2024年6月26日水曜日

【読書感想文】架神 恭介 至道 流星『リアル人生ゲーム完全攻略本』 / 平等な社会は地獄

リアル人生ゲーム完全攻略本

架神 恭介 至道 流星

内容(筑摩書房ホームページより)
「人生はクソゲーだ!」しかし、本書のような攻略本があれば、話は別。各種職業の特色から、様々なイベントの対処法まで、全てを網羅した究極のマニュアル本!

 

 「人生」というゲームを作った神々が、ユーザー(人間)たちのクレームに答えるため、「人生」マニュアルを作ったところ、ユーザー(人間)たちが勝手にルールの隙間をつく攻略本をつくりだした……という設定の本。 

 前半は、ゲームデザイナーである神が、その上司からの指示に答える形で「人生」のマニュアルを書くパート。後半は人間による攻略本パート。圧倒的に前半のマニュアルパート(架神恭介著)のほうがおもしろい。

 一方の攻略本パート(至道流星著)は退屈。「人生」の攻略本という設定なのに、ほとんど設定を無視して、21世紀の日本における経済の話ばかり。新書半分の分量で経済を語っているので当然ながら内容も薄い。ま、ちくまプリマ―新書(中高生向けレーベル)なので浅い話に終始してしまうのもしかたない面もあるが……。



 前半の「創造主でありゲーム運営元である神から見た『人生』ゲーム」のパートはおもしろかった。

 俺の作ったゲーム『人生』は、かつてない自由度の高さと、斬新なゲーム体験を提供する自信の最新作だ。
 社内で企画が通ったのは46億年前。企画者でありプロデューサーであった俺は直ちにデータセンターに連絡して「地球」サーバをレンタルした。種族「アウストラロピテクス」や種族「ネアンデルタール人」でのβテストを経た後(βテストにご参加頂いた皆さんありがとうございます)、満を持して種族「ホモ・サピエンス」を実装。約25万年前に正式稼働し、それから紆余曲折を経ながらもプレイヤー人口を着実に増やしてきたのだった。

 ギャグみたいな設定なのに、意外と設定がつくりこまれていて、こんなふうに細かい知識がちりばめられているのがいい。『聖☆おにいさん』のようなおもしろさがある。

 そうか、ネアンデルタール人はβテスト参加者だったのか。だからβテスト終了と同時にネアンデルタール人は地球から退場して、一部はホモ・サピエンスとの混血という形で残ったのね。


「この寿命ってのさ、かなり重要なリソースじゃん? なんでこういう重要なところをランダムにしちゃうの? ていうか、全体的にスタート時点でのランダム要素多すぎじゃない? 容姿とか資産とかさ。その点の苦情もいっぱい来てるんだよ?」
「いやいやいや、部長」
 部長のあまりにも浅薄なゲーム評に、俺は冷笑を浮かべて答えた。
「部長、ゲームにはランダム要素が重要なんですよ? 良いプレイングをした人が勝てるゲームってのは、公平なようでいて息が詰まるんです。こういうランダム要素が適度に介在することで、プレイヤーはゲームをより気軽に楽しめるんです」
 何もかも公平にしてしまえば勝ち負けは完全に実力勝負になってしまう。そうなると、もう弱いプレイヤーはひたすら負け続けるだけだ。目先の公平さだけでなく、こういう深いところまで考えて俺はゲームをデザインしているのだが、ハッ、所詮、部長のコチコチ頭では分からんか。

 これはなかなかいいことを言っている。

 そうそう、何もかも公平な世の中なんてつまらない。というかやっていられない。

 最近「親ガチャ」なんて言葉が流行ってて、どんな親から生まれるかで人生がある程度決まってしまう、という使われ方をしている。はっきりいって「親ガチャ」を言い訳にするのはあまり好きではないのだが(恵まれた人が「親ガチャがあたりだっただけです」と謙虚にふるまうのならいいんだけど)、しかし「親ガチャ」があるのは事実だ。金持ちで、教養を持っている親から生まれた子は、人生においてかなり有利なスタートを切ることができる。

 ただ。

 だったら、人生ゲーム(ボードゲームの)みたいに「全員同じ金額を持って、同じ能力を持って、同じスタート地点からスタート。とれる選択肢も、イベントが発生する確率も全員まったく同じ」という人生だったらどうか。

 あいつの学校の成績が悪いのも、ぼくが運動ができないのも、あの子の年収が低いのも、君が異性にモテないのも、すべて「努力不足」になる。「おまえが不幸なのはすべておまえのせいだ。自己責任なんだから甘んじて受け入れろ」となる。

 それこそ地獄だ。悪いことがあっても「親ガチャがはずれだった」と嘆くことのできる人生のほうがどれだけマシか。


 不平等がはっきりしている社会は悲惨、完全に平等な社会もまた悲惨。

 だが現実はもっと悲惨なのだ。なぜなら、ほんとは不平等なのに、「誰にでも成功するチャンスはあります」と言われているのだから。

 マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』に「能力主義の理想は不平等の解決ではない。不平等の正当化なのだ」とあった。

 アメリカなんて、ごくわずかな富裕層が社会の富の大半を占有している、ものすごく不平等な社会だ(日本もそれに近いし、どんどん近づいている)。昔なら革命が起こってもおかしくない。

 だが革命が起こらないのは「誰もが平等だ。誰にでもチャンスはある」という嘘がまかりとおっているからだ。ま、厳密には嘘ではなく、50%のチャンスを持っている人と0.001%のチャンスを持っている人がいるわけなんだけど。身分制社会のように「100%逆転不可能」にしてしまうと、武力革命を起こすしかなくなるからね。


 というわけで、人生は不公平だし、格差はあってもいいけど、必要なのはそれをちゃんと伝えることだよね。学校とかで「人間誰しも平等です」なんて嘘をつくのをやめてさ。


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2024年6月25日火曜日

【読書感想文】『清原和博 告白』 / ぼくのスーパースター

清原和博 告白

内容(e-honより)
僕は、一体どこでまちがってしまったのだろう―。怪物の名をほしいままにした甲子園のヒーローは、なぜ覚醒剤という悪魔の手に堕ちたのか。栄光と転落の半生と自らの罪、そして鬱病、薬物依存との闘い。執行猶予中、一年間にわたりすべてを赤裸々に明かした「告白」。これは、どうしようもない、人間らしさの記録である。


 著者名が清原和博となっているが、これはウソ。Numberの記者が清原和博氏にインタビューしたものをまとめたもので、インタビュー中にライターが受けた印象などもしっかりと書かれているのでゴーストライターというわけでもない。自伝ではなくインタビューをまとめたものなので、著者名を清原和博とするのは明らかに誤りだとおもうのだが……。自伝っぽく見せたほうが売れるとおもってこんな嘘をついたのかな。

 赤裸々な告白、というのを売りにしているのに、その本自体を嘘で売りだすってどういうことよ。

 いい本だっただけに、ちゃんと著者名を出して刊行してほしかった。


 今いちばん有名な野球選手は大谷翔平だろう。野球に興味のない人でもまず知っている。うちの小学生の娘が唯一知っている野球選手が大谷翔平だ。

 その前はイチローだった。その前は……野茂かな。メジャーリーグ(当時はみんな大リーグと言っていた)に挑戦したとき。そしてその前は、清原和博じゃないかな(今気づいたんだけどみんなパ・リーグ出身者だ)。

 ぼくがプロ野球に興味を持つきっかけになったのはキヨハラ選手だった。清原和博選手ではない。コロコロコミックに連載していた漫画『かっとばせ!キヨハラくん』である。

『かっとばせ!キヨハラくん』から野球に興味を持ったぼく(とその友人)は、ルールブックを読んで野球のルールを覚え、公園で野球をするようになり、テレビでプロ野球の試合を観戦し、新聞のスポーツ欄を隅々まで読むようになった。

 入口がそうだったから清原和博選手のファンだった(ジャイアンツに行くまでは)。当時はテレビでパ・リーグの試合なんてまったくといっていいほど放送していなかったため、実際の清原選手の活躍を観るのは日本シリーズぐらいだったにもかかわらず。


 清原和博は、まちがいなくスーパースターだった。甲子園で今も記録に残る華々しい活躍を見せ(ただし当時は甲子園球場にラッキーゾーンがあった)、ドラフトで悲劇のヒーローになり、プロ野球に入って1年目から活躍。1986年に記録した、打率.304、31本塁打、78打点は、高卒新人記録として今も破られていない。さらなる活躍をして球界を代表する打者になることを誰もが予想していた。

 が、彼の栄光は徐々に陰りを見せる。当初は王貞治以上のペースでホームランを打っていたが、徐々に落ち込む。1997年に巨人に移籍するも期待されていたほどの活躍はできず、怪我にも苦しみ、2005年戦力外通告。翌年オリックスに移籍したが膝の怪我が治らぬまま2008年に現役引退。結局、ホームラン王も打点王も一度も獲得することはなく、“無冠の帝王”と呼ばれた。

 現役引退後は野球解説者やテレビタレントとして活動していたのだが、やがて覚醒剤に手を出す。家族は家を出ていき、それがさらに覚醒剤の使用量を増やすことに。そしてとうとう2016年、覚醒剤取締法違反で逮捕。野球界からも実質的に追放されることとなった。絵にかいたような“転落人生”だ。


 他人事であれば「絵にかいたような転落人生」で済むのだが、こうして本人による独白を読むと、胸が痛くなってくる。

 清原和博という人は野球の才能にはめぐまれていたけど、それを除けばごくごくふつうの人だったんだろうなと本を読んでいておもう。ということは、もしも清原和博と同じ人生を歩んだなら、多くの人が心を折られてしまうんじゃないだろうか。


 高校時代の回想。

 あの時の僕を、周りのみんながどう感じていたかわからないですけど、自分がやるべきことを決めたらやるだけ。練習の苦しさよりもそれを上回る悔しさを感じていたので不思議と辛いとは思わなかったです。考えてみると、僕が欲しかったのは技術的なものより「俺はこれだけやったんだ」という自分に対する自信だったような気がします。そして、それが3年生最後の夏につながっていったと思うんです。負けて、負けて、泣いて、泣いて。それで辛さも忘れるほど練習する。悔しさや苦しさの後にいいことがあると思うようになったのは石田さんや智男のような投手とって、負けたからかもしれません。

 日本一のバッターと呼ばれても、絶対の自信を持つことはできず、不安と闘う。

 世間一般的には恵まれた野球人生を歩んできた天才バッター、豪放磊落な番長キャラとして認知されていたが、実際のところは不安と闘いつづけたごくふつうの人間だった。


 一度は約束を反故にされた巨人への未練を捨てきれず、巨人に移籍。

 だがそこには松井秀喜という、打者としても精神面でも一流の後輩打者がいて、「松井を敬遠して清原と勝負」という場面も増え、自信を喪失してゆく。

 そして清原選手は“肉体改造”のため筋トレに励む。

 それでも、どんどん飛距離は伸びていきましたし、明らかに打球速度も、スイングスピードも違うというのは体感できました。ただ、目に見える筋肉がついて、肉体的に強くなったこともそうですが、あのトレーニングをして一番大きかったのはメンタルだったのかなという気がするんです。俺はこれだけやったんだ、と。自分が食べたいものも我慢して、きつい思いをしてトレーニングしていることを支えに打席に入っているようなところがありました。逆にそれがなければ、ああいう状況の中で、自分を保って打席に立つことはできなかったのかもしれません。
 「グリーニー」と呼ばれる緑色の薬を初めて知ったのは確かその頃で、最初は外国人選手が飲んでいるのを見たからだったと思います。聞けば、疲れが取れて、集中力が高まる興奮剤ということでした。当時は禁止されてもいなかったので、自分も服用しました。確かに最初は効いたのかもしれません。連戦でも疲れを感じないとか。ただ、途中からはどういう効果があるのか、疲れがなくなっているのかどうかもわからなくなってきました。その頃は、野球の試合でいいパフォーマンスができるなら、何だって取り入れようと思っていましたから。グリーニーもその中の一つでした。

 ぼくの知人にも身体を鍛えている人がいるけど(ダイエットとか健康のためじゃなくてマッチョになるため)、みんな総じて繊細だ。自信がないから筋肉にすがるのだろう。ばかでかい車やバイクに乗る人もそうだが、強い鎧がないと不安で仕方ないのだろう。ちなみにぼくにとっての鎧は知識であったり読書であったりする。


 清原選手は、年齢を重ねて成績が落ちてきた。部外者からすると「スポーツ選手が歳をとったらパフォーマンスが落ちるのはあたりまえじゃん。そういうもんだから次のステージを考えるしかないよね」とおもうんだけど、当事者からするとそうかんたんに受け入れられるものじゃないのかな。

 年齢による衰えをとりかえすためにとにかく筋肉をつける、って素人のぼくから見てもそれはちがうだろとおもうんだけど、持っていたものを失いつつある人からするとそんなに平静ではいられないのだろう。「俺はこれだけやったんだという自信が欲しくてバットを振っていた」高校時代と、あんまりメンタルは変わっていなかったのかもな。


 治療や手術を重ねても膝の怪我を治せなかった清原選手は、とうとうかつての輝きを取り戻せないまま現役を引退。

 引退後も喪失感は消えず、酒を飲み、そして覚醒剤に手を出してしまう。

 最初に覚醒剤を使った時、本当にそれはもう軽い気持ちでした。心境としては、自分が何者なのかわからなくて、そういう嫌いな自分から逃げたくて、酒を飲んで、その挙句にやったような気がします。酒が入っていたので、その勢いで使った感じでした。それでも、覚醒剤というのは、1回手を出しただけで支配されてしまうんです......。
 しかも、覚醒剤をやることで、僕がずっと感じていた、心にぽっかりと空いた穴が埋まったかと言えば、そうではなくて、もうそれは単なる現実逃避でした。薬の効果で一時的には嫌な自分を忘れることができただけでした。 僕は、そこから闇の世界に入っていきました。
 ひとつだけ言っておきたいのは、僕は決して野球と同じものを、ホームランと同じものを覚醒剤に求めたわけではないということです。野球とは全く別物で……、ただ、その......、目の前にいる嫌な自分から、一瞬、逃げるためだけのものでした。

 一流スポーツ選手や成功したミュージシャンなど、強い達成感や恍惚感を味わった人は、その反動で鬱病になりやすいという。ふつうの人がとても味わえないような昂奮を知ってしまうと、なかなか他のことでは埋められないのだろう。


 この独白を読んでいておもうのは、清原和博という人間は、とにかく純粋でまっすぐな人だったのだろう。とにかくホームランを打ちたかった。人より遠くへボールを飛ばしたかった。そして観客を喜ばせたかった。

 王貞治、イチロー、松井秀喜、大谷翔平といったスター選手は、自分を厳しく律し、なるべくメンタルを安定させ、常に高いパフォーマンスを出してきた。

 だが清原和博はそういう選手ではない。サヨナラ安打(20本)、サヨナラ本塁打(12本)、オールスター通算打点(36打点)、オールスターMVP(7回)の最多記録を持っており、日本シリーズにも強い。「ここ一番」にめっぽう強く、その分、勝敗に関係ないような場面では成績が落ちた。期待されればされるほどバットで応える、そんな人間くさい選手だった。きっと野球が大好きだったのだろう。

 そんな純粋な人間であるがゆえに、加齢、怪我、引退によってホームランが打てなくなると、その喜びをとりかえすことができなくなった。金銭や名誉が目的であれば他の手段で手に入れることができたかもしれないが、「大きなホームランが打ちたい」という欲求は、もうどうやっても叶えることはできない。

 決して得られないホームランを求めつづけ、ホームランによって人生を狂わされてしまった男。

 その人間くささこそが清原和博の欠点であり、魅力でもあったんだよなあ。仮にぼくが恵まれた身体と運動神経を持って生まれたとしてもイチローや大谷翔平にはなれないだろうけど、ひょっとしたら清原和博のような人生を歩んだかもしれないとおもわせる何かがあるんだよなあ。いろいろあったけど、今でもぼくにとってはスーパースターだ。


2024年6月19日水曜日

【読書感想文】小林 初枝『こんな差別が』 / 正義のために闘う人が家族を不幸にする

こんな差別が

小林 初枝

内容(本書裏表紙より)
なぜ差別はなくならないのか
人は、どうしようもなく他人をさげすまなければ生きていけないものなのだろうか。被差別部落に生まれ育ち、差別とたたかって二十年、著者は、今なお、町で、村で、学校で、さまざまな差別を感じている。人びとの心の奥、くらしの中に、深くひそむ差別や偏見を、丹念に掘り起こしたこの本は、人間が作った差別を、人間の手でなくしたいと、訴えてやまない。


 高校司書、主婦をやりながら被差別部落の解放運動に取り組んでいる著者によるエッセイ。1980年刊行。


 ぼくは学校で部落差別について教わったが、住んでいた場所が戦後に開発された住宅地だったこともあり、小中学生時代に直接部落差別を見聞きしたことはなかった。なにしろみんなよそから移り住んだ人だったしね。あの人は以前どこに住んでいた、なんて気にすることもなかった。

 ちょっと身近に感じたのは二回。一度目は高校生のとき。大阪から引っ越してきた友人が「あの××って地域は部落やろ?」と言ったのだ。その××という場所には皮革工場があり、街全体に独特のにおいが漂っていた。ぼくも「あのへんはくさいし汚いな」とはおもっていたが、それと学校で習った部落差別を結びつけて考えたことがなかった。友人から言われてはじめて「ああ、〝部落〟ってのはああいう場所のことか」とおもったものだ。といっても知ったところで何も変わらなかった。××に住んでいる知人がいなかったからかもしれない。

 二度目は大学生のとき。ぼくが「△△にマンション借りた」と伝えると、また別の友人から「そのへんは部落地域で交通事故とか起こすとややこしいことになるから気をつけろよ」と忠告された。その友人とは長い付き合いだったがそういうことを口にする人間ではなかったので、こいつがそんなこと言うんだと驚いた記憶がある。そのマンションには一年住んだがべつにご近所トラブルのようなものはなかった(風通しが悪くて室内に湿気がこもったのには閉口したが)。

 ということで、部落差別については学校の道徳の時間に習った程度の知識しかなく、その道徳の授業についても具体的な事例などはほとんど挙げることなく「住んでいる地域で不当な扱いを受けることがありました。それは良くないことなのでみなさんはやめましょう」ぐらいの抽象的な話しかなかった(具体的に言うとまずいことがいろいろあるからだろう)。

 だから部落差別といってもぼくにとってはどうもナチスのホロコーストとか黒人奴隷とかと同じで、いつかどこかで起こったらしい遠い世界の野蛮な出来事、ぐらいの感覚しか持てないのが正直なところだ。


 この本の著者は被差別部落出身、それも1930年代生まれということで、ごりごりの差別を受けて生きてきたようだ。

 さすがに戦後は様々な法律ができてあからさまな差別は減ったようだが、それでも1970年代の人々の意識の中ではずいぶん生き残っていたようだ。


 知人男性から結婚相手を紹介してほしいと頼まれた著者が、知り合いの女性がいいのではないかと思い、その女性の母親に見合いの話を持ちかける。すると母親は「うちは部落ですけど、相手の男性は了解しているのでしょうか」と心配したという話。

 私は娘の母親の気持ちを、その男性に率直に伝えました。すると、
「エッ、部落の娘ですか。ひと走り行って来ると出たので、もしやという予感がしたんですが………やっぱり……」
「だって、あなたの条件のなかに、部落外の娘に限るなんてなかったでしょう。第一私に嫁さんを世話してくれというからにゃ、部落の娘くらい十分承知の上かと思ってました」
「もちろん、おれは部落の娘だろうと何だろうと、何とも思いませんよ。でも、家族親戚とのつながりがありますからねえ。憲法では、結婚は両性の合意のみによって成立するとうたわれていますが、あれは一種のプログラム規定なんですな。結婚するということは、親、兄弟、身内、社会とのつながりがあるなかにあって、両性の合意のみで解決しないものがあることは、あなた自身もよくご存じのはずでしょうに。紹介してくれた女性がすばらしい人らしいだけに、苦労させるのは気の毒ですしね。おれはいいにしても、正直のところ、おれ自身、周囲の障害を乗り越えられる自信がありません。お騒がせいたしましたが、水に流してくださいな」

 この「自分は気にしないけど周りがなんというか……」という口実、この本に再三出てくる。これこそが差別のいちばん根深い問題だよね。自分は差別をしていると自覚をしていない差別主義者。


 上野千鶴子『女の子はどう生きるか』という本に、女性が不当に差別されているという話をさんざんしている傍らで、上野千鶴子はこんなことを書いていた。

 東大男子は東大女子が苦手です。なぜって、自分と同じぐらいかそれ以上優秀かもしれないから。なぜ男子は女子が優秀だと困るんでしょう?これも答えはかんたんです。「オレサマ」になれないからです。その点、他大女子は、「東大生、すごいわねえ」と目にハートを浮かべて「オレサマ」を見あげてくれるでしょう。
 こういう男性を、オッサン、と呼びます。そのとおり、東大男子は若いうちからオッサンなんです(ここでいうオッサンとは、中高年のオヤジのことではありません。自己チューでオレサマ度が高く、オンナコドモや立場の弱いひとを差別する、想像力がなくて鈍感力の高いひとを言います。年齢も性別も問いません。女のひとのなかにも、たまにいます)。おばあちゃんはまわりにオッサンばかり見てきたから、お姉ちゃんに「オッサン受け」するには東大へ行くと不利だよ、とアドバイスするのでしょう。

 女性差別はいけないといいつつ、東大生男子やオッサンはどれだけ偏見の目で見ても、差別してもかまわないとおもっている。「ここでいうオッサンとは、中高年のオヤジのことではありません」と書けば差別じゃない、でも「オバサンはバカだ。ここでいうオバサンとは中高年女性のことではありません」は差別だとおもう人間。

 こういう人間がいちばん厄介だ。「おれは〇〇人が嫌いだ!」なんてやつのほうがずっとマシだ。変わる余地がある。

 自分は差別主義者ではない。周りの人間がそうなのだ。こうおもってる人間がいるかぎり差別はなくならない。


  この本、いろんな“差別を受けた話”が出てくるのだが、これはひどいなとおもうこともあれば、「それって……どうなの?」と言いたくなる話も多い。


 たとえば、お店に行ったら、店主から△△さんと呼ばれた。縁もゆかりもない苗字なので、なぜそんな苗字で呼ぶのですかと尋ねると、「お客さんはどこそこの人でしょう、あそこには△△という苗字が多いのでまちがえました。すみません」と謝られた、という話。

 失礼だな、とはおもう。当て推量で人の名前を呼ぶなんて。

 ただそれって大騒ぎするような差別なんだろうか。「大阪人なの? じゃあやっぱり家にたこ焼き機ある?」レベルの話なんじゃないだろうか。

 それで気を害する人もいるかもしれないけどさ。でもこのエピソードだけでは部落差別かどうかよくわかんないんだよね。その店主は被差別部落じゃない地域の人に対しても同じような態度をとっているのかもしれないし。


 この本を読むと、数十年前に比べると今は部落差別は根絶とまではいかなくても、ずっと減ったなとおもう。

 今でも部落差別をする人はいる。それでも、少なくともぼくの周りではそういう話をする人はいない。触れないようにしているわけではなく、ほんとにまったく気にしていない。結婚相手の家がそういう地域かどうかなんて、気にする人のほうが少ないだろう。地方にいけばわからないけど。

 ただ。

 著者のように部落解放運動をしてきた人たちのおかげだ……とはあんまりおもえないんだよね、ぼくは。

 瀧本 哲史『2020年6月30日にまたここで会おう』には、人々が信じるのが天動説から地動説に代わったのは学説の正しさが証明されたからではなく、古い常識を持っていた人たちが死んで、新しく学者になった若い人たちに入れ替わったからだと書いている。

 そういうことなんだよね。口うるさく言われたからって人の考えはそうは変わらない。逆に意固地になってしまうこともある。人々の意識が変わるのは、世代交代によるものが圧倒的に多いのだろう。部落差別なんてアホらしいぜ、という教育を受けてきた世代が多数派になれば自然と社会の意識は変わる。


 この本を読んでいてぼくがいちばん胸を痛めたのは、著者の息子の心情に思いを馳せて。

 私はここで、生徒たちに部落を教えてはならないといっているのではありません。「隔離病舎」や「焼き場」を取り除いてほしいとは、部落の人びとの強い要望であったこと、それも百年以上の後に、やっと部落の人びとの願いがかなえられたという歴史上の重さを考えたら、十五年もの間を空白にしている先生方の同和教育が、あまりにもうらがなしく私には思えるのです。
 私はさっそく中学校の社会科の先生に電話をして、事情を知りたいと思ったのですが、息子が強く反対しました。
「お母さんがこの調子で、小学校へ連絡したり、雑誌になんか書いたから、ボクは小学校の先生にらまれちゃって、ずーっといやな思いをしてきた。今、町で行き会って、ボクがあいさつして気持ちよく返事を返してくれる先生は何人もいやあしない。お願いだから、中学だけはソッとしておいてくれないか」
「あんたのいうことが、お母さんにわからないでもない。でもね。親の憎さを子どもにまで及ぼす先生のほうが、お母さんにいわせりゃ了見がせますぎるのさ。小学校の先生がそうだったからって、中学校の先生がそうとも限らないよ。それにね、中学校には、お母さんが教わった先生がまだたくさんいて、お母さんのことはわりに理解していてくれると思うし、社会科の先生だって、お母さんの高校の卒業生で、みんなよく知り合っているからきっとわかってくれると思う。おそらく先生方は気づかないだけなんだよ。よしんば、あんたがそのことで先生ににらまれたとしても、あんたひとりだろう。先生方が気づかないで残されている差別の現実を取り除くほうが、広い観点からすればたいせつなことではないだろうか。今回はお母さんにまかせてほしい」
 息子は不承不承ながらやっと承諾しました。息子も成長したというか、世間の風を感じるようになり、かつてのような一筋縄ではいかなくなりました。

 ああ、この息子さん、かわいそうになあ。グレなきゃいいけど。

 この件に限らず、ずっとお母さんのせいで嫌な思いをしてきたのだろう。部落差別のせいじゃない。お母さんのせいだ。

 この本には「息子が私立中学校に行きたいと言いだした。理由を聞くと、お母さんがしょっちゅう学校とぶつかるから、周囲から変わった目で見られている、だから自分のことを知っている人がいない中学校に行きたいという。どうせ受からないだろうが、チャレンジして試験に落ちたらあきらめもつくだろうと受験させてみたら、合格してしまった。だが母親が平等のために部落解放運動をしているのに我が子だけ市立中学校に行かせているなんて知られたら、周囲から非難されるに決まっている。だからどうにかこうにか息子を説き伏せて地元の公立中学校に通わせることにしぶしぶ納得させた」というとんでもないエピソードが出てくる。

 とんでもない毒親だとおもうのだが、著者はちっとも反省することなく「正義の運動のためにあくまで闘う私。家族にもそれを理解させたい」という調子で書いているのだ。

「息子も成長したというか、世間の風を感じるようになり、かつてのような一筋縄ではいかなくなりました。」という記述からも、自分に悪いことがあるとは微塵もおもっていないことがうかがえる。


 部落解放運動に身を投じることがまちがっているとは言わないけれど、嫌がっている息子まで巻き込むことはほとんど虐待だろう。やっていることが正しくても、それを他人に強要することは正しくない。部落の人々を幸せにしようとする人が、自分の家族を不幸にしている。

 正義のために行動する(と信じている人)ってこういうことを平気でやるよね。自分は正しいことをやっている、だから周囲の無関係なは迷惑を被ってもかまわないとおもっている。

 以前、歩道橋で盲導犬のための募金をしている団体が、通路いっぱいに広がって歩行者の通行を妨げていた。注意されてもまったくおかまいなし。正義のための行動とおもえば他人への迷惑など気にもならないのだろう。

“正義”はおそろしい。どんなにひどいこともできてしまう。たいていの戦争も正義によって引き起こされる。あの民族は我々を攻撃しようとしているから正義のために立ち向かおう! と。

 正しいことといちばんいい結果を生むことはまた違うんだけど、“正しい”人には理解できないんだよね。自分はこんなに正しいのになぜ非難されるのか! と。

 ぼくは接客業をしていたとき、様々な失敗を通して「自分が正しいときこそ気を付けなければならない」と学んだ。自分のミスで客に迷惑をかけてしまったときはかんたんだ。正直に謝ればいい。怒られても大きなクレームにはならない。むずかしいのは、客側がまちがっていたり、不正をはたらいたりしたとき。ストレートに「あなたまちがってますよ!」とやると、けっこうな割合で後々大きな問題になる。自分が正しいときは制御がききづらくなっちゃうんだよね。

「自分は差別もするし不正義もおこなう」ということを常々己に言い聞かせなくちゃね。


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差別主義者判定テスト



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2024年6月16日日曜日

【読書感想文】スティーヴン・オッペンハイマー『人類の足跡10万年全史』 / 30年前の人類も宇宙旅行ができた

人類の足跡10万年全史

スティーヴン・オッペンハイマー(著)  仲村明子(訳)

内容(e-honより)
現生人類はアフリカで生まれた。一度は絶滅しかかったわれわれの祖先は、やがてアフリカを旅立つ。だがその旅立ちはたった一度しか成功しなかったという。なぜか?そしてアジアへ、オーストラリアへ、ヨーロッパへ、アメリカへ。人類は驚くべき速度で世界各地へ拡がっていった。気候の激変、火山の大噴火、海水面の大変動、さまざまな危機を乗り越えて―一体いかにして、どの道を通って、われわれは今ここにいるのか?その足跡はいかなる形でわれわれに受け継がれているのか?遺伝子に刻まれた人類の壮大な歴史を読み解き、化石記録と気候学からその足どりを追う!人類史の常識を覆す画期的な書。

 人類がアフリカで誕生した後、どのように世界に広がっていったのかを、考古学的、遺伝的証拠から解き明かした本。

 とても丁寧……なのはいいけど、丁寧すぎる。はっきりいって門外漢には難解すぎた。まだ結論だけ書いてくれりゃいいんだけど、「Aという説もある。これはこうこうこういう理由で賛同しがたい。B説はこのような理由でもっともらしいが、かくかくしかじかの証拠により信憑性が低い。一方のCにはこのような証拠があり……」と延々書いてくださるので、読んでいて眠くなってしまう。

 ううむ、こっちは一緒に研究をしたいわけじゃなくて結論だけ読んで「へーそうなんだー」とばかみたいにつぶやきたいだけなのに。


「人類がアフリカを出たのはいつか」の話はおもしろかった。

 アフリカを出たといったってユーラシア大陸と陸続きになってるんだからかんたんに出られるじゃんとおもうのは今の感覚で、数万年前の人類にとって、そして当時の環境では、アフリカを出るというのはいくつもの偶然が重ならないとなり遂げられない難事業だったそうだ。

 アフリカは、地上を歩くさまざまな人類が生まれた場所である。この遠大で隔離された自然の実験室は、砂漠と緑とのはてしない循環のなかで人類をつくりあげてきた。サハラ以南のアフリカに見られるサバンナと森林のパッチワークは、事実上、環境によってつくられる二組の通路によって他の世界から隔離されている。この二〇〇万年のあいだ、それらの通路は家畜をいれる巨大な囲いのような働きをし、いくつかの門が交互に開いたり閉じたりしてきた。一方の門が開いているとき、もう一方はたいてい閉じていた。一方は北へ向かい、サハラからレバント、ヨーロッパへとつづいていた。もう一方の東への門は、紅海の入り口からイエメン、オマーン、そしてインドへとつづいていた。どちらの門が開くかは氷河作用の周期によって決まり、それによって、人類を含む哺乳動物がアフリカから移動するとき、北のヨーロッパへ行くか、東のアジアへ行くかが決まった。
 今日、アフリカとユーラシア大陸をつなぐ通路は一つしか残っていない。つまり北のシナイ半島だ。サハラとシナイを通ってその他の世界へつながるこの通路は、ふだんは極度に乾燥した砂漠だが、地球の軌道と極軸の傾きの変動により、短い温暖期が生じたときにだけ開く。地質年代におけるこのつかのまの出来事は、太陽の熱が極地を溶かし、それにつづいて地球が暖かく湿潤になるおよそ一〇万年ごとに起こる。サハラ、シナイ、そしてオーストラリアの砂漠に湖ができ、緑が生い茂り、短い地質年代の春に花が咲きそろう。しかしこの暖かい期間はごく短いもので、北アフリカの天候の門は移住者たちにとっては死の罠となることもあった。

 アフリカ大陸から外に出るには北と東の出口があったが、砂漠によって閉ざされていた。地球規模での気候変動によりごくわずかな期間だけ(といっても数千年規模だが)サハラが歩いて通行できるようになる。

 その間隙をついてアフリカを脱出した人類は、一部は海沿いを東に進んでインド、インドネシア、オーストラリアへと渡り、一部は北に分かれて東アジアやロシアとアラスカの間のベーリング海峡を渡って(これまた一時は陸続きになっていたため)北アメリカ大陸、そして南アメリカ大陸へと移動した。また一部はインドあたりから北西に進んでヨーロッパへと渡った。

 このように人類はずっとずっと旅をして、世界中に広まった。何万年もかけて。

 大航海時代に世界を舞台に冒険をしたがったとか、アメリカ人がフロンティアスピリッツを持っているだとか言われているけど、その時代の人間にかぎらず、人類はずっと未知なる場所を探して旅をしつづけてきたんだね。もっといえば、人間にかぎらず、他の動物や植物だってそうやって居住地を広げてきた(あるいは失敗して絶滅してきた)んだけど。


  少し前に読んだ三井 誠『人類進化の700万年』にも書いてあったが(タイトル似てるなー)、人間の個々の能力というのは数万年前と比べて高くなっているわけではない、どちらかといえば劣っている可能性が高いそうだ。筋力や持久力はもちろんのこと、知能でさえも。

 マクブレアティとブルックスの描くシナリオでは、行動の現代人性を特徴づける諸要素はすべて、アフリカの中期石器時代までたどることができる。これは三〇万年前に技術的なビッグバンがあったことを意味するのではない。彼らの証拠が強調するのは、そこから人類の技術の加速があったということで、初めはゆっくりと、それから速度を増していった。早期の進歩はそれぞれが小さなものでゆっくりと現れたが、世代にわたり多くの知識がさまざまな利益として伝えられ蓄積されはじめると、文化的な進化は遺伝的な進化をはるかに追い越すようになっていった。見方を変えれば、もしほんとうに三〇万年前に文化的な進化が遺伝的な進化に取って代わったなら、わたしたちと彼らとのちがいはただの文化的な相違ということになり、旧ホモ・サピエンスが今日わたしたちのあいだに生きていれば、彼らには人を月に送れるだけの知的能力が十分にあるということだ。

 ついつい今の自分たちが人類史上最も賢いとおもってしまうけれど、我々の科学力が高いのは先人たちが残した膨大な知識の蓄積の上に立っているからであって、今生きている人類がゼロから発見したことなんてほとんどない。

 何度読んでもついつい「今の人類がいちばん賢い」と勘違いしてしまうので、これは胸に刻んでおかねば。


 この本、「ヨーロッパ人は自分たちが人類進化のいちばん最終形態であり最も優秀だとおもってるがそんなことはないぜ」みたいな論調にすごくページが割かれてるんだよね。

 いやいやべつにヨーロッパ人がいちばん賢いなんておもってないぜ、誰と闘ってるんだよ、とおもうけど、実際のところ「人類が最後に到達したのがヨーロッパで、だから最も優秀なのだ」とする考え方がかつてあり、今でも(特にヨーロッパに)根強く残っているのだそうだ。

 ま、どこの国にもいるよね。自分たちがいちばん優秀だ! って人が。自分自身ではなく自分が属している民族にしか誇りを持てない人が。


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2024年6月14日金曜日

【読書感想文】前野 ウルド 浩太郎『バッタを倒すぜアフリカで』 / 令和の坂本龍馬(の一般的イメージ)

バッタを倒すぜアフリカで

前野ウルド浩太郎

内容(光文社HPより)
バッタの群れは海岸沿いを飛翔し続けていた。夕方、日の光に赤みが増した頃、風向きが変わり、大群が進路を変え、低空飛行で真正面から我々に向かって飛んできた。大群の渦の中に車もろとも巻き込まれる。翅音は悲鳴のように重苦しく大気を振るわせ、耳元を不気味な轟音がかすめていく。このときを待っていた。群れの暴走を食い止めるため、今こそ秘密兵器を繰り出すときだ。さっそうと作業着を脱ぎ捨て、緑色の全身タイツに着替え、大群の前に躍り出る。
「さぁ、むさぼり喰うがよい」

 アフリカを救うためにバッタの研究に人生を捧げる昆虫学者の奮闘記・第二弾。
前作『バッタを倒しにアフリカへ』の感想はこちら

 前作を読んでいない人には「アフリカを救うって何をおおげさな」とおもうかもしれないが、決しておおげさな話ではない。この人はアフリカで何万人もの命を救うかもしれない人なのだ。

 サバクトビバッタのメスは一週間おきに百個ほどの卵を産み、それを生涯(数ヶ月)くりかえす。さらに幼虫は数週間で卵を生産できるようになるという。

 もちろんほとんどの昆虫の例に漏れず、大半は天敵に食べられてしまい、大人になって卵を産めるようになるのはごく一部だ。が、それはあくまで通常時の話。

 大干ばつが起こるとバッタの天敵が死滅してしまう。その後に大雨が降ると、大量のバッタが捕食されないまま成虫となり、とんでもない大繁殖をする。なにしろ数週間で数百倍になるのだ。ねずみ算どころの話じゃない。

 こうして何百万、何千万、何億という数のバッタが群れになり、移動する。移動の途中でありとあらゆる植物を喰う。農作物はみんなダメになる。その被害は途方もない。バッタの大群が通った後には、比喩ではなく、草一本残らない。人間はもちろん、家畜も野生動物も被害を受ける。

 ぼくは子どもの頃、手塚治虫の『ブッダ』や『シュマリ』を読み、バッタの大群の恐ろしさにふるえあがったものだ(『シュマリ』では人まで喰われていた)。

 バッタの大発生を防ぐことができれば、アフリカの国々は大いに助かることになる。「アフリカを救う」は決してオーバーな表現ではないのだ。




 バッタの繁殖を抑えるには、バッタの交尾や産卵について知らなくてはならない。交尾・産卵を邪魔することができれば数の増加を抑えることができるし、交尾中は無防備になるので殺虫剤散布も効果を上げやすい。

 そのためにはバッタの雄と雌がどこにいるかを調べる必要がある。

 私が選んだ実験方法は「目視」。極めて原始的な研究方法だ。とはいえ、バッタの雌雄の判別能力はおそらく世界トップレベルだし、視力が裸眼で2.0ある私にはピッタリだ。
 複数の研究者が同じ仮説を立てたとしても、検証する方法には個人差があるように思う。めちゃ大変な方法でアプローチするか、一工夫することでラクしてデータをとるか、クスリと笑っちゃうような方法を編み出してデータをとるか。「どんなデータをどうやってとるか」には、研究者の「色」が滲み出てくる。
 私は、化学はさっぱりだし、分子生物学もどういうわけか理解が及ばず、ローテクしか使えない呪いがかけられている。日本では周りの研究者たちがハイテクを駆使し、なにやらきらびやかな研究を推し進めており、時代遅れのようで恥ずかしかった。
 しかし、物資や設備が制限されたサハラ砂漠では、ローテクはほとんど影響を受けず、いつものパフォーマンスを発揮できる。自分の能力を最大限発揮できる場所がここサハラ砂漠で、しかもサバクトビバッタを研究しているときなのだ。

 離れたところからでもバッタの雌雄を見分けることができる能力。他の人が持っていても何の役にも立たない能力だが、著者はこの能力を駆使して、ある場所にいるバスが雄ばかりであることに気づく。それをきっかけに、それまで研究者の間でも知られていなかったバッタの繁殖行動に関する発見をするのだ。特殊能力が大発見につながるのだ。かっこいい。

 この「目視でバッタの雄雌を数える」もそうだが、著者がやっていることはとにかく地道で労力のかかる作業だ。炎天下の砂漠で一日中バッタを観察したり、バッタが発生したと聞けば車を飛ばして駆けつけたり。

 私が考えついた方法はこうだ。
 集団飼育した幼虫が羽化したらすかさず背中に修正液で背番号をつけて、集団飼育下でも個体識別できるようにし、産卵履歴を追うのだ。
 雌雄合わせて40匹ほどを一つの飼育ケージに入れて集団飼育すると、約2週間で性成熟し始める。産卵用の砂床を飼育ケージにセットし採卵する。産んだ直後を0日とし、産卵0~6日でメス成虫を解剖するのだが、きっかり24時間後、ジャスト1日単位の卵巣発達に関するデータをとるようにするには、各個体が何日の何時に産んだかを記録する必要がある。
 そこで、朝9時から夜の20時まで産卵床を与え、それ以外の夜間は与えないようにした。
 なかには産卵床がない夜間にケージの床に産卵してしまう個体もいる。そのような個体を排除するために、全てのメス成虫を毎朝体重測定し、産卵に伴って体重が激減した個体を把握するようにした。
 そして、飼育室に住み込む代わりに、産卵の確認を30分ごとに行う。産卵は2時間近く続くため、30分以内に産卵を終了する個体はまずいない。「安くて、早くて、美味い弁当を開発せよ」という無茶な注文に答えなければならない状況があるように、あちこちの要望にこたえられるように実験を計画するのも研究の醍醐味である。

 バッタ一匹一匹の身体に直接背番号をつけて30分ごとに観察して産卵記録をつけたり。

 うーん。ハードだ……。ぼくはすぐに「なんとかして楽をできないか」と考える人間なので、こういうひたすら地道な作業は大の苦手だ(逆にVBAやRPAのような作業を楽にしてくれるツールをいじるのは大好きだ)。

 しかしぼくのようにな人間は、すでにあるものを加工することはできても、まったく新しいものを発見したり生みだしたりはできない。誰にも真似のできない発見や発明をできるのは、砂漠でバッタを追いかけたり、30分ごとにバッタの観察をしたりする人なのだろう。




 著者は研究者としてももちろんすごいが、それに加えて、文章もおもしろい。なぜおもしろいかというと、人との関わり方が濃密だからだ。

 アフリカの友人からビジネスをはじめたいと言われればポンと百万円単位の金を出す(事業は失敗し金は返ってこない)、賞をもらえば賞金は研究所の職員たちで分ける(しかも総額は賞金よりも高い)。

 とにかく気風がいい。人のために気前よくお金を使う。労力も使う。だからみんなから好かれる。好かれるから評価が上がり、仕事やお金が入ってくる。それをまた人のために使う。なんとすばらしいスパイラルか。こういう人ばかりなら経済はすごく良くなるのだが。


 お金だけでなく、「人のため」「社会のため」「未来のため」という著者の意識が本の節々にあふれている。

 はっきり言って、もっと若手研究者の可能性に懸けてほしい。サバクトビバッタは地球規模の農業害虫で、モーセが海を割った頃から問題となってきた。サバクトビバッタに縁もゆかりもない日本の、若手研究者(当時31歳)、しかもフィールドワーク初心者が生態に関する謎の一端を解き明かすことができたのだ。これは、日本の義務教育や研究者育成システムの賜物と言える。日本に限らず世界の若手研究者は、世界が抱える難問を解き明かすポテンシャルを秘めている。
 ただ、今回の研究のように単純に時間がかかったり、研究者自身が成長しなければ手掛けられなかったりするものもあり、2~3年の研究成果だけで評価されるシステムだと、チャレンジングな課題に挑むことは難しい。それこそ今回の研究は10年かかった。なけなしの私費を投入し、自身の印税で元を取るような算段がうまくいくことは少ないはずだ。若手研究者が国内外で成長し、研究に専念できる機会に恵まれる、日本学術振興会のようなシステムの維持・構築は極めて重要な社会の課題だ。
 これは研究に限った話ではない。

 バッタという小さいものも追いながら、学問全体のことを考え、国家全体、世界全体の未来を見据えている。

 なんかさ、「一般的な坂本龍馬のイメージ」ってあるじゃない。豪快で、視野が広くて、未来のことを見据えていて、誰からも好かれて、頼りになる感じのイメージ。実際の坂本龍馬がどうだったか知らないけど。

 前野ウルド浩太郎という人はそのイメージにぴったり。

 ほんと、百年後の教科書に載っているかもしれない人だしね。


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