようにお互いが納得のいくまで話しあうという作り方ができなくなった。
もしも「年に一作だけ小説を発表していればいい」という状況だったなら、岡嶋二人は今でもコンスタントにレベルの高いミステリ小説を発表しているコンビ作家だったんじゃないかとおもう。
そうおもうと、二人の破局に至る経緯がますますもって悲しく感じる。
もしも岡嶋二人が今でも活動していたなら、今頃コンビ作家はもっと増えていたかもしれないなあ。
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