2019年5月14日火曜日
授業を聞かないほうが成績がよくなる
耳から入ってくる情報の処理が苦手だ。
脳のはたらきの問題だろうか。
耳から入ってきた情報が、ぜんぜん脳に定着しない。
子どもの頃から「人の話を聞かない子」と言われていた。
じっさい、そのとおりだった。
授業なんてまるで聞いていなかった。
中学校のとき、英語のテストで満点をとったのに通知表の評価が「9」だった(10段階評価で)。
「テストが100点で提出物もぜんぶ出してるのになんで10じゃないんですか」と抗議したら、「だって授業態度が悪すぎるから」と言われた。
よっぽど態度が悪かったのだろう。不良でもないのに。
高校のとき、数学の先生が言った。
「もうわかっている、という人は授業にあわせなくていい。ぼくの授業のときはどんどん教科書を読みすすめてくれてええで」
言われたとおりに、ぼくは授業を聞かないことにした。
教科書を読みすすめ、問題集を解いた。
授業で取りあげるまえに問題を解いて、授業を聞きながしながら問題を解き、テスト前に問題を解いた。同じ問題を三回ずつ解いた。
それからだ。
ぼくの成績が飛躍的に伸びたのは。
高二のときに数Bのテストが五回あったが、五回とも百点だった。
数Ⅱでも五回中三回百点をとった。
ぼくはやっと気づいた。
授業を聞かないほうが成績がよくなる、と。
そのとき、今までのあれやこれやの謎がとけた。
わかった。ぼくは人の話を聞けないんだ。
小学生のときは忘れ物が多かった。
先生が黒板に「もちもの:コンパス」と書いてくれたときは大丈夫だったが、「明日は雑巾を持ってきてください」と言われたときはダメだった。
「何回注意されても同じミスをする」と叱られたことも一度や二度ではない。
言語だけではない。
音の高低がわからない。もちろん音痴だ。
合唱コンクールの練習でまじめに歌っていたのに「ちゃんと歌いなさい」と注意された。
外国語の発音やアクセントがよくわからない。
学生時代、英語の成績は良かったが、発音・アクセントだけはまるでダメだった。
小説や漫画を読むのは好きだが、ドラマやアニメは楽しめない。洋画は字幕のほうが楽だ。
すべてが一本につながった。
そうか。ぼくの脳は、音を処理するのが人より苦手なんだ。
苦手なものはしかたがない。だが自分の苦手がわかれば対策が立てられる。
数学以外の教科も、勉強のやりかたを変えた。
授業を聞いて理解することは一切あきらめた。
英語の授業中は古文の勉強をし、古文の授業では世界史の教科書を読み、世界史の授業中には化学の問題を解いた。
わざわざ他の教科の勉強をしたのは、教師の声を完全にシャットアウトするためだ。有機化学の問題を解いているときに無機化学の話をされるより、世界史の話のほうが無視しやすい。
ぼくは塾には通っていなかったが進研ゼミ高校講座をやっていた。
これも自分にあっていた。
人の話を聞くのは苦手だが、読んで理解するのは得意だ。
文字とイラストだけですべて説明してくれる進研ゼミは、ぼくのような人間にはありがたい。
成績はぐんぐんよくなっていった。
ほとんどの教科で学年トップクラス。悪いのは音楽だけだった。
あのとき「授業を聞かなくてもいい」と言ってくれた教師には感謝している。
ぼくだけに向けたアドバイスではなかったが、たまたまぼくの能力にはぴったりとあっていた。
大学進学後も、就職してからも、自分の不得意分野を把握していることは役に立った。
身につけたい知識は文字で読むようにする。
おぼえなきゃいけないことは文字にする。
人とやりとりするときは会話ではなくなるべく文書でやりとりするようにする。
苦手なことにリソースを割かなくてよくなった。
そんなぼくにとっての天敵は「すぐ電話してくる人間」だ。
「話したほうが早いから」という身勝手な理由で、メールやチャットでできる話を電話でやろうとする人間。
「メールじゃ正確に伝わらないから」というむちゃくちゃな理由で電話してくる人間(こういう人間が電話で正確に伝えてきたためしがない)。
こういう人間とはとことん相性が悪い。
たぶんぼくが耳からの情報をうまく処理できないように、連中も文字による情報を処理できないのだろう。
相性が悪いのがわかりきっているから、「すぐ電話人間」とは極力かかわらないようにしている。
……という判断ができるようになったのも、自分の苦手を把握できるようになったからだ。
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