人体六〇〇万年史
科学が明かす進化・健康・疾病
ダニエル・E・リーバーマン(著) 塩原 通緒(訳)
はあ疲れた。
とにかく長い。いや、長いことはいいんだが、ひたすら同じことのくりかえし。これなら上巻だけでもよかったぐらい。
出てくるエピソード自体はけっこうおもしろいのだが、これでもかと事例を挙げてくるので「もうわかったから」と言いたくなる。
この本で書かれているのはこんなことだ。
- 人類は狩猟採集生活を送れるよう、数万年、数百万年かけてその身体を進化させた
- 狩猟採集生活を送っていた時代が圧倒的に長く、農耕生活を送るようになってからはたった数千年と(人類の歴史から見れば)まだ日が浅い
- そのため、農耕生活を送ることにはまだ人類の身体は適していない。ましてや現代人の生活には身体が追いついていない
- そのため、にきび、アルツハイマー、喘息、水虫、虫歯、うつ病、偏平足、緑内障、痛風、痔、高血圧、腰痛、近視、胃潰瘍、骨粗鬆症などの〝進化的ミスマッチ〟が起こっている。これらは狩猟採集生活を送るために進化した身体に、現代人の生活が適していないためである
- 生存や子孫を残すことに不利な病気などは自然淘汰されてゆくが、〝進化的ミスマッチ〟の多くは生殖適齢期を過ぎてから顕在化するため、自然淘汰の対象になりにくい。
これを、手を変え品を変え説明してくれる。いやあ、衝撃的事実みたいに語ってるけど、そこまで意外でもないんだけどな……。
あと、狩猟採集生活をしていた人類は虫歯にも腰痛にも高血圧にもならなかったみたいに書いてるけど、ほんとかね。そのへんが怪しいんだよな。証拠が見つかってないだけで、なかったことは証明されてないし。腰痛になるような年齢に達する前に死んでいたんじゃないか、という説を著者は否定しているが、そのへんの論理もどうもあやしい。
これはちょっと眉唾なんだよなあ。仮にこれが事実だったとしても、大事なのは〝生まれた子供が乳幼児期に死亡する率も高い〟のとこなんだよな。長生きした人は健康だったとしても、大半が乳幼児期に死んでしまうんじゃあなあ。
人類が二足歩行をはじめた理由について。
二足歩行は、四足歩行よりも遅い。短距離走をすれば、人間はほとんどの大型哺乳類に負ける。
だが二足歩行はトップスピードこそ遅いが、移動時のエネルギーを節約できるというメリットがある。長距離を走るのには適している。
しかもヒトは汗をかける。二足歩行によって直射日光にさらされる表面積が少なく、体温上昇が抑えられるという利点もある。
そのため、ヒトは全動物の中でもトップクラスに長距離走が得意なんだそうだ。
そういやイギリスには「Man v Horse Marathon」というマラソン大会があるらしい。これは、人間のランナーと、人を乗せた馬が同時に約35kmを走る大会だ。この大会、ほとんどの場合は馬が勝つが、人間が勝ったことも過去に三度あるのだそうだ。短距離走で人が馬に勝つことは不可能だから、いかに人間が長距離走に向いているかがわかる。まあ「Man v Horse Marathon」で馬のほうは人間を乗せて走るからハンデを背負っているわけだが……。
銃がない時代の狩猟ってどんなのだったか。ぼくのイメージは、原始人たちが石オノを持ってわーっとマンモスを追いかけているイメージだ(たぶん、昔やってた日清のカップヌードルのCMの影響)。
でも、じっさいはそんなのではなかったらしい。ヒトは遅いから、たいていの獲物に短距離走で追いつくことができない。
原始時代の狩りは、シマウマやヌーを何十キロも追いかけつづけ、相手がばてて倒れこんだところを狩る「持久狩猟」だったらしい。
追われる側からするとなんともいやらしい相手だ。
ヒトと他の動物との最大の違いといえば大きな脳だが、じつはもうひとつ、「短い腸」という特徴もあるのだそうだ。
腸が短いということは、消化能力が低いということ。だからヒトは、草食動物と同じものを食べて生きてゆくことはできない。
脳と腸の、重さあたりの必要エネルギーはほぼ同じぐらい。だから大きな脳と長い腸の両方を維持することはできない。ヒトは、長い腸を捨て、その代わりに大きな脳を手に入れたわけだ。
我々はほとんどの食材をそのまま食べることはできない。その代わり、大きな脳を使って食物を解体、加工、調理することができる。食べやすく、消化しやすくするために。
こうして我々の脳は大きくなり、それと反比例して、歯は小さくなり、腸も短くなった。今さら過去の食生活には戻れない。調理をしないと生きていけない身体になってしまったのだ。
ヒトが進化によって手に入れたものに「複雑なメッセージを伝えることのできる声」もある。だが、声にはいいことばかりではないようだ。
食べ物をのどに詰まらせるのはヒトだけなんだそうだ。声を出しやすくしたことで、食べ物がのどに詰まりやすくなった。餅をのどに詰まらせて死ぬのは、しゃべれるからなのだ。
進化ってなかなかうまくはいかないもんだねえ。たいてい、何かを手に入れるためには何かを失うことになる。
二足歩行をすれば長距離走が得意になったり両手が自由に使えるというメリットがあるが、短距離走は遅くなるし腰痛も引き起こす。
脳を大きくすればエネルギー不足に陥るため、腸や歯を小さくしなくてはならない。
しゃべれるようなのどの構造にすれば、食べ物がのどに詰まりやすくなる。常に代償がつきまとう。
我々が食べているものの多くは、農業によって収穫されたものである。これは現代人にとってはあたりまえだが、人類の歴史から見ればあたりまえではない。農業をしていなかった時代のほうが圧倒的に長い。
したがって、農産物に頼った食生活をしていると、様々な身体上の問題を引き起こす。
我々は「野菜は身体にいい」とおもいこんでいるが、そもそも農産物は我々の身体にとって最適ではないのだ。
農産物に頼っていると、栄養の多様性が失われる、飢饉に弱い、デンプンの摂りすぎによる虫歯、糖尿病などの問題が起こる。
埋伏智歯(親知らず)も、農産物を食べるようになってから起こった問題らしい。
狩猟採集民は、親知らずはふつうに生えていたそうだ(だから親知らずじゃない)。やわらかいものを食べるようになったことで咀嚼の回数が減り、あごが細くなったために生えられなくなったのだ。
親知らずがあることこそが、我々の身体が暮らしに適応できていない証拠だ。
身体の進化が環境の変化に追いつかない〝進化的ミスマッチ〟は、どんどん大きくなっている。
ここ数千年、わずかな例外をのぞいて人類は(平均的に見れば)自分の親世代より長生きしてきた。
だが、もしかするとそろそろそんな時代は終わるのかもしれない。特に先進国においては。我々は、平均寿命が延びる時期から短くなる時期への転換期に生きているのかもしれない。
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