こんな差別が
小林 初枝
高校司書、主婦をやりながら被差別部落の解放運動に取り組んでいる著者によるエッセイ。1980年刊行。
ぼくは学校で部落差別について教わったが、住んでいた場所が戦後に開発された住宅地だったこともあり、小中学生時代に直接部落差別を見聞きしたことはなかった。なにしろみんなよそから移り住んだ人だったしね。あの人は以前どこに住んでいた、なんて気にすることもなかった。
ちょっと身近に感じたのは二回。一度目は高校生のとき。大阪から引っ越してきた友人が「あの××って地域は部落やろ?」と言ったのだ。その××という場所には皮革工場があり、街全体に独特のにおいが漂っていた。ぼくも「あのへんはくさいし汚いな」とはおもっていたが、それと学校で習った部落差別を結びつけて考えたことがなかった。友人から言われてはじめて「ああ、〝部落〟ってのはああいう場所のことか」とおもったものだ。といっても知ったところで何も変わらなかった。××に住んでいる知人がいなかったからかもしれない。
二度目は大学生のとき。ぼくが「△△にマンション借りた」と伝えると、また別の友人から「そのへんは部落地域で交通事故とか起こすとややこしいことになるから気をつけろよ」と忠告された。その友人とは長い付き合いだったがそういうことを口にする人間ではなかったので、こいつがそんなこと言うんだと驚いた記憶がある。そのマンションには一年住んだがべつにご近所トラブルのようなものはなかった(風通しが悪くて室内に湿気がこもったのには閉口したが)。
ということで、部落差別については学校の道徳の時間に習った程度の知識しかなく、その道徳の授業についても具体的な事例などはほとんど挙げることなく「住んでいる地域で不当な扱いを受けることがありました。それは良くないことなのでみなさんはやめましょう」ぐらいの抽象的な話しかなかった(具体的に言うとまずいことがいろいろあるからだろう)。
だから部落差別といってもぼくにとってはどうもナチスのホロコーストとか黒人奴隷とかと同じで、いつかどこかで起こったらしい遠い世界の野蛮な出来事、ぐらいの感覚しか持てないのが正直なところだ。
この本の著者は被差別部落出身、それも1930年代生まれということで、ごりごりの差別を受けて生きてきたようだ。
さすがに戦後は様々な法律ができてあからさまな差別は減ったようだが、それでも1970年代の人々の意識の中ではずいぶん生き残っていたようだ。
知人男性から結婚相手を紹介してほしいと頼まれた著者が、知り合いの女性がいいのではないかと思い、その女性の母親に見合いの話を持ちかける。すると母親は「うちは部落ですけど、相手の男性は了解しているのでしょうか」と心配したという話。
この「自分は気にしないけど周りがなんというか……」という口実、この本に再三出てくる。これこそが差別のいちばん根深い問題だよね。自分は差別をしていると自覚をしていない差別主義者。
上野千鶴子『女の子はどう生きるか』という本に、女性が不当に差別されているという話をさんざんしている傍らで、上野千鶴子はこんなことを書いていた。
女性差別はいけないといいつつ、東大生男子やオッサンはどれだけ偏見の目で見ても、差別してもかまわないとおもっている。「ここでいうオッサンとは、中高年のオヤジのことではありません」と書けば差別じゃない、でも「オバサンはバカだ。ここでいうオバサンとは中高年女性のことではありません」は差別だとおもう人間。
こういう人間がいちばん厄介だ。「おれは〇〇人が嫌いだ!」なんてやつのほうがずっとマシだ。変わる余地がある。
自分は差別主義者ではない。周りの人間がそうなのだ。こうおもってる人間がいるかぎり差別はなくならない。
この本、いろんな“差別を受けた話”が出てくるのだが、これはひどいなとおもうこともあれば、「それって……どうなの?」と言いたくなる話も多い。
たとえば、お店に行ったら、店主から△△さんと呼ばれた。縁もゆかりもない苗字なので、なぜそんな苗字で呼ぶのですかと尋ねると、「お客さんはどこそこの人でしょう、あそこには△△という苗字が多いのでまちがえました。すみません」と謝られた、という話。
失礼だな、とはおもう。当て推量で人の名前を呼ぶなんて。
ただそれって大騒ぎするような差別なんだろうか。「大阪人なの? じゃあやっぱり家にたこ焼き器ある?」レベルの話なんじゃないだろうか。
それで気を害する人もいるかもしれないけどさ。でもこのエピソードだけでは部落差別かどうかよくわかんないんだよね。その店主は被差別部落じゃない地域の人に対しても同じような態度をとっているのかもしれないし。
この本を読むと、数十年前に比べると今は部落差別は根絶とまではいかなくても、ずっと減ったなとおもう。
今でも部落差別をする人はいる。それでも、少なくともぼくの周りではそういう話をする人はいない。触れないようにしているわけではなく、ほんとにまったく気にしていない。結婚相手の家がそういう地域かどうかなんて、気にする人のほうが少ないだろう。地方にいけばわからないけど。
ただ。
著者のように部落解放運動をしてきた人たちのおかげだ……とはあんまりおもえないんだよね、ぼくは。
瀧本 哲史『2020年6月30日にまたここで会おう』には、人々が信じるのが天動説から地動説に代わったのは学説の正しさが証明されたからではなく、古い常識を持っていた人たちが死んで、新しく学者になった若い人たちに入れ替わったからだと書いている。
そういうことなんだよね。口うるさく言われたからって人の考えはそうは変わらない。逆に意固地になってしまうこともある。人々の意識が変わるのは、世代交代によるものが圧倒的に多いのだろう。部落差別なんてアホらしいぜ、という教育を受けてきた世代が多数派になれば自然と社会の意識は変わる。
この本を読んでいてぼくがいちばん胸を痛めたのは、著者の息子の心情に思いを馳せて。
ああ、この息子さん、かわいそうになあ。グレなきゃいいけど。
この件に限らず、ずっとお母さんのせいで嫌な思いをしてきたのだろう。部落差別のせいじゃない。お母さんのせいだ。
この本には「息子が私立中学校に行きたいと言いだした。理由を聞くと、お母さんがしょっちゅう学校とぶつかるから、周囲から変わった目で見られている、だから自分のことを知っている人がいない中学校に行きたいという。どうせ受からないだろうが、チャレンジして試験に落ちたらあきらめもつくだろうと受験させてみたら、合格してしまった。だが母親が平等のために部落解放運動をしているのに我が子だけ市立中学校に行かせているなんて知られたら、周囲から非難されるに決まっている。だからどうにかこうにか息子を説き伏せて地元の公立中学校に通わせることにしぶしぶ納得させた」というとんでもないエピソードが出てくる。
とんでもない毒親だとおもうのだが、著者はちっとも反省することなく「正義の運動のためにあくまで闘う私。家族にもそれを理解させたい」という調子で書いているのだ。
「息子も成長したというか、世間の風を感じるようになり、かつてのような一筋縄ではいかなくなりました。」という記述からも、自分に悪いことがあるとは微塵もおもっていないことがうかがえる。
部落解放運動に身を投じることがまちがっているとは言わないけれど、嫌がっている息子まで巻き込むことはほとんど虐待だろう。やっていることが正しくても、それを他人に強要することは正しくない。部落の人々を幸せにしようとする人が、自分の家族を不幸にしている。
正義のために行動する(と信じている人)ってこういうことを平気でやるよね。自分は正しいことをやっている、だから周囲の無関係なは迷惑を被ってもかまわないとおもっている。
以前、歩道橋で盲導犬のための募金をしている団体が、通路いっぱいに広がって歩行者の通行を妨げていた。注意されてもまったくおかまいなし。正義のための行動とおもえば他人への迷惑など気にもならないのだろう。
“正義”はおそろしい。どんなにひどいこともできてしまう。たいていの戦争も正義によって引き起こされる。あの民族は我々を攻撃しようとしているから正義のために立ち向かおう! と。
正しいことといちばんいい結果を生むことはまた違うんだけど、“正しい”人には理解できないんだよね。自分はこんなに正しいのになぜ非難されるのか! と。
ぼくは接客業をしていたとき、様々な失敗を通して「自分が正しいときこそ気を付けなければならない」と学んだ。自分のミスで客に迷惑をかけてしまったときはかんたんだ。正直に謝ればいい。怒られても大きなクレームにはならない。むずかしいのは、客側がまちがっていたり、不正をはたらいたりしたとき。ストレートに「あなたまちがってますよ!」とやると、けっこうな割合で後々大きな問題になる。自分が正しいときは制御がききづらくなっちゃうんだよね。
「自分は差別もするし不正義もおこなう」ということを常々己に言い聞かせなくちゃね。
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