ユウキロック 『芸人迷子』
第1回M-1グランプリで2位、ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞、上方漫才大賞新人賞など華々しい道を歩みながら、2014年に解散した漫才コンビ「ハリガネロック」のユウキロックさんによる回想録。
決してうまい文章ではない。でも、だからこそものすごい熱が伝わってくる。
もがき苦しみ、周囲をまきこみながらのたうちまわり、そして今でも答えは出ていない苦悩がびんびんと伝わって。
ぼくは中学生のとき、『すんげー!Best10』という深夜番組が大好きで、毎週欠かさず観ていた。
今はなくなった大阪の2丁目劇場に所属していた芸人たちが出てきて、漫才やコントを披露し、お客さんの投票でランキングするという番組。コンビの垣根を越えたユニットでのネタも披露されるのが特徴だった。
『オンエアバトル』の放送がまだ始まっていない時代の、ほとんど唯一といっていいネタ番組だった(関西ローカルだったけど)。
そこに、あるときから急に出てきたのがハリガネロックというコンビ。
ハリガネロックの印象は鮮烈だった。
急に出てきたと思ったら、並みいる人気芸人をおさえて1位を連発。
鋭い舌鋒とテンポのよいネタ運びであっというまに客をつかみ、しばらくは「ハリガネロックが出たら1位」という状態が続いていた。
その番組だけでなく、関西の有名な漫才の大会でも次々に優勝。賞レースでハリガネロックが負けるのを見たことがなかった。
2001年にはじまったMー1グランプリでも当然のように決勝進出して、同期の中川家に敗れて2位。
敗れはしたものの十分なインパクトを残し、当然ながら「来年こそはハリガネロックが……」と期待されていた。
ところがそのあたりから風向きが変わる。
M-1グランプリがそれまでの漫才の大会と一線を引いていたのは「積極的に新しいものを評価しにいった」ことだった。
それまでの大会や番組は「いちばんウケているものがいちばん」だった。審査員は、一線を退いた大御所漫才師だったり、新聞社やテレビ局のおじいちゃんだったり(今も変わってないけど)。審査員も結局、客席の女子高生やおばちゃんがいちばん笑ったコンビに投票する、という感じだった。
ところがM-1グランプリは、現役最前線で活躍中の芸人や、一時代を築いた漫才師が審査員。第1回にはあった客席審査員制度が第2回からなくなったことからもわかるように、「客のウケ」よりも「プロから観ておもしろいか」に審査の重きが置かれていた。
初期の大会は、当時まだ無名だった麒麟、笑い飯、千鳥、POISON GIRL BAND、南海キャンディーズを決勝に上げるなど、「ベタな笑いをテクニックで見せる」漫才よりも「技術はつたなくても未知の発想をとりいれた」漫才が高く評価されていた。
そして、そのあおりをもろに喰らったのがハリガネロックだったように思う(あとルート33も)。
ハリガネロックは、笑いはとれるけれどこれといって新しいものは持っていなかった。
テンポのよいしゃべりも、周囲に毒づいてゆくスタイルも、一見アウトローなビジュアルも、コンビで息を合わせたツッコミも、とっくに確立されていた手法だった。
今にして思えば「新しいものがなくても笑いがとれる」というのはすごいことなんだけど、当時はそれが認められる風潮じゃなかった。
(その流れを引き戻したのが、新しい武器を持たずにM-1グランプリを制したブラックマヨネーズだった。それ以降は「ウケの量」=「点数」の傾向が強くなる。ブラックマヨネーズの漫才を見てからハリガネロックが迷走した、というのは皮肉な話だ)
未知の発想が評価される時代においてハリガネロックの漫才は認められず(といってもM-1グランプリ以外では認められていたんだけど)、彼らは迷走してゆく。
「誰よりも客にウケること」を誇りにして走ってきたコンビにとって、「ぜったいにウケる」という看板をはずすことは許されなかった。
べつに看板をはずす必要はなかったのに、と部外者としては思う。
漫才師が「プロの審査員に評価されること」よりも「客を笑わせること」に重きをおくことは、むしろマトモなことなんだから。
でも当時はそのマトモなことが許されない雰囲気があったんだよねえ。
ハリガネロックは、M-1グランプリで評価されるスタイルを求めて迷走する。
以前、なにかの記事で「ハリガネロックがボケとツッコミの役割を入れ替えた」と読んで驚いた。芸歴10年を超えるようなコンビが、それも今までのスタイルで数多くの実績を残してきたコンビが役割を変えるなんてことは他に聞いたことがない(コントではめずらしくないんだけど、本来のキャラと地続きでやる必要のある漫才ではまずありえない)。
びっくりしたのと同時に「絵にかいたような迷走をしてるな」と思ったこともおぼえている。
結局その試みはうまくいかずにまたボケとツッコミを元に戻し、数年後、ハリガネロックは解散した。
それにしても、相方だった大上さんはかわいそうだ。
ユウキロックさんはずっと「相方はぜんぜん自分から動こうとしなかった」と愚痴っぽく書いている。それが事実だったとして、自分から動かない人が相手だったからこそハリガネロックは20年やってこれたんだと思うよ。
「おれはこれがおもしろいと思う! おまえの考え方には納得できない!」って人だったら、ずっと早くに解散してたよ。
よく社員に「経営者意識を持て!」と怒っている社長がいるけど(ぼくの前職の社長もそうだった)、そういう社長は部下から「それは経営的にまちがってますよ」と言われたら、ぜったいに怒る人だ。
ユウキロックさんの「自分から方向性を示せよ!」って怒りには、それと同じものを感じる。
なんかね、相方に対する思いもそうだし、読んでいて「なんて不器用な人なんだ!」ともどかしく感じたね。
「万人受け」と「通好み」が両立しないことは誰だって知っている。
だからみんなその間のどこかに着地点を見いだすのに、ユウキロックさんはその両方を手に入れようとした。
そしてとうとう「通好み」を手に入れることはできず、もともと持っていた「万人受け」を自ら捨て去って、舞台を降りてしまった。
「目の前のお客さんを笑わせられる」というすごい武器を持っていたのに。
たぶん、現状維持を目標にすれば、ベテラン漫才師としてずっと食っていくことができたはず。
しかし、過去の成功体験にとらわれずにチャレンジしつづけてきたからこそ結果を出してきた人が、「貪欲に攻める姿勢を捨てて今のポジションをキープできるようにしよう」なんて考え方をできるようにはならないんだろうね。
客観的に見ていると「もっとうまくやる方法がいろいろあっただろうに……」と思うんだけど、でも人の関係が壊れるときってだいたいこんなもんだよなあ。
暑苦しくて切なくてもどかしくて、もう40歳すぎたおっさんがこんなに青春してるってすごいなあって感じる本でした。
その他の読書感想文はこちら
0 件のコメント:
コメントを投稿