2025年4月28日月曜日

【読書感想文】ジェイン・マクゴニガル『幸せな未来は「ゲーム」が創る』 / 「ゲームはいい。なぜならゲームはいいから!」

このエントリーをはてなブックマークに追加

幸せな未来は「ゲーム」が創る

ジェイン・マクゴニガル(著) 妹尾堅一郎(監修)
藤本徹(訳) 藤井清美(訳)

内容(早川書房HPより)
近年、世界のオンラインゲーマーのコミュニティは数億人に達し、莫大な時間と労力がヴァーチャルな世界で費やされている。これは現実に不満を持つ人々による「大脱出」にほかならない。 なぜ人々は「ゲーム」に惹かれるのか? それは現実があまりに不完全なせいだ。現実においては、ルールやゴールがわかりづらく、成功への希望は膨らまず、人々のやる気はますますそがれていく。 そんな現実を修復すべく、ゲームデザイナーの著者は、「ゲーム」のポジティブな利用と最先端ゲームデザイン技術の現実への応用を説く。コミュニケーション、教育、政治、環境破壊、資源枯渇などの諸問題は、「ゲーム」の手法で解決できるのだ


 ゲーム(ビデオゲームだけでなくボードゲームなども含む)は楽しいだけでなく、生活の向上やビジネスや環境問題など様々なことにプラスに働くんだよ、と語った本。


 ぼくもゲームは嫌いじゃないけど、この本はいただけない。

 ゲームをすると、みずからの意志でハードな仕事に励めるので私たちは幸福になります。よい仕事に忙しく励むこと以上に、私たちを幸せにしてくれるものはほとんど存在しないことがわかります。
(中略)
 医学的な定義によれば、抑うつ状態になると、ふたつの兆候、自信のない悲観的な気持ちと、活気のない沈んだ気持ちに苦しめられます。このふたつの兆候をはね返すためには、自分の能力に対する楽観的な気持ちを高めて、活動への爽快な高揚感を得る何かを見つける必要があります。このような前向きな心的状態を示す臨床心理学用語はありません。ですがこの状態は、まさにゲームがもたらす感覚を完璧に表しています。ゲームは、しつこいほどに楽観的な気持ちで、自分が得意(または得意になろうとしている)で好きなことに活力を集中する機会を与えてくれます。つまり、ゲームプレイは絶望の対極にあると言えます。
 私たちが優れたゲームをプレイしているとき──越える必要のない壁に立ち向かっているとき──、前向きな感情を最大限まで高めるべく積極的に活動しています。私たちは、激しく没頭していて、精神的にも肉体的にもあらゆる前向きな感情や経験を生み出す望ましい状態に身を置いています。ゲームをプレイすることで、あらゆる幸福感の根底にある神経組織、生理的組織──注意力に関する組織、報酬を司る中枢、意欲に関する組織、感情や記憶の中枢まで──が完全に活性化されます。
 この極度な感情の活性化こそが、今日のもっとも成功したゲームで気持ちが中毒的に高揚する根本的な理由です。生物学的な観点から言っても、私たちは楽観的な気持ちで没頭しているとき、前向きなことを考えたり、社会とのつながりを持ったり、自分の長所を強めたりする可能性が突如として高まるのです。心と身体が幸福になるように、積極的に条件づけているのです。

 この文章が象徴的なんだけど、結論ありきで議論が進んでいて、論拠がぜんぜんないんだよね。


 まともな本ならこの文章の後に「それを裏付ける実験・調査がある。〇〇の条件下で□□をしたところ、有為に△△が多かった。だからゲームをすると幸福になれるのだ」と続くだろう。だがこの本にはそれがない。

「ゲームはいい。なぜならゲームはいいから!」みたいな文章が延々と続く。

 いろんなゲームの例を挙げてあれこれ語っているけど、ずっとこの調子。どこまでいっても「私がいいとおもうからいいの!」レベルだ。


 著者はゲームデザイナーだそうだ。そんな人がゲームを悪く書くはずがない。ゲームはいいという結論が先に決まっている。

 それ自体は悪くない。たいていの科学は仮説からスタートする。問題は、仮説を裏付けるデータや実験結果がまるでないことだ。

 なんの論拠もなく、「失敗しても楽観的でいられるのはゲームに身につく精神的強さです」とか「ゲームによって得られる達成感、高揚感はビジネスにも好影響をもたらす」みたいなことが垂れ流される。

 は?

 これを読んでいても「ゲームのことばっかり考えてると著者みたいに論理性がなくなってしまうのかな」としかおもえない。




 ゲームの話はまるで得られるものがなかったが、「からかいあう」ことに関するこの話はおもしろかった。

 近年の科学的な研究が示しているように、からかいあうことは、お互いの好意的な気持ちを高めるのにもっとも速効性があって効果的な方法のひとつとされています。カリフォルニア大学の向社会的感情に関する先駆的な研究者であるダチャー・ケルトナーは、からかうことの心理的な効用に関する実験を行った結果、からかい行為がポジティブな関係を築き維持していく上で重要な役割を担っていると考えています。
「からかうことは社交のワクチンのようなもので、受け手の感情システムを刺激する」とケルトナーは説明しています。からかい半分の他愛のないおしゃべりは、お互いのネガティブな感情をとても穏やかに引き出すことを許容し、ごく少量の怒りや痛みや恥ずかしさを生み出す刺激となります。この小さな挑発はふたつの強力な効果を持ちます。第一に、信頼を確かめあうことです。人がからかうのは、相手を傷つけることができることを示しながら、同時に傷つけるつもりはないということを示しています。これはちょうど犬が他の犬と友達になりたくて甘嚙みするようなもので、互いを傷つけることができても絶対に傷つけないことをわからせるために牙をむき出すようなものです。反対に、誰かにからかわれるのを許容することは、弱い立場に身を置く意思を示すものです。相手はこちらの感情的幸福に配慮してくれるはずだという信頼感を積極的に示しているのです。
 他の人にからかわれることで、からかう側に自分の強さを感じさせる手助けもしています。社会的関係性の中で、自分が高い地位にいる事実を享受するひとときを提供しています──そして人間は、社会的地位の変化にものすごく敏感です。他の誰かに高い地位を経験させることで、私たちはその人たちの好意的な感情を強めているのです。人には自分の社会的地位を高めてくれる人を好きになる性質があります。

 これは男同士のコミュニケーションで特によく見られるね。

 たまに、女性作家や女性漫画家が男同士の友情を描こうとして、登場人物に
「おまえはほんといいやつだよな」
「いや、おれこそおまえにいつも救われてるよ」
みたいなセリフを交わさせることがある。

 男ならまずそんな描写はしないだろう。親しくなるほどお互いのことを褒めないものだから。語らずとも分かりあうことこそが一般的な男の友情だ。もちろん例外もあるだろうが。

 なるほどね。信頼感を示すためにわざと甘噛みをするわけね。

 



 感心したのが、英国で政治家の不正をチェックするためにゲームの仕組みを使った例。

 議員たちに政治資金不正報告の疑いが持たれたが、証拠を探すには数十万枚の書類を一枚一枚チェックする必要がある。ジャーナリストでもとても調べられる量ではない。

 そこで、チェックをするためにゲームの機能を使った。

 一〇〇万枚の政府文書が手中にあるのに、どの文書がどの議員の不正の証拠になる可能性があるか見分けるすべがなかったのですから、多くの人から得られるかぎりの協力を得る必要があるのは明白でした。そこで、ガーディアンは、「群集の英知」を活用することにしたのです。ただし、同紙がそのために使ったのは、ウィキではなくゲームでした。
 ゲームの開発は、ロンドンを拠点に活躍している、若いながらも実績のあるソフトウェア開発者、サイモン・ウィルソンに依頼しました。ウィルソンの任務は、「スキャンされたすべての申請書とその裏付け書類を四五万八八三二件のオンライン文書に変換、圧縮し、不正の証拠を見つけるために誰でもこれらの公的記録を調べられるウェブサイトを設立すること」でした。開発チームのわずか一週間分の労働と文書をホスティングするテンポラリーサーバーのレンタル料五〇ポンドだけで、ガーディアンは世界初の大規模多人数参加型調査ジャーナリズムプロジェクト「地元選出議員の経費を調べよう(Investigate Your MP's Expenses)」を立ち上げたのです。

 このプロジェクトを立ち上げ、不正を見つけたらポイントゲットというゲーム感覚で誰でも参加できるようにしたことで、多くの市民が手分けして膨大な書類をチェックし、数々の不正申告を発見することができたという。

 いいなあ。日本でもやってほしい。

 でも日本政府の場合、まず書類を公開しないからな……。


【関連記事】

【読書感想文】マシュー・O・ジャクソン『ヒューマン・ネットワーク ~人づきあいの経済学~』 / ネットワークが戦争をなくす

【読書感想文】ゲームは避難場所 / 芦崎 治『ネトゲ廃人』



 その他の読書感想文はこちら


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿