2025年4月28日月曜日

【読書感想文】ジェイン・マクゴニガル『幸せな未来は「ゲーム」が創る』 / 「ゲームはいい。なぜならゲームはいいから!」

幸せな未来は「ゲーム」が創る

ジェイン・マクゴニガル(著) 妹尾堅一郎(監修)
藤本徹(訳) 藤井清美(訳)

内容(早川書房HPより)
近年、世界のオンラインゲーマーのコミュニティは数億人に達し、莫大な時間と労力がヴァーチャルな世界で費やされている。これは現実に不満を持つ人々による「大脱出」にほかならない。 なぜ人々は「ゲーム」に惹かれるのか? それは現実があまりに不完全なせいだ。現実においては、ルールやゴールがわかりづらく、成功への希望は膨らまず、人々のやる気はますますそがれていく。 そんな現実を修復すべく、ゲームデザイナーの著者は、「ゲーム」のポジティブな利用と最先端ゲームデザイン技術の現実への応用を説く。コミュニケーション、教育、政治、環境破壊、資源枯渇などの諸問題は、「ゲーム」の手法で解決できるのだ


 ゲーム(ビデオゲームだけでなくボードゲームなども含む)は楽しいだけでなく、生活の向上やビジネスや環境問題など様々なことにプラスに働くんだよ、と語った本。


 ぼくもゲームは嫌いじゃないけど、この本はいただけない。

 ゲームをすると、みずからの意志でハードな仕事に励めるので私たちは幸福になります。よい仕事に忙しく励むこと以上に、私たちを幸せにしてくれるものはほとんど存在しないことがわかります。
(中略)
 医学的な定義によれば、抑うつ状態になると、ふたつの兆候、自信のない悲観的な気持ちと、活気のない沈んだ気持ちに苦しめられます。このふたつの兆候をはね返すためには、自分の能力に対する楽観的な気持ちを高めて、活動への爽快な高揚感を得る何かを見つける必要があります。このような前向きな心的状態を示す臨床心理学用語はありません。ですがこの状態は、まさにゲームがもたらす感覚を完璧に表しています。ゲームは、しつこいほどに楽観的な気持ちで、自分が得意(または得意になろうとしている)で好きなことに活力を集中する機会を与えてくれます。つまり、ゲームプレイは絶望の対極にあると言えます。
 私たちが優れたゲームをプレイしているとき──越える必要のない壁に立ち向かっているとき──、前向きな感情を最大限まで高めるべく積極的に活動しています。私たちは、激しく没頭していて、精神的にも肉体的にもあらゆる前向きな感情や経験を生み出す望ましい状態に身を置いています。ゲームをプレイすることで、あらゆる幸福感の根底にある神経組織、生理的組織──注意力に関する組織、報酬を司る中枢、意欲に関する組織、感情や記憶の中枢まで──が完全に活性化されます。
 この極度な感情の活性化こそが、今日のもっとも成功したゲームで気持ちが中毒的に高揚する根本的な理由です。生物学的な観点から言っても、私たちは楽観的な気持ちで没頭しているとき、前向きなことを考えたり、社会とのつながりを持ったり、自分の長所を強めたりする可能性が突如として高まるのです。心と身体が幸福になるように、積極的に条件づけているのです。

 この文章が象徴的なんだけど、結論ありきで議論が進んでいて、論拠がぜんぜんないんだよね。


 まともな本ならこの文章の後に「それを裏付ける実験・調査がある。〇〇の条件下で□□をしたところ、有為に△△が多かった。だからゲームをすると幸福になれるのだ」と続くだろう。だがこの本にはそれがない。

「ゲームはいい。なぜならゲームはいいから!」みたいな文章が延々と続く。

 いろんなゲームの例を挙げてあれこれ語っているけど、ずっとこの調子。どこまでいっても「私がいいとおもうからいいの!」レベルだ。


 著者はゲームデザイナーだそうだ。そんな人がゲームを悪く書くはずがない。ゲームはいいという結論が先に決まっている。

 それ自体は悪くない。たいていの科学は仮説からスタートする。問題は、仮説を裏付けるデータや実験結果がまるでないことだ。

 なんの論拠もなく、「失敗しても楽観的でいられるのはゲームに身につく精神的強さです」とか「ゲームによって得られる達成感、高揚感はビジネスにも好影響をもたらす」みたいなことが垂れ流される。

 は?

 これを読んでいても「ゲームのことばっかり考えてると著者みたいに論理性がなくなってしまうのかな」としかおもえない。




 ゲームの話はまるで得られるものがなかったが、「からかいあう」ことに関するこの話はおもしろかった。

 近年の科学的な研究が示しているように、からかいあうことは、お互いの好意的な気持ちを高めるのにもっとも速効性があって効果的な方法のひとつとされています。カリフォルニア大学の向社会的感情に関する先駆的な研究者であるダチャー・ケルトナーは、からかうことの心理的な効用に関する実験を行った結果、からかい行為がポジティブな関係を築き維持していく上で重要な役割を担っていると考えています。
「からかうことは社交のワクチンのようなもので、受け手の感情システムを刺激する」とケルトナーは説明しています。からかい半分の他愛のないおしゃべりは、お互いのネガティブな感情をとても穏やかに引き出すことを許容し、ごく少量の怒りや痛みや恥ずかしさを生み出す刺激となります。この小さな挑発はふたつの強力な効果を持ちます。第一に、信頼を確かめあうことです。人がからかうのは、相手を傷つけることができることを示しながら、同時に傷つけるつもりはないということを示しています。これはちょうど犬が他の犬と友達になりたくて甘嚙みするようなもので、互いを傷つけることができても絶対に傷つけないことをわからせるために牙をむき出すようなものです。反対に、誰かにからかわれるのを許容することは、弱い立場に身を置く意思を示すものです。相手はこちらの感情的幸福に配慮してくれるはずだという信頼感を積極的に示しているのです。
 他の人にからかわれることで、からかう側に自分の強さを感じさせる手助けもしています。社会的関係性の中で、自分が高い地位にいる事実を享受するひとときを提供しています──そして人間は、社会的地位の変化にものすごく敏感です。他の誰かに高い地位を経験させることで、私たちはその人たちの好意的な感情を強めているのです。人には自分の社会的地位を高めてくれる人を好きになる性質があります。

 これは男同士のコミュニケーションで特によく見られるね。

 たまに、女性作家や女性漫画家が男同士の友情を描こうとして、登場人物に
「おまえはほんといいやつだよな」
「いや、おれこそおまえにいつも救われてるよ」
みたいなセリフを交わさせることがある。

 男ならまずそんな描写はしないだろう。親しくなるほどお互いのことを褒めないものだから。語らずとも分かりあうことこそが一般的な男の友情だ。もちろん例外もあるだろうが。

 なるほどね。信頼感を示すためにわざと甘噛みをするわけね。

 



 感心したのが、英国で政治家の不正をチェックするためにゲームの仕組みを使った例。

 議員たちに政治資金不正報告の疑いが持たれたが、証拠を探すには数十万枚の書類を一枚一枚チェックする必要がある。ジャーナリストでもとても調べられる量ではない。

 そこで、チェックをするためにゲームの機能を使った。

 一〇〇万枚の政府文書が手中にあるのに、どの文書がどの議員の不正の証拠になる可能性があるか見分けるすべがなかったのですから、多くの人から得られるかぎりの協力を得る必要があるのは明白でした。そこで、ガーディアンは、「群集の英知」を活用することにしたのです。ただし、同紙がそのために使ったのは、ウィキではなくゲームでした。
 ゲームの開発は、ロンドンを拠点に活躍している、若いながらも実績のあるソフトウェア開発者、サイモン・ウィルソンに依頼しました。ウィルソンの任務は、「スキャンされたすべての申請書とその裏付け書類を四五万八八三二件のオンライン文書に変換、圧縮し、不正の証拠を見つけるために誰でもこれらの公的記録を調べられるウェブサイトを設立すること」でした。開発チームのわずか一週間分の労働と文書をホスティングするテンポラリーサーバーのレンタル料五〇ポンドだけで、ガーディアンは世界初の大規模多人数参加型調査ジャーナリズムプロジェクト「地元選出議員の経費を調べよう(Investigate Your MP's Expenses)」を立ち上げたのです。

 このプロジェクトを立ち上げ、不正を見つけたらポイントゲットというゲーム感覚で誰でも参加できるようにしたことで、多くの市民が手分けして膨大な書類をチェックし、数々の不正申告を発見することができたという。

 いいなあ。日本でもやってほしい。

 でも日本政府の場合、まず書類を公開しないからな……。


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2025年4月25日金曜日

自転車で公道を走りにくいときのたったひとつの冴えたやりかた

  NHKニュース『自転車交通違反に「青切符」来年4月からの方針 反則金の額は…』

警察庁は自転車の交通違反に対して、車やオートバイと同様に反則金の納付を通告するいわゆる「青切符」による取締りを来年4月1日から行う方針を固めました。反則金の額については携帯電話を使用しながら運転するいわゆる「ながら運転」を1万2000円とするなど、違反によって異なっていて、警察庁はパブリックコメントを実施したうえで、政令を改正することにしています。

 自転車の交通違反に対する罰則が強化されるらしい。

 携帯電話を使用しながら運転する「ながら運転」や信号無視、二人乗りのような明らかな違反はもちろん、一時停止、右側通行、歩道通行、傘差し運転、並んで走行のような「99%のライダーは一度はやったことがあるであろう」違反までが罰金の対象になるという。


 大賛成だ。もっとも制度を定めるだけでは意味がないので、じゃんじゃん取り締まってほしい。なんなら民間の取締員なんかを雇って大々的にやってくれ。

 とはいえすべての道路において等しく適用するのにはちょっと無理があるとおもう。

 たとえば郊外だと、「車やバイクはびゅんびゅん飛ばしていて、広い歩道には歩行者はほとんどいない」道がある。こんな道で、歩道を自転車が並んでゆっくり走っていても、危険でもなんでもない。すべてを厳しく取り締まれという気はない。

 あくまで他人に迷惑をかけている場合に限って、厳しく取り締まってほしい。


 歩行者としては、自転車に危険な目に遭わされることがよくある。特にぼくは幼い子を連れて歩いているのだが、歩道を歩いていてもけっこう怖い。ぜんぜんスピードを落とさず歩道を走る自転車がいる。ぼくが車道側を歩くようにしているのだが、わざわざ子どものいる側(車道と反対側)につっこんでくる自転車がいる。歩行者に対してベルを鳴らす自転車乗りがいる。傘をさしたまま歩道を走って、傘がぶつかってもおかまいなしで進む自転車がいる。

 控えめに言っても自転車乗りのマナーは最悪だ。もちろん全員ではないだろうが、ここ一年以内にひとつも違反をしたことのない自転車乗りは全体の5%もいないだろう。つまり最悪ってことだ。


 一方、罰則強化に対して不満の声も上がっているらしい。

「大型トラックとかがすれすれを走ることがあり、狭い車道を走るのは危険だ」

「罰則強化の前に自転車が安心して走れる道を整備してほしい」

「自転車専用レーンがあっても一時停止や駐車違反の車があって走れないことがある」

など。

 なるほど、なるほど。ぼくも一時は毎日のように自転車に乗っていたからよくわかる。たしかに車道を走るのは危険だし、自動車のマナーも悪いもんね。走りにくいよねー。



 安心してほしい、そうした不満を解決するかんたんな方法がある。

 自転車を降りて、押して歩道を歩くのだ。

 これですべて解決。はい、よかったね。


 はっきり言って、道が狭かろうが、路上駐車があろうが、そんなものは車両が歩道を走っていい理由にはならない。

 考えてみてほしい。車だって、いつでも好きなように走っているわけではない。路上駐車があってすれちがえなかったり、信号無視をする歩行者がいたり、車道に猫がいたり、いろんな事情で通行を妨げられる。

 そんなときに「危ないけど周囲が避けてくれるだろうという気持ちで突っ込みました」「路駐が邪魔だったので車で歩道を走ることにしました」「猫がいたから、対向車が来てるけど右車線を走ることにしました」といったことが許されるだろうか? そんな言い訳をしても、頭のおかしいドライバーとしかおもわれないだろう。

 だが、その頭のおかしい発想をする自転車乗りはいっぱいいる。しょうがないから歩道を走りました、じゃないんだよ。安全に走れないんなら止まるんだよ。



 車を運転していて「このまま進むとぶつかるかもしれない」と感じたらどうするか。止まる。または徐行する。ドライバーならあたりまえにやっていることだ。「しかたなく歩道を走る」「しかたなく逆走する」なんて選択肢はない。

 自転車も同じことをすればいいだけだ。

 幸い、自転車には「押して歩けば歩行者になれる」という強力な武器がある。これは車にはない選択肢だ。

 安全に通れないとおもったら(自分の安全だけでなく、もちろん歩行者やドライバーの安全も含む)止まる。そして安全になるまで待つか、自転車を押して歩行者として歩く。

 これで解決する。歩行者になったら歩道だって横断歩道だって道路の右側だって堂々と通れる。よかったね。

 これでほぼすべての問題が解決する(「歩道橋だけあって横断歩道がない」道とかはちょっと困るが、そんな歩道橋にはまずまちがいなくスロープがある)。


 自転車を降りて押して歩いてたら遅くなるじゃないかって?

 そうだよ。あたりまえじゃない。

 車だって、いつだって制限時間いっぱいで走れるわけじゃない。制限速度60km/hの道でも、止まったりスピードを落としたりして走るから、実際に進むスピードはもっと遅くなる。それを考慮に入れて早めに出発する。自動車ドライバーなら誰もがやっていることだ。


 自転車ライダーの公道に対する不満って99%が「自転車を降りて押して歩道を歩けばいいじゃない」で解決するんだよね。

「安全に進めないときは止まるか降りるかすればいい」という思考のできない自転車乗りが多すぎる。

 こち亀の両さんが「生きるか死ぬかで悩むな。悩んだらまずは“生きるモード”に切り替えて、そこから“どう生きるか”を悩め」と言っていたが、多くの自転車乗りがこれと同じで、危険がさしせまっていても“走るモード”を選び、そこから“どう走るか”を考えてる。

 人生と自転車はちがうんだから、ちゃんと“止まるモード”や“歩くモード”を選べよ。



 これはあれだな。

「安全に進めない状況なのにむりやり進んだ自転車乗りは死後、裸足で自転車に乗せられ、熱々の鉄板の上を延々と走らされ、疲れて足をおろすと大やけどをする無間業火鉄板サイクリング地獄に落とされるよ」

と教えてあげるべきだな。




2025年4月24日木曜日

【読書感想文】三浦 しをん『星間商事株式会社社史編纂室』 / 絶妙に「あんまりおもしろくない」

星間商事株式会社社史編纂室

三浦 しをん

内容(e-honより)
川田幸代29歳は社史編纂室勤務。姿が見えない幽霊部長、遅刻常習犯の本間課長、ダイナマイトボディの後輩みっこちゃん、「ヤリチン先輩」矢田がそのメンバー。ゆるゆるの職場でそれなりに働き、幸代は仲間と趣味(同人誌製作・販売)に没頭するはずだった。しかし、彼らは社の秘密に気づいてしまった。仕事が風雲急を告げる一方、友情も恋愛も五里霧中に。決断の時が迫る。

 大手商社が舞台。閑職とされる社史編纂室に異動させられた主人公が会社の歴史を調べるうちに、昔を知る社員たちが口を閉ざして語ろうとしない「高度経済成長期の穴」があることに気づく。はたしてその時期に何があったのか……。


 うーん、はっきり言ってつまらなかったな……。

 ミステリを用意しているのだが、「高度経済成長期の穴」という謎に対する答えがしょぼすぎる。社内政治的には重要な事件化もしれないが、その会社に縁もゆかりもない人間(つまり読者全員)にとっては心底どうでもいい話だ。

 ヒマなひとたちがヒマにあかせてどうでもいいことを暴くためにどうでもいいことをしている……という、退屈きわまりないストーリー。


 そしてストーリー以上にひどかったのが文体。

 文章のそこかしこにちりばめられた“ユーモア”が読むに堪えなかった。

「顔から噴いた火で、おんぼろのスプリンクラーが作動するかと思われた」
「大昔のギャグのように盥が落ちてきた気がした」
「ムンクの『叫び』が、ポンポンポンッと三人ぐらい脳内で身をよじった」

 ……ふるい。

 八十年代の少女漫画みたいなセンス。おもしろくない人ががんばっておもしろくしようと書いたのが伝わってくる。四十年間アップデートされていない。「ゆうもあ」という表現がぴったりのセンスの古さだ。

 まあこのへんの表現は中盤以降おとなしくなったのでなんとか読みおえることができたのだが。ずっとこの「ゆうもあ」が続いてたら途中で投げだしてたよ。


 登場人物も作者の分身みたいな感じで、いや小説の登場人物なんだから分身なのはあたりまえだけど、みんな「一様にクセはあるけど根はいいやつ」だ。悪役は悪役で「私はイヤなことをするために生まれてきました」みたいなザ・悪役だ。思想信条も背景も守るべき人もなんにもない、平板な悪人。




 これはあれだな、BLとか同人誌とかの界隈を書きたかっただけの小説だな。

 三浦 しをんはいわゆる腐女子というやつで、BLだの同人だのが大好きらしい(解説によると)。で、この小説の主人公もBLを愛していて、年に二回コミケで同人誌の即売会を開いている。

 そんで作中作として、この人の書いたBL小説がちょいちょい刺しこまれるのだが……。

 これがまたちょうど「ちょっとだけファンのいる同人レベル」なんだよね。おもしろいわけではなく、かといってツッコミを入れて笑えるつまらないわけでもない。絶妙に「あんまりおもしろくない」小説。ある意味リアル。


 そして作中作だけでなく、『星間商事株式会社社史編纂室』自体もそういう小説だった。記憶に残るほどつまらないというほどでもない、といったところかな……。


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2025年4月22日火曜日

【読書感想文】『生きものは不思議 最前線に立つ研究者15人の白熱!講義』 / 魚は論理的思考をする

生きものは不思議

最前線に立つ研究者15人の白熱!講義

目次
・海底にミステリーサークルをつくるフグの謎……川瀬裕司(千葉県立中央博物館分館 海の博物館主任上席研究員)
・「骨」までしゃぶり尽くして紡がれる命……ロバート・ジェンキンズ(古生物学者/地球生物学者)
・西之島の不毛の大地に、いつか花咲き鳥が舞う……川上和人(鳥類学者/森林総合研究所)
・奇妙な泳ぎ方には意味がある……渡辺佑基(海洋生物学者)
・イカ・タコ・アドベンチャー……池田 譲(琉球大学教授)
・小さな植物プランクトンの大いなる可能性……遠藤 寿(京都大学准教授)
・チンパンジーに音楽の起源を探る……服部裕子(京都大学ヒト行動進化研究センター)
・魚も鏡の姿を自分とわかる……幸田正典(大阪公立大学)
・チョウはどのように相手を見ているのか?……竹内 剛(大阪公立大学研究員)
・サムライ・スネイルの作法……千葉 聡(進化生物学者)
・新種発見の旅……岡西政典(分類学者)
・海に棲む哺乳類の不思議や魅力、そして紡ぐメッセージ……田島木綿子(海獣学者/国立科学博物館)
・イルカは賢いか……村山 司(東海大学海洋学部教授)
・日常にある灯……三上 修(鳥類学者)
・「ヒトとは何か」を探る動物研究……山本真也(京都大学高等研究院准教授)

 様々な生物について研究している研究者十五人による、研究報告&若い人へのメッセージ。

 なにしろ十五人もいるので一人あたりのページ数が少ないのと、中高生向けに書かれた本ということもあり、書かれている内容は軽め。とはいえテーマを絞って深い話をしている人もいて、おっさんが読んでもけっこうおもしろかった。

 生物学を志している人はもちろん、そうでない人にもなにかしらの指針を与えてくれるんじゃないだろうか。

 幼いころからイルカが大好きでそのままイルカの研究者になった、なんて人もいるが、あれこれ迷ったり回り道をしたりして自分でも予期せぬままこの研究をすることになった、なんて人もいる。それでもけっこう楽しくやっているのが伝わってくる。


 ぼくは今WebマーケティングだとかDXだとか労務だとかいろんな仕事をやっているが、どれも学生時代には自分がやるなんて想像すらしていなかった仕事だ(というかそんな仕事があることすら知らなかった)。それでもけっこう楽しくやっている。

 学校や就活企業は、やれ将来の夢だ、やれ天職だ、やれ仕事のやりがいだとえらそうなことを抜かすが、そんなものを無理に考える必要なんかない。なるようになるし、あかんときはあかん。




 幸田 正典『魚も鏡の姿を自分とわかる』より、魚の行動について。

 私は大学生になった時からサークル活動として南日本の海岸や沖縄のサンゴ礁の海に潜り魚の行動や生活を見てきた。卒論や博士論文の研究テーマも魚の行動・生態・社会に関するものである。動物行動学では魚は本能に基づき単純な行動をする、と長い間みなされてきた。しかし、サンゴ礁やアフリカのタンガニイカ湖に潜って魚たちの暮らしぶりを見ていると、彼らは物事をよくわかっているし、様々な感情も持っていることがわかってくる。自分の観祭や経験から、これまでの動物行動学が魚の動きは本能に基づいており単純だとする考えはおかしいし、魚はこちらが思っている以上に物事を理解していると確信するようになった。
 そして2010年頃から、魚の賢さについての研究を始めたのである。
 その頃、魚の様々な「賢い」振る舞いが少しずつわかってきた。例えば、魚も「A>BかつB>CならばA>C」という一種の三段論法ができる。2016年に我々自身もシクリッドという魚がこの能力を持つことを明らかにした。また、ヒトは互いに親しい相手をその顔で区別する。同じように社会性のある魚類も顔の違いで相手を識別できることがわかってきた。魚が知り合いの個体を顔で素早く正確に識別するのだ。ヒトとよく似ている。

 へえ。三段論法ってけっこう高度だよね。

 また、魚も鏡を使って自分の顔を認識できるのだそうだ。例えばあご(鏡を使わないと見えない位置)に寄生虫のような印をつけた後に鏡を見せると、こすってとろうとする仕草を見せるとするそうだ。

「鏡に写っているのが自分だと認識する」って、あたりまえにやっているけどけっこうすごい能力だよね。なぜなら自分の顔を直接見たことがないから。「鏡に写った母親」は実際の母親と見比べられるけど、「鏡に写った自分」は見比べる対象がいない。自分が上を向いたら向こうも上を向いた、下を見たら向こうも顔を下に向けた……という観測を重ねて帰納的に導きだすしかないわけで、ある程度の知能がないとできないことだ。

 魚は魚で、ちゃんと論理を持って生きているのだ。




 村山 司『イルカは賢いか』より、イルカに関する実験。

 しかし、ここで素晴らしいことが起きた。ナックには物に対応する記号(例えば「フィンを見せたら⊥を選ぶ」)と物の呼び方(例えばフィンを見せたら「ピー」と呼ぶ)を教えただけなのに、その逆の、記号に対応する物が何であるか(例えば⊥を見せたらフィンを選ぶ)や、教えてもいない記号の呼び方(例えば⊥を見せたら「ピー」と鳴く)まで自発的に理解できたのである。

 なんとイルカにはものの名前を教えることができるのだそうだ。しかも、声と文字の両方を使えるのだとか。さらには教えていないことまで自分で推論して学べるとか。賢い!

 イルカショーとか見てたら、めちゃくちゃすごいことやってるもんな。ひょっとしたら小学生とかより賢いかもしれないぞ。


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2025年4月17日木曜日

【読書感想文】小川 哲『地図と拳』 / 技術者の見た満洲国

地図と拳

小川 哲

内容(e-honより)
「君は満洲という白紙の地図に、夢を書きこむ」日本からの密偵に帯同し、通訳として満洲に渡った細川。ロシアの鉄道網拡大のために派遣された神父クラスニコフ。叔父にだまされ不毛の土地へと移住した孫悟空。地図に描かれた存在しない島を探し、海を渡った須野…。奉天の東にある“李家鎮”へと呼び寄せられた男たち。「燃える土」をめぐり、殺戮の半世紀を生きる。第168回直木賞、第13回山田風太郎賞受賞作。

 ハードカバーで600ページ超の重厚な大河小説。

 満洲国という国の誕生から消滅までを書いた群像小説。史実と創作がうまくからみあっていて、どの部分をとってもおもしろい。史実に忠実な部分と、おとぎ話のような奇想天外な部分がモザイク画のように入り混じっている。

 この小説を書くにあたって、途方もなく膨大な史料を読んだのだろう。と同時に、それらをかみ砕いて血肉とした上で小説に還元している。膨大な史料から小説を書く人には「調べたことを全部書かなくちゃ!」というタイプが少なからずいるのだが、この著者は見事に取捨選択している。

 手塚治虫は史実と虚構を織り交ぜるのがうまい人だったけど、『地図と拳』にも近いものを感じる。


 ただ、個々のエピソードはどれもすごくおもしろいんだけど、全体を通してみるとひどく散漫な印象を受ける。いろんな登場人物の視点で語られるし、登場人物の立場もみんなそれぞれ異なる(日本人技師、ロシア人神父、中国人の地主、中国人ゲリラ、日本人の軍人など)。時代も移り変わるし、登場人物も死んだり生まれたりして入れ替わる。

 それこそが著者の狙いなんだろうけど(人ではなく国の栄枯盛衰を書こうとしたのだろう)、読んでいて尻のおさまりが悪いというか、どういう立場で読めばいいのかわからない。神の視点で読むのが正解なのかもしれないが、ぼくは神を経験したことないからなあ。

 この読みづらさはどっかで経験したことあるとおもったら、あれだ、歴史の教科書だ。

 ぼくは本を読むのは好きだけど、歴史の教科書は苦手だった。それぞれまったくつながりのない説明がばらばらに並んでいるので、頭の切り替えに苦労するのだ。

 歴史の教科書が好きだった人ならもっと楽しめるのかもしれない。



『地図と拳』では、技術者として満洲国建設に関わった日本人が登場する。

 歴史の教科書だと「満洲事変をきっかけにして日本は満洲を占領した」と書かれるが、あたりまえだが軍人が戦いに勝ったからといって国はできない。計測をおこない、地図を作り、都市計画を立て、建物を建造する必要がある。

『地図と拳』の登場人物たちは、地図作成、都市計画、建築設計などを通して理想の満洲をつくりあげようとする。

 日本の大陸進出は身勝手な帝国主義によるものだったと教科書では教わるが、それは一面であり、すべてではなかったのだろう。少なくとも現場には使命感に燃えて、本気で啓蒙してやろうと考えていた人もいた。

 とはいえ侵略される側からしたらそんな理想や使命感なんて知ったこっちゃなくて「いい国であろうと悪い国であろうと侵略されたくない」としかおもえないだろうけど。

 住んでいる人間からすると、いい植民地より悪い独立国家かもしれない。



 これまでいろんな戦争文学を読んできたけど、つくづく感じるのは戦争のむなしさ。兵士も市民も大人も子どもも勝者も敗者も死者も生者も、みんな戦争によって悲惨な思いをする。得をする人なんてほとんどいない。

 それなのに、いざ戦争が始まってしまったらもはやどうすることもできない。止めようとしても止められない。個人も集団もえらくない人もえらい人も、誰にも止められない。





 圧倒的な資料にあたっているだけあって、随所に散りばめられたうんちくも楽しい。

「ずいぶんと建築に詳しいのだな」
 間取り、壁のレリーフ、柱の切り出し方、階段の形状、調度品の種類など、建物の薀蓄を熱心に語る細川に対し、思わずそう口にした。
 細川は珍しく照れ笑いを浮かべ「建築には歴史と思想が表れますから」と答えた。「それに、実用的な情報も得られます。この建物を見るだけで、ロシアが支那においてどのような狙いを持っているかがわかるのです」
「たとえばどんなことが?」
「なるほど」
「まず、地方の駐在武官ごときが本国から建材を取り寄せ、本国の建築家を使ってこれだけ立派な邸宅を建てていたという事実から、ロシアがかなり本気で、それも長期的に満洲を支配しようとしていたことがわかるでしょう」
「もう少し抽象的な側面の話もしましょうか。この建築は様々な意匠が折衷されていますが、基本的にはバロック主義と呼ばれている様式です。この建築が街の中でも一際目立っていることからわかると思いますが、ロシア人はこの地を占領する上で、清の風習を取り入れるつもりはなく、自分たちの文化を押しつけるつもりだったのです」
 細川は「もちろん、かなり具体的なこともわかります」と続けた。「この建築は街区から百五十メートルほど離れています。馬賊や団練が好んで使う武器である天門槍の有効射程からちょうど外れており、それでいてロシア軍の小銃の射程内に入る距離です。この家の街路に向いた窓には兵士を配置することもできますし、庭に機関銃を設置すれば街区に射線が通ります。煉瓦の壁は耐火性があり、榴弾に耐える厚さにもなっていて、暴動が発生したときには要塞に変わるのです。地下の貯蔵庫には、大量の食糧と弾薬が備蓄してあったのでしょう。ロシア軍はこの街を支配しつつも、馬賊や団練との戦闘に備えていました。万が一の際は、友軍が到着するまで守りきれるようにしていたのです」

 こういう話、大好き!


 ぼくは建築の知識は皆無なので、建物を見ても「でっけえなー」とか「掃除たいへんそうだなー」とかのアホみたいな感想しか出てこないけど、知識のある人が見ればこれだけの情報を引き出せるのだ。

 昔、今和泉隆行さんという架空地図を描いてる人の講演を聞きにいったら
「地図を見れば、その町がどんな歴史を持っていて、どこにどんな人が住んでいてどんな生活をしているかがだいたいわかる」
と語っていた。

 知識がある人って、そうでない人と同じものを見ていても目に映る景色がまったく違うんだよね。『ブラタモリ』でも、タモリさんはただの坂道や山(としか我々には見えないもの)からいろんな情報を引き出してるもんね。

 こういう、「自分は持っていない視点からものを見る愉しさ」を味わわせてくれるのが読書の喜びだ。




 いちばん印象深かった挿話。
  たとえば、ヨーロッパの古地図には「画家の妻の島」と呼ばれる島がいくつか含まれている。
 ヨーロッパでは専門家の調査結果を元に、最終的に職業画家が地図を清書することが多い。画家が地図を描き終えたとき、隣にいた妻がこう囁く。
「私の島が欲しい」
 画家はその話を聞いて、地図に一つの島を書き加える。こうして、架空の島や架空の国家、架空の大陸が描かれる。どうやら歴史上、そういった例がいくつも存在したようだ。

 なんかロマンがある話だなー。

 もしかしたら今でも、地球から遠く離れた宇宙の彼方に「天文学者の妻の星」があるかもね。


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2025年4月14日月曜日

【芸能鑑賞】『シークレットNGハウス』

 シークレットNGハウス
(Amazon Prime)


 おもしろかった。家族で観たのだが、特に小学生の娘がおもしろがって、すべて観終わった後はもう続きを観られないことをほんとに残念そうにしていた。シーズン2を頼む!


 まず人選が絶妙。謎解き王、守銭奴、ツッコミ役、果敢に攻める人、異様に勘がいい人、何も考えていない人、読みがことごとく外れるのにラッキーだけで勝ってしまう人……。

 すべて狙ったわけじゃないだろうけど、結果的にはすごくバランスのいいメンバーだった。それだけに敗退して去ってゆくのが残念。

 負けた人が仕掛け人として参加するようなシステムでもよかったのかなーと観ていておもった。


 そして司会進行の二人もちょうどよかった。こういうゲームって司会者によっては下品になってしまうが、二人に品があるのでそこまで悪辣な印象を受けない。それでいて底意地の悪さは存分に発揮していた(大縄跳びで「謝る」をNGに設定する意地の悪さよ!)。

 NG行動の設定が事前に用意されたものではなく、その場で司会の二人が決めるのもいい方向にはたらいていた。スタッフは大変だろうけど(どこからアウトにするかのボーダーをその場で決めないといけないので)、絶対にこっちのほうがゲームはおもしろくなる。




 シーズン1はものすごくおもしろいコンテンツだったのだけど、ただこれはたまたまめぐりあわせが良かったからで、ちょっとでも歯車が狂っていたら失敗に終わっていた可能性もある。

 特に1stステージは「数字を言ってはいけない」というルールが引っかかりやすすぎるのと、人数が多すぎて誰がNGになったのかわからないため、なにがなんだかわからないままNGが積みあがっていってしまった。「何がNGか推察する」というこのゲームの醍醐味にたどりつく前に終わってしまった印象。

 1stステージと敗者復活ステージはほぼ運ゲーだったので、「誰がNGになったかわからない」というルールは、終盤人数が減ってきてからの適用でいいとおもうな(決勝は誰がNGかわからないことがおもしろさを生んでいたが)。




 もうひとつ、シーズン2があるなら改善してほしい点は、守りを固めにくくしてほしいということ。

 実際、序盤は「何もしない」が最善策になってしまっていた。3rdステージや敗者復活ステージでようやく「30秒黙る」「指示に従わない」がNGに指定されていたが、これらは全ステージ共通のNGにしてほしいぐらい(参加者に公開してもいい)。

 だってこのままだと「一切の会話を拒否して、ときどき意味不明な奇声を発する」が最強の戦略になってしまうもの。


 攻め合いのほうが観ていておもしろいわけだから、攻める人が有利になってほしい。

 NGを「〇〇と言う」「〇〇をする」の“やってはいけないこと”だけではなく、「質問に答えない」とか「食べはじめるのがいちばん遅い」とかの“やらないといけないこと”にしないと、様子見ばかりが横行してしまうよ。

 それか、しりとりや古今東西みたいなゲームをさせて、強制的にしゃべらないといけない状況をつくるか。




 どのステージもそれぞれおもしろかったが、中でも2ndステージがいちばん良かった。

 参加者たちがだんだん状況をわかってきて腹のさぐりあいをする中、ゲストの仕掛け人が虚実入り混じった情報を与えて引っかきまわす。

 ゲストがいろいろ呼びかけてるのに参加者たちに無視されつづける、という状況が最高におもしろかった(この番組じゃなければ絶対にそんな扱いを受けることのない人だったのが余計に)。

 仕掛人がいたほうがおもしろい。




 シーズン1で十分おもしろかったけど、運営側も手探り状態だったので、まだまだおもしろくなりそうな余地がある。

 ぜひシーズン2やってください!


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2025年4月8日火曜日

小ネタ 33(だんごとたいやき / 用紙切っちゃいました / 藤子不二雄)


だんごとたいやき

『だんご3兄弟』の歌詞には「だんご」というフレーズが25回も出てくる。

 一方、『およげたいやきくん』に「たいやき」というフレーズは終盤に2回しか出てこない。

 子ども向け番組から生まれたヒットソング、和菓子をテーマにしている、という共通点がありながら、歌詞のつくりにはずいぶん差がある。

『およげたいやきくん』がヒットした1975年は直接的な表現をしなくてもみんな文脈を読んで理解できたが、『だんご3兄弟』が発表された1999年にははっきりと説明しないと伝わらなくなった。これは読書離れが進み子どもたちの読解力が低下してからだ……というようなことはもちろんない。


用紙切っちゃいました

 いちいちシュレッダーかけるの面倒だな……。

 そうだ!

 あらかじめ裁断しておいた紙を作って売ろう!これでいちいちシュレッダーする手間が省けるぞ!


藤子不二雄

 藤子不二雄はFとAに分かれた後、扱っているテーマに大きく差が出た。藤子不二雄Aは、ゴルフ、麻雀、ギャンブル、バー、女遊びなど「大人の世界」を描くことが増え、藤子・F・不二雄は一貫して「子どもの世界」を描きつづけた(大人向けSF作品も描いているが、その中でもギャンブルや性についての描写は少ない)。

 ピッコロが善の神様と悪のピッコロ大魔王とに分化したように、藤子不二雄も大人の心と子どもの心に分かれたのかもしれない。


2025年4月7日月曜日

小ネタ 32(結露 / 断熱性能 / 六角形)

結露

 半年ほど前に引越しをしたのだが、今の家は結露がひどい。冬の朝は窓ガラスに露がびっしりついていて、窓の下がびちょびちょになっている。しかたなく毎朝窓を拭く。

 前の家はこんなことはなかった。前の家は古かったので断熱性が悪く、家の中も寒かった。だから室温と外気温の差が小さく、あまり結露しなかったのだろう。断熱性が高いのも良し悪しだ。

 結露する分空気が乾燥するので、寝る前に濡れタオルを干して加湿している。加湿された分の水分が朝になると窓ガラスについている。結露させるためにタオルを干しているような気がする。

 窓ガラスの水分をとりつつ、その水を使って空気を加湿させる仕組みはないものか。


断熱性能

 以前、家の構造に詳しい人の話を聞いたことがあるのだが「断熱のこと考えたら窓なんていらんねや!」

 そのときはなんて無茶な意見を言うんだとおもったが、たしかに窓は断熱の敵だ。夏は窓から熱が入ってくるし、冬は熱が逃げる。おまけに結露する。

 景観や風通しといった“住人の気分”は無視して、家のことだけを考えれば窓がないほうがいいかもしれない。

 もっと言えばドアもないほうがいい。完全密閉された壁だけの家なんて最高だ。


六角形

 六角形は漢字の読み通りなら「ろくかくけい」、発音は「ろっかっけー」だが、ひらがな表記はそのどちらでもない「ろっかくけい」だ。八角形、十角形、十一角形なども同様。

「洗濯機」は発音は「せんたっき」でもかな表記するときは「せんたくき」だが、数字は促音便をそのままかな表記することが許されている。

 たぶんだけど、かなり日本語に堪能な外国人でも「六角形のよみがなを書いてください」という問題に正しく答えられる人は少ないとおもう。これぞクイズヘキサゴン。



2025年4月1日火曜日

【ボードゲームレビュー】TAKUMI ZOO

TAKUMI ZOO


内容説明(Amazonより)
誰よりも魅力的な動物園を作る"拡大再生産型"ボードゲーム。土地パネルでボードを開拓し、地形に合わせて飼う動物を選んで、一番ポイントの高い動物園を作りあげましょう。いかに人気の動物を集めて動物園の魅力を高めるかがポイントです。大人も子供も一緒に、じっくり楽しめる本格ボードゲームです。


 なんと小学生が作ったボードゲームだという。絵も、小学生が一生懸命丁寧に描きましたという感じでかわいらしい。

 小学生が作ったゲームなら小学生がやったら楽しいんじゃないかとおもい、娘と遊ぶ目に購入。




かんたんなルール

  • 全員5コインを持ってスタート
  • 毎ターン、山札から地形パネルを1枚ずつ引く。地形には草原・森・岩・水の4種がある。それを自分の動物園パネルに並べていく。
  • 動物を購入して、地形に置くことができる。地形によって配置できる動物は異なる。また動物によって必要なパネル数も異なる。
  • 動物を配置することで毎ターン入場料収入がある。動物により購入金額や収入金額が異なる。また、特定の組み合わせを満たすことで収入が増える。
  • 動物を買うとポイントが入る。最終的にこのポイントが多い人が勝ち。
  • 地形パネルには、「買える動物が増える」「次に引くパネルを見ることができる」「他のプレイヤーと地形を交換できる」「他プレイヤーを邪魔できる」などの特殊効果を持つものもある。


ええとこ

「地形によって飼える動物が異なる」+「一度置いた地形は基本的に変えることができない(一部変更の効果を持つパネルも存在する)」というルールがなかなかいい。地形パネルをどこに置いたほうがいいだろう、と考える余地が生まれる。

 何度かやっていると、草原の横に岩を置かないほうがいいとかわかってくる。ただしどのパネルが出るかは運次第なので、配置には頭を悩ますことになる。

 あと単純な勝敗だけでなくスコアが出るので、ひとりでも遊べるのもいい。ぼくは子どもの頃ひとりでカードゲームをするような孤独を愛する少年だったので、このルールはうれしい(さすがに大人になった今はひとりではやらないけど)。


やることが多い

 仕事量が多いのでかなり煩わしい。

 毎ターン、「収入を得る」「パネルを引く」「パネルの特殊効果を発動させる」「パネルを配置する」「動物を買う」「所有する動物の組み合わせが特定の条件を満たしているかチェックする」「柵を配置する」「買った動物に応じてポイントを増やす」と、やることが多い。

 必然的に、他のプレイヤーは待つ時間が長くなる。やっている間に飽きてしまう。やっているほうも待っているほうもつまらない。


 また、やることが多いので手順を忘れてしまう。

 特に最後の「ポイントを増やす」を忘れがちだ。ポイントを増やし忘れてもそのままゲームは問題なく進行してしまう。後で「あれ? さっきポイント増やしたっけ?」「さっき獲得したの何点だったっけ?」となり、ポイントがごちゃごちゃになる。勝敗に直結するところなのに。

 途中のポイントをなくして、最終所持金+最終的に保有している動物に応じたポイントで決着、とかのほうがすっきりするとおもうな。

 そして柵はいらない(他プレイヤーの邪魔をできる黒柵だけでいい)。


ポイントの稼ぎ方がよくない

 単純に言うと「動物を買ったときに支払った金額に応じてポイントが入る」という仕組みだ。

 これが「誰よりも魅力的な動物園を作る」という目的にあっていない。

 めずらしい動物を飼っていることや、入場者収入が多いことは、直接ポイントに結びつかない。

 ポイントを稼ぐ近道は「高い動物を買う」なので、たとえばゾウを所持しつづけるよりも「ゾウを買う」→「ゾウを売ってキリンを買う」→「キリンを売ってまたゾウを買う」というプレーをするほうが高得点になる。

 もしほんとにこんなことをやったら動物園失格だろう。でもこれが最適解なのだ。

 一応「ゲーム終了時に多くの動物を持っていたら5ポイント入る」というルールはあるが、その5ポイントを得るよりも売買をくりかえすほうがポイントを稼げてしまう。

「魅力的な動物園をつくる」ではなく「いかに動物の売買をくりかえすか」という動物ブローカーをめざすゲームになってしまっている。


ほぼ運ゲー

 引いた地形パネルによって飼える動物が決まる。おまけに序盤はお金も少ないので選択の余地はほぼない。草原を引いたからシマウマを買うしかない、のように半自動的に進んでいく。最初の3ターンぐらいはほぼ選択の余地がない。

 いくつか特殊効果を持つパネルもあるが、せっかくの特殊効果が無駄になることも多い。


 一方、序盤で「2マス分の効果を持つパネルを引く」「草原・森・岩・水パネルを1枚ずつ引いてボーナスを手にする」などのラッキーにめぐまれると、相当有利になる。後半でひっくりかえすのが難しくなるぐらいの差がついてしまう。

 中盤からはお金に余裕が出てくるので多少選択肢は生まれるが、それでも地形による縛りが強いので、選択の余地は小さい。そして勝ってようが負けてようがとるべき戦略は「より高い動物を買う」だけ。「負けているから可能性は低いが当たればでかい一発逆転を狙う」みたいな戦略はとりようがない。

 やることが多いわりに選択肢が少ないので「やらされている感」がすごく強い。ボードゲーム好きなぼくでも、子どもから「TAKUMI ZOOやろう」と言われると「めんどくせー」とおもうようになった。

 後半はお金が余るので、お金でできることがもっと多ければいいんだけどな。土地を増やすとか。高い動物を買おうにも、すでに売り切れだったり、スペースがなかったりして、お金の使い道がないんだよね。


無茶なルール

 いくつか“役”のようなものがあり、特定の動物を4種そろえると追加ポイントがもらえる。

 この役の難易度がひどい。かんたんな役はそこそこ作れるが、いちばん難しい役はロイヤルストレートフラッシュをつくるぐらいの難易度だ(それ以上かもしれない)。上から二番目の役でもストレートフラッシュぐらいの難しさはある。つまり、まずお目にかかることはない。そして超幸運にめぐまれてこの役をそろえたとしても、その頃にはもうお金はありあまっているのでボーナスの効果が薄い。実質ルールが死んでいる。

 この“役”が多彩であれば麻雀のような駆け引きのおもしろさが生まれるのだろうが。もったいない。


小学生にしてはすごい

 厳しいことばかり書いてしまったが、それは他の市販ボードゲームと比べたからで、小学生が作ったゲームとしてはめちゃくちゃすごい。最初は楽しめた(何度かやっていると攻略法が一本道になってただの作業になってしまうが)。

 大人が介入してルールを調整すればもっとおもしろくなるんだろうけど、それをしてしまうと「小学生が考えた」という最大の魅力が失われてしまうので、まあしかたない。逆に言うとこの粗さこそがこのゲームの長所かもしれない。

 欠点はあるけど、世の中に数多く出回っているボードゲームの中で平均点ぐらいのおもしろさはある。ちょっと改良すればずっとずっと良くなりそうだし。

 がんばれ未来の巨匠たち(TAKUMIだけに)!


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