2017年12月20日水曜日

銭湯と貧乏性

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銭湯が好きでときどき行くのだけれど、毎回ちょっと損をした気分になる。

ぼくは長湯が苦手だ。時間を持て余してしまう。
「あー、やっぱり広い風呂は気持ちいいなー」と思って手足を伸ばすのだが、五分もすると「飽きてきたな」と思えてくる。

家の風呂だと本を読みながら一時間くらい浸かっていることもあるのだが、銭湯で本を読むのはなんとなく気が引ける。たぶんダメではないと思うんだけど、湯船に浸かりながら本を読んでいる人を見たことがないので、その勇気が持てない。
近所の銭湯には一応テレビがあるけど、画面がちっちゃいし、音は聞こえないし、観たい番組をやっているとはかぎらないしで、あまりテレビを見ようという気になれない。

風呂好きの友人にその話をすると「飽きてきたらサウナとか電気風呂とか水風呂なんかをローテーションしたらいいんだよ」と云われた。

でもぼくはサウナが嫌いだ。だって暑いもの。
ぶったおれそうになるし、全裸の男たちが狭いところでハァハァ言ってるのも快適じゃないし、なにより「外から鍵をかけたらたらどうしよう」と思うと一刻も早く外に出たくなる。

電気風呂も嫌いだ。痛いもの。
身体にいい、ということになっているがほんとうなのか。銭湯に対してこんなこと言いたくないけど、身体にいいというエビデンスはあるのか。それどころか心臓に悪そうだぞ。毎年多くの人の命を奪ってるんじゃないのか。

水風呂はけっこう好きだ。気持ちがいいから。
でも一分も入っていたら身体の芯から冷えるので、それ以上入っていられない。

ぼくの銭湯スケジュールは、
洗体・洗髪(五分) → ジェット風呂(五分) → 水風呂(一分) → ふつうの風呂(二分)
だいたいこんなもので、着替えの時間を入れても二十分くらいだ。

大きい風呂に入って気持ちよかったと思うんだけど、同時になんかもったいない気がする。
銭湯の入浴料というのは三十分入ろうが二時間入ろうが同じ値段なわけで、だったらもっと長湯をしたほうが得、と思ってしまう。サウナも電気風呂も料金の中には含まれているのに、それを利用しなかったから「元をとっていない」ような気になるのだ。我ながら貧乏くさい。

せめてもの元をとろうと、風呂から出た後には休憩スペースでゆっくりくつろぐ。
牛乳を飲み、本を読み、壁に貼ってある銭湯からのお便りやら周辺地図やらまでじっくり目を通し、べつに観たいわけでもないテレビを観て、気づいたら一時間くらい経っている。
二十分風呂に入り、六十分だらだらする。
おかげで身体はすっかり冷えており、銭湯からの帰り道には毎回己の貧乏性が嫌になる。


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