リアル人生ゲーム完全攻略本
架神 恭介 至道 流星
「人生」というゲームを作った神々が、ユーザー(人間)たちのクレームに答えるため、「人生」マニュアルを作ったところ、ユーザー(人間)たちが勝手にルールの隙間をつく攻略本をつくりだした……という設定の本。
前半は、ゲームデザイナーである神が、その上司からの指示に答える形で「人生」のマニュアルを書くパート。後半は人間による攻略本パート。圧倒的に前半のマニュアルパート(架神恭介著)のほうがおもしろい。
一方の攻略本パート(至道流星著)は退屈。「人生」の攻略本という設定なのに、ほとんど設定を無視して、21世紀の日本における経済の話ばかり。新書半分の分量で経済を語っているので当然ながら内容も薄い。ま、ちくまプリマ―新書(中高生向けレーベル)なので浅い話に終始してしまうのもしかたない面もあるが……。
前半の「創造主でありゲーム運営元である神から見た『人生』ゲーム」のパートはおもしろかった。
ギャグみたいな設定なのに、意外と設定がつくりこまれていて、こんなふうに細かい知識がちりばめられているのがいい。『聖☆おにいさん』のようなおもしろさがある。
そうか、ネアンデルタール人はβテスト参加者だったのか。だからβテスト終了と同時にネアンデルタール人は地球から退場して、一部はホモ・サピエンスとの混血という形で残ったのね。
これはなかなかいいことを言っている。
そうそう、何もかも公平な世の中なんてつまらない。というかやっていられない。
最近「親ガチャ」なんて言葉が流行ってて、どんな親から生まれるかで人生がある程度決まってしまう、という使われ方をしている。はっきりいって「親ガチャ」を言い訳にするのはあまり好きではないのだが(恵まれた人が「親ガチャがあたりだっただけです」と謙虚にふるまうのならいいんだけど)、しかし「親ガチャ」があるのは事実だ。金持ちで、教養を持っている親から生まれた子は、人生においてかなり有利なスタートを切ることができる。
ただ。
だったら、人生ゲーム(ボードゲームの)みたいに「全員同じ金額を持って、同じ能力を持って、同じスタート地点からスタート。とれる選択肢も、イベントが発生する確率も全員まったく同じ」という人生だったらどうか。
あいつの学校の成績が悪いのも、ぼくが運動ができないのも、あの子の年収が低いのも、君が異性にモテないのも、すべて「努力不足」になる。「おまえが不幸なのはすべておまえのせいだ。自己責任なんだから甘んじて受け入れろ」となる。
それこそ地獄だ。悪いことがあっても「親ガチャがはずれだった」と嘆くことのできる人生のほうがどれだけマシか。
不平等がはっきりしている社会は悲惨、完全に平等な社会もまた悲惨。
だが現実はもっと悲惨なのだ。なぜなら、ほんとは不平等なのに、「誰にでも成功するチャンスはあります」と言われているのだから。
マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』に「能力主義の理想は不平等の解決ではない。不平等の正当化なのだ」とあった。
アメリカなんて、ごくわずかな富裕層が社会の富の大半を占有している、ものすごく不平等な社会だ(日本もそれに近いし、どんどん近づいている)。昔なら革命が起こってもおかしくない。
だが革命が起こらないのは「誰もが平等だ。誰にでもチャンスはある」という嘘がまかりとおっているからだ。ま、厳密には嘘ではなく、50%のチャンスを持っている人と0.001%のチャンスを持っている人がいるわけなんだけど。身分制社会のように「100%逆転不可能」にしてしまうと、武力革命を起こすしかなくなるからね。
というわけで、人生は不公平だし、格差はあってもいいけど、必要なのはそれをちゃんと伝えることだよね。学校とかで「人間誰しも平等です」なんて嘘をつくのをやめてさ。
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