大人のための社会科
未来を語るために
井手 英策 宇野 重規 坂井 豊貴 松沢 裕作
社会科学者たちによる、日本社会を解きほぐすための本。「教科書」とついているが教科書のように初学者向けの内容ではなく、ふつうに社会科学の本だった。
GDPについて。
なるほどなあ。「経済成長」という言葉は主にGDPの伸びをもとに語られるけど、必ずしもGDPが増えれば市民の生活がよくなるというわけではないのだなあ。最近は電気代やガソリン代が値上がりしていて、結果的にGDPも伸びているわけだけど、あたりまえだけど電気代が上がったって暮らしはよくならない。物価上昇分以上に賃金が上がらなければむしろ悪くなる。
そう考えると、経済成長ってなんなんだという気になってくる。経済成長は選挙の争点にもなったりするけど、国民みんな壮大な詐欺にあってるんじゃないか。
「経済成長」という呼び方がもうウソをはらんでいるよね。「経済膨張」ぐらいがいいんじゃないの。
日本は高福祉の国というイメージもあるが、国民の意識はむしろ逆で、日本は「自己責任」という感覚が強い国なんだそうだ。
教育はともかく、住宅や医療や介護については「個人の問題」という意識が強い。「あなたが住む家なんだから、購入費や家賃を負担するのはあなたでしょ」とおもうし、「あなたの介護が必要になったらそれをするのはあなたの家族」と考える。
あまりに深く根付いている意識なので疑うこともないけど、改めて考えたら個人に還元すべき問題なのだろうか。住居は誰にとっても必要なものなのだから学校や道路や警察と同じようにすべて税金で負担したっていいんじゃないだろうか。医療や介護だって、誰だって必要となるものなんだから全額税金でまかなったっていい。
ううむ。考えれば考えるほど、なんで個人で負担してるんだろ? という気になってきた。
そりゃあ、超高級マンションに住みたい人は自己負担で買えばいいけど「最低限度の生活が送れればそれでいい」って人には格安で住居を提供したっていいよね。学生とかさ。今でも県営住宅とかはあるけど圧倒的に数が足りない。
病院や介護施設だって、警察や消防と同じで「お世話にならずに済むならそれに越したことはないけどどれだけ気を付けてても必要になることはある施設」なんだから個人負担はもっと少なくていい。老人だけ負担率を低くする、みたいなわけのわからない制度じゃなく、一律数パーセントの負担にしたらいい(タダにしちゃうと必要ないのに行く人が出かねないのでちょっとはお金をとったほうがいい)。
ジョン・フォン・ノイマン(コンピュータの生みの親)が生み出したコンピュータが優れていたのは、かんたんな仕組みでミスを起こりにくくしたからだという。
コンピュータといえどもミスは起こる。だが「ひとつの計算を複数の回路でおこない、多数派の結果を採用する」とすれば、ミスが起こる確率は激減する。
たとえば100回に1回ミスを起こす回路がある。ミスを起こす確率は1%だ。
だが「3つの回路でそれぞれ計算をおこない、多数派の結果を採用する」とすれば、3つのうち2つ以上が同時にミスをする確率は
(1/100)^2 × 99/100 × ₂C₃ + (1/100)^3 ≒ 0.03%
となる(だよね?)。回路の数をもっと増やせば、ミスが起こる確率は限りなく0に近づく。
多数決は、基本的にこれと同じ考え方だ。
ボスはおらず、空気や扇動に流されず、デマ情報に惑わされずに完全に独立した意思に基づいて投票行動をおこなう市民……。ま、いないよね。どこにも。
ということで多数決は理論上は有用な手段なのかもしれないけど、現実的には「影響力のでかい人間のおもいつきで決める」のと大差ない。まったくもって民主的じゃない手段なんだよね。
だったら他の方法がいいのかというとそれぞれ一長一短があるから決定的な方法はないんだけど、問題は「多数決で選ぶ」=「民主的に選ぶ」と誤解されていることだよね。多数決、小選挙区制という歪んだルールのゲームを制しただけなのにおこがましくも「自分たちは民意で選ばれた」と勘違いしてるバカ政治家もいるしね。
「多数決は便宜的に用いている手段であってまったく民意を反映していない」という認識が広がれば、もうちょっとマシな政治ができるようになるのかもしれないね。
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