ニッポン貧困最前線
ケースワーカーと呼ばれる人々
久田 恵
ケースワーカーとは、自治体で生活保護に関わる業務をおこなう人たち(それ以外の業務もあるらしいが)。
ケースワーカーの仕事内容、抱える問題、とりまく環境などについてまとめたルポルタージュ。
この本で紹介されている時代、場所、ケースなどはさまざま。
読んでいておもうのは、つくづくたいへんな仕事だということ。
戦後に生活保護制度ができてから今まで、そしてこれからも、ケースワーカーの仕事がたいへんじゃなかった時代などないんだろう。
ぼくだったら「見るとそこに、すでに腐敗し、真っ黒になって転がって死んでいる吉沢がいた」なんて状況に遭遇したら、もう続けられないとおもう(たぶんそれよりもっと前に辞めてる)。
精神的にハード、業務量も多い、感謝されることはほとんどなくて恨まれたり非難されることのほうがずっと多い、身の危険もある、だからといって給料がいいわけではない。
ケースワーカーをやっている人たちにはただただ頭が下がる。
この本を読むまで、生活保護受給者の問題は「お金がない」ことだとおもっていた。
もちろんお金がないから生活保護を受けるわけだが、問題の根っこはそこではない。
今の日本で「食っていくだけのお金がない」という人には、それなりの原因がある。
病気やケガ、老い、障害、失業のようなわかりやすい原因もある。たいていの人が想像するのはこっち。
でもそれだけじゃない。
「人付き合いができない」「決まった手続きに従って作業をすることができない」「持ってるお金より多くを使わないようにすることができない」「ストレスの原因になる家族がいる」といった、病気未満、障害未満の問題を抱えている人がいる。
それも少なくない数。
たぶん小学校の一クラスに三十人いれば、そのうち何人かは該当するぐらいの。
仕事はふつうにできるけれど、金銭感覚だけが著しく欠如している人がいる。あればあっただけ、あるいはある以上に遣ってしまう。
知能に問題はないのに他人と話をする能力だけが欠如している人がいる。
話しているとふつうなのに書類の記入だけができない人がいる。
「訊かれたことに答える」「お手本通りに書類に記入する」「支出が収入を上回りそうなら倹約する」というのは、ほとんどの人にとっては難なくできることだ。努力でもなんでもない。
だから“ふつうの人”からしたら
「こんなかんたんなこと、どうしてやらないの?」
と言いたくなる。
まさかできないのだとはおもわない。
怠慢、無計画、身勝手といった烙印を押してしまう。
生活保護を受けている多くの人にとって、お金がないことは「結果」であって「原因」ではない。
現代日本では“あたりまえ”とされていることをできないことが原因だ。
だからお金を支給するだけでは解決にならない。
羽が折れたせいでエサがとれない鳥に対して、エサを与えて「次からは自分でエサをとれよ」と言っても何も解決しないのと同じように。
この先、“あたりまえのことができない人”は増えていく一方だとぼくはおもう。
社会が複雑化するにつれて“あたりまえ”のハードルがどんどん上がっていくからだ。
第四部『ケースワークという希望に向けて』では、生活保護制度が時代によってどう変わってきたのかが紹介されている。
どうやってできたのか、世間の反応はどう変わったのか、そしてこの先どうなるのか。
戦後の日本中が貧しかった時代にGHQの指示でつくられた生活保護制度。
当初はほんとに「税金で保護しないと餓死する」レベルの人を対象に、ぎりぎり食つなぐだけの給付をする制度だった。
しかし人々の生活が豊かになるにつれて、生活保護の趣旨も「健康で文化的な最低限度の生活」を守るための制度へと変わってゆく。
同時に性善説を前提にした制度だったために不正受給の温床にもなり、厳しい目も向けられるようになった。
生活保護の不正受給が明らかになればケースワーカーが非難され、生活保護を受けられずに亡くなる人がいればケースワーカーが非難される。
かといってすべての申請に対して厳しくチェックするだけの時間も予算もない。
生活保護という制度は長年使っているうちにずいぶん綻びが出てきたようにおもう。
たとえばこんなケースが紹介されている。
泣く泣く、長男は家族との同居をあきらめたそうだ。
おかしな話だ。
同居しようがしまいがこの一家の給与収入は変わらない。だったらいっしょに住んだほうがいい。生活費も抑えられるし、お互いに安心感もあるだろう。
なのに同居すると生活保護が受けられなくなるから、不便な道を選ばざるを得ない。
息子の収入が十分に多いのならわかるが、高卒で二年働いたぐらいであれば給料はしれているだろう。病気の母親と高校生の妹を養うことが困難なのは誰だってわかることだ。
けれど今の制度では同居はできない。
生活が苦しいから保護する、ではなく、保護されるために苦しい生活を送る、になってしまっているのだ。制度の欠陥だろう。
こういう例をいくつも読んでいると、生活保護制度ってもうかなりボロボロなんだなとおもう。そろそろ大きな改革をする時期に近づいてるのかもしれない。
この本にも再三「人々の生活が苦しくなると生活保護に向けられる厳しくなる」と書かれている。
「おれはこんなに苦しいおもいをしながら働いているのに、生活保護を受けているやつらは税金で楽しやがって」という憎悪を抱くのは、年収1000万円の人ではなく年収100万円の人のほうだろう(税金を多く払っているのは前者のほうなんだけどね)。
きっと日本人はこれからどんどん貧しくなるから、生活保護受給者やケースワーカーに対する風当たりはさらに強くなる。
個人的には、もらうことに後ろめたさを感じずにすむ制度がいいとおもう。
たとえばベーシックインカムのような、全員が同額をもらえる制度とか。それだったらもらったお金を娯楽に使おうがパチンコに使おうが「ずるい」とケチをつける人は減るだろう。
人頭税の逆ですべての国民が年齢や能力に関係なくもらえるようになれば、子どもを産む動機にもなるし。
都市から地方への移住も進みそうだし(もらえる額が同じなら物価の安い地方に住むほうが得だから)。
問題は財源だけ。たったそれだけ……。
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