2022年12月2日金曜日

【読書感想文】ダニエル・E・リーバーマン『人体六〇〇万年史 科学が明かす進化・健康・疾病』 / 農産物は身体によくない

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人体六〇〇万年史

科学が明かす進化・健康・疾病

ダニエル・E・リーバーマン(著)  塩原 通緒(訳)

内容(e-honより)
人類が類人猿から分岐し二足歩行を始めてから600万年。人類の身体は何に適応しどのように進化してきたか。速さ、強さ、運動能力で他より劣るにもかかわらず厳しい自然選択を生き残ったのはなぜか。両手が自由になり長距離走行が可能になったことで得た驚くべき身体的・文化的変化とは。「裸足への回帰」を提唱する進化生物学者リーバーマンが、人類進化の歴史をたどりながら現代人の抱える健康問題の原因を明らかにする。

 はあ疲れた。

 とにかく長い。いや、長いことはいいんだが、ひたすら同じことのくりかえし。これなら上巻だけでもよかったぐらい。

 出てくるエピソード自体はけっこうおもしろいのだが、これでもかと事例を挙げてくるので「もうわかったから」と言いたくなる。




 この本で書かれているのはこんなことだ。

 進化的ミスマッチ仮説とは、基本的に、遺伝子と環境との相互作用の変化に適応の理論を当てはめたものだ。ざっと要約してみよう。あらゆる世代のあらゆる人は、周囲の環境と相互作用する数千の遺伝子を受け継いでいるが、それらの遺伝子の大半は、何百世代、何千世代、ことによると何百万世代も前に、特定の環境条件のもとで祖先の生存能力と繁殖能力を高めるために選択されたものである。したがって、あなたが受け継いでいるそれらの遺伝子のおかげで、あなたは特定の活動や、食物や、気候条件や、その他もろもろの環境的な側面にさまざまな程度で適応している。しかし同時に、環境の変化によって、あなたはときどき(つねにではないが)別の活動や食物や気候条件などに対して十分な適応ができていない。この適応不全の反応が、ときどき(これまた、つねにではないが)あなたを病気にかからせる。たとえば自然選択は過去数百万年のあいだに、果実、塊茎、野生の鳥獣、種子、木の実など、繊維は豊富だが糖分は少ないさまざまな食物を摂取するように人間の身体を適応させた。そのために、現代のあなたが糖分ばかりで繊維の少ない食物を絶えず摂りつづけていると、いつ2型糖尿病や心臓病などの病気が発症しても不思議ではないのである。同じように、果実しか食べないというのも、やはり病気にかかる原因となる。
  • 人類は狩猟採集生活を送れるよう、数万年、数百万年かけてその身体を進化させた
  • 狩猟採集生活を送っていた時代が圧倒的に長く、農耕生活を送るようになってからはたった数千年と(人類の歴史から見れば)まだ日が浅い
  • そのため、農耕生活を送ることにはまだ人類の身体は適していない。ましてや現代人の生活には身体が追いついていない
  • そのため、にきび、アルツハイマー、喘息、水虫、虫歯、うつ病、偏平足、緑内障、痛風、痔、高血圧、腰痛、近視、胃潰瘍、骨粗鬆症などの〝進化的ミスマッチ〟が起こっている。これらは狩猟採集生活を送るために進化した身体に、現代人の生活が適していないためである
  • 生存や子孫を残すことに不利な病気などは自然淘汰されてゆくが、〝進化的ミスマッチ〟の多くは生殖適齢期を過ぎてから顕在化するため、自然淘汰の対象になりにくい。

 これを、手を変え品を変え説明してくれる。いやあ、衝撃的事実みたいに語ってるけど、そこまで意外でもないんだけどな……。

 あと、狩猟採集生活をしていた人類は虫歯にも腰痛にも高血圧にもならなかったみたいに書いてるけど、ほんとかね。そのへんが怪しいんだよな。証拠が見つかってないだけで、なかったことは証明されてないし。腰痛になるような年齢に達する前に死んでいたんじゃないか、という説を著者は否定しているが、そのへんの論理もどうもあやしい。

前にも述べたように、狩猟採集民は小集団で暮らしているが、それは母親の出産間隔が長く、生まれた子供が乳幼児期に死亡する率も高いからだ。とはいえ、近年の狩猟採集民は必ずしも一般に想像されているような不潔で野蛮な生活をしてはおらず、短命でもない。幼児期を無事に生き延びられた狩猟採集民は、概して長生きする。最も一般的な死亡年齢は六八歳から七二歳のあいだで、ほとんどの人は孫を持ち、なかには曾孫まで持つ人もある。大半の人の死亡原因は、胃腸か呼吸器への感染症、マラリアや結核などの病気、さもなければ暴力や事故である。また、いくつかの健康調査から、先進国の高齢者の死亡や障害の原因となっている非感染性の病気のほとんどは、狩猟採集民の中高齢者にはまったく見られないか、見られたとしてもかなり珍しいことがわかっている。もちろん調査の数が限られているとはいえ、とりあえず報告されているかぎり、狩猟採集民のなかで2型糖尿病や、冠状動脈性心疾患、高血圧、骨粗鬆症、乳がん、喘息、肝疾患を患っている人は皆無に近い。さらに言えば、痛風、近視、虫歯、難聴、扁平足といった、ありふれた軽い疾患に悩まされている人もほとんどいないように思われる。むろん、狩猟採集民が完璧に健康な状態で一生を送れるというわけではなく、とくにタバコと酒がますます普及してきてからは、健康への悪影響も大きいだろう。しかし、それでも今日の多くのアメリカ人高齢者に比べれば、なんら医療的ケアを受けていないにもかかわらず、彼らのほうが健康であるように見受けられるのだ。

 これはちょっと眉唾なんだよなあ。仮にこれが事実だったとしても、大事なのは〝生まれた子供が乳幼児期に死亡する率も高い〟のとこなんだよな。長生きした人は健康だったとしても、大半が乳幼児期に死んでしまうんじゃあなあ。




 人類が二足歩行をはじめた理由について。

 二足歩行は、四足歩行よりも遅い。短距離走をすれば、人間はほとんどの大型哺乳類に負ける。

 だが二足歩行はトップスピードこそ遅いが、移動時のエネルギーを節約できるというメリットがある。長距離を走るのには適している。

 しかもヒトは汗をかける。二足歩行によって直射日光にさらされる表面積が少なく、体温上昇が抑えられるという利点もある。

 そのため、ヒトは全動物の中でもトップクラスに長距離走が得意なんだそうだ。


 そういやイギリスには「Man v Horse Marathon」というマラソン大会があるらしい。これは、人間のランナーと、人を乗せた馬が同時に約35kmを走る大会だ。この大会、ほとんどの場合は馬が勝つが、人間が勝ったことも過去に三度あるのだそうだ。短距離走で人が馬に勝つことは不可能だから、いかに人間が長距離走に向いているかがわかる。まあ「Man v Horse Marathon」で馬のほうは人間を乗せて走るからハンデを背負っているわけだが……。

 銃がない時代の狩猟ってどんなのだったか。ぼくのイメージは、原始人たちが石オノを持ってわーっとマンモスを追いかけているイメージだ(たぶん、昔やってた日清のカップヌードルのCMの影響)。


 でも、じっさいはそんなのではなかったらしい。ヒトは遅いから、たいていの獲物に短距離走で追いつくことができない。

 原始時代の狩りは、シマウマやヌーを何十キロも追いかけつづけ、相手がばてて倒れこんだところを狩る「持久狩猟」だったらしい。

 追われる側からするとなんともいやらしい相手だ。




 ヒトと他の動物との最大の違いといえば大きな脳だが、じつはもうひとつ、「短い腸」という特徴もあるのだそうだ。

 人間の奇妙な特徴の一つは、脳と消化管(空のとき)がどちらも重量一キログラムあまりで、同じような大きさをしているということだ。人間と同じくらいの体重の哺乳類の大半は、脳の大きさが人間の約五分の一で、腸の長さが人間の二倍ある。言い換えれば、人間は相対的に小さな腸と、大きな脳を持っていることになる。これに関する画期的な研究を行なったレズリー・アイエロとピーター・ホイーラーは、この人間独特の脳と腸の大きさの比率が、最初の狩猟採集民の登場とともに始まった一大エネルギー転換の結果だと提唱した。つまり初期ホモ属は本質的に、食事を良質なものに切り替えることによって大きな腸を大きな脳と交換したというわけだ。この論理によると、食事に肉を取り入れ、食料加工への依存度を高めることで、初期ホモ属は食べたものの消化に費やすエネルギーを大幅に節約できたので、余ったエネルギーを大きな脳の成長と維持にまわすことができた。

 腸が短いということは、消化能力が低いということ。だからヒトは、草食動物と同じものを食べて生きてゆくことはできない。

 脳と腸の、重さあたりの必要エネルギーはほぼ同じぐらい。だから大きな脳と長い腸の両方を維持することはできない。ヒトは、長い腸を捨て、その代わりに大きな脳を手に入れたわけだ。


 我々はほとんどの食材をそのまま食べることはできない。その代わり、大きな脳を使って食物を解体、加工、調理することができる。食べやすく、消化しやすくするために。

 こうして我々の脳は大きくなり、それと反比例して、歯は小さくなり、腸も短くなった。今さら過去の食生活には戻れない。調理をしないと生きていけない身体になってしまったのだ。




 ヒトが進化によって手に入れたものに「複雑なメッセージを伝えることのできる声」もある。だが、声にはいいことばかりではないようだ。

 だが、落とし穴もある。人間特有の声道の配置には、かなり大きな代償もともなうのだ。(中略)しかし人間の場合は、ほかのどの哺乳類とも違って、喉頭蓋が数センチほど低い位置にあるために軟口蓋と接触していない。首のなかで喉頭の位置を下げたことにより、人間は管の内部の管を失ったので、舌の奥に大きな共有スペースが発達し、食物と空気の両方がそこを通って食道か気道のどちらかに入ることになった。結果として、ときどき食物が喉の裏側に入って、空気の通り道をふさいでしまうことになる。人間は、大きすぎるものを飲み込んだり、うっかり飲み込み方を間違えたりしたときに、窒息を起こす危険のある唯一の種なのだ。全米安全性評議会によれば、食物の誤嚥による窒息は、アメリカの事故死因の第四位であり、自動車事故による死亡数の約一〇分の一を占めている。私たちは、より明確にしゃべれるになるのと引き換えに、大きな代償を支払っているのである。

 食べ物をのどに詰まらせるのはヒトだけなんだそうだ。声を出しやすくしたことで、食べ物がのどに詰まりやすくなった。餅をのどに詰まらせて死ぬのは、しゃべれるからなのだ。


 進化ってなかなかうまくはいかないもんだねえ。たいてい、何かを手に入れるためには何かを失うことになる。

 二足歩行をすれば長距離走が得意になったり両手が自由に使えるというメリットがあるが、短距離走は遅くなるし腰痛も引き起こす。

 脳を大きくすればエネルギー不足に陥るため、腸や歯を小さくしなくてはならない。

 しゃべれるようなのどの構造にすれば、食べ物がのどに詰まりやすくなる。常に代償がつきまとう。




 我々が食べているものの多くは、農業によって収穫されたものである。これは現代人にとってはあたりまえだが、人類の歴史から見ればあたりまえではない。農業をしていなかった時代のほうが圧倒的に長い。

 したがって、農産物に頼った食生活をしていると、様々な身体上の問題を引き起こす。

 我々は「野菜は身体にいい」とおもいこんでいるが、そもそも農産物は我々の身体にとって最適ではないのだ。

 農産物に頼っていると、栄養の多様性が失われる、飢饉に弱い、デンプンの摂りすぎによる虫歯、糖尿病などの問題が起こる。

 埋伏智歯(親知らず)も、農産物を食べるようになってから起こった問題らしい。

 狩猟採集民は、親知らずはふつうに生えていたそうだ(だから親知らずじゃない)。やわらかいものを食べるようになったことで咀嚼の回数が減り、あごが細くなったために生えられなくなったのだ。

 親知らずがあることこそが、我々の身体が暮らしに適応できていない証拠だ。




 身体の進化が環境の変化に追いつかない〝進化的ミスマッチ〟は、どんどん大きくなっている。

一方では、市場制度がさまざまなかたちの進歩を後押しして、先進国では多くの人が祖父母の世代よりも長生きできて、しかも健康的に生きられるようになった。しかし一方、資本主義は人間の身体にとって、決して良いこと尽くめではなかった。製造業者も販売業者も、人々の衝動と無知を食い物にするからだ。たとえば「脂肪ゼロ」と虚偽的広告を打った食品は、人々の購買意欲を大いにそそるが、実際それは糖類がたっぷり詰まった高カロリー食品で、消費者をいっそう太らせる結果になったりする。逆説的だが、いまや自分で努力してお金をかけないと、カロリーの少ない食品を摂取できないぐらいなのである。

 ここ数千年、わずかな例外をのぞいて人類は(平均的に見れば)自分の親世代より長生きしてきた。

 だが、もしかするとそろそろそんな時代は終わるのかもしれない。特に先進国においては。我々は、平均寿命が延びる時期から短くなる時期への転換期に生きているのかもしれない。


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