氷点
三浦 綾子
1965年刊行、何度も映像化されている古典的作品。
病院の院長である父親、美しく優しい母親、かわいい息子と娘。
絵に描いたような幸せな家庭の運命が、ある日娘が殺害されたことで大きく転換する。
父親は殺人犯ではなく男と逢引きをしていた妻を憎み、妻への復讐のために犯人の娘を養子として引き取る……。
「原罪」という重いテーマを扱った作品(著者の三浦綾子氏はクリスチャンだそうだ)。
家族それぞれが秘密を抱えて互いに欺きながら暮らしてゆくうちに、幸せいっぱいの家族が徐々に壊れてゆく描写はスリリングで読みごたえがあった。
日本での殺人事件の半数以上が家族間の殺人だそうだ。身近で関わりが深いからこそ、愛情が憎悪にかわったときの恨みも半端ではない。
幸いぼくは親や姉や妻や子に対して殺意を抱いたことはないけど、激しい憎しみを抱いたことはある。「あのときあんなことを言われた」と二十年たっても根に持っていることもある。逆に親や姉だってぼくに対してひとかたならぬ恨みを持っているかもしれない。
今は親族と良好な関係を築いているけれど、なにかのきっかけで相手の人生をぶっこわしてやりたいと望むほどの憎悪に変わらないともかぎらない。
……そんなことを『氷点』を読みながら考えて背筋が冷たくなった。
愛情と憎悪は紙一重なのだとつくづくおもう。
家族間の深い愛情と深い憎しみを描いた『氷点』、これがほぼデビュー作だというからすごい。
まあ文章はあまりうまくないんだけど……(というか同じ段落の中で視点がころころ変わるのって第三人称小説でぜったいにやってはいけないことだろ)。
でも、「船舶事故」「失踪した看護師」といった“特に回収されないエピソード” がちょこちょこあるのは好きだ。
こういう本筋に関係あるのかないのかわからないエピソードがあると、小説にぐっと深みが与えられるね。
しかしクリスマスにプレゼントをもらうということ以外ではキリスト教とは関わりのない人生を歩んできたぼくにとっては、「原罪」なるものはよくわからない。
人は生まれながらにして罪を負っているとか、親が殺人犯だったから子どもが罪を感じるとか、とうてい理解できないんだよなあ。
「人は罪を犯しうる存在である」と言われればそのとおりだとおもう。
ぼくだって環境によっては殺人犯になっていたかもしれない。逆に、ヒトラーやポル・ポトのような悪名高い人物だって、べつの時代や場所に生まれていたら平凡な人生を歩んでいたとおもう。
でも、だからこそ「罪を犯しうる存在であるにもかかわらず、大した悪事もはたらかずに生きている」ことを肯定的に評価すべきなんじゃないかとおもうんだけど。
生まれながらにして清いものではないからこそ、まあまあ清く生きているのってすばらしいことだといえるんじゃない?
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