読書の腕前
岡崎 武志
書評家による読書エッセイ。
「本好きによる本好きのための読書エッセイ」ってのはエッセイの定番ジャンルで、いろんな人が書いている。正直どれも似たりよったりの内容だが(この本もそう)本を書く人や読む人は当然読書好きが多いので、それなりに共感を得られてそれなりにおもしろがってもらえるのだろう。
読書の効用はいろいろ挙げられるが、結局のところ「読みたい欲を満たしてくれる」ことに尽きる。あとはすべて副産物だ。おもしろいこともあるし、つまらないこともある。勉強になることもあるし、ならないこともある。人生を豊かにしてくれることもあるし、してくれないこともある。
本にそれ以上のものを求めるのは、決まって本好きでない人たちだ。
そうなのよね。「読みたい欲を満たしてくれる」以上の価値は期待できない。何が得られるかは読んでみるまでわからない。それこそが本のおもしろいところなのに、あまり本を読まない人は本に実利を求める。
「みんなが読んでいる本ばかりが売れる」のも同じ現象だ。要するに、失敗を避けたいのだ。
年間何百冊も読む人は、一冊や二冊の失敗なんて屁でもない。たくさん読めばたくさんハズレを引くことを知っている。でも、年に数冊しか読まない人は失敗をしたくない。
毎日行く食堂で変わったメニューがあれば、興味本位で頼んでみるかもしれない。まずくてもいいや、と。でも自分の結婚式の料理は間違いのないものを選びたい。一生に一度だから。そんな感覚だ。
ま、これは読書に限らず、どんな分野でもあることだけどね。
ぼくも、読書に関しては「十冊やニ十冊のハズレがなんぼのもんじゃい」という感覚だが、旅行に行くのは年に一回ぐらいだから入念に下調べをして、口コミなんかも参考にして、多くの人がそこそこ高評価なものを選ぶ。「行ってみてダメだったらそのときだ」とはおもえない。
前半はそこそこ読めたが、中盤からは自慢話が多くてうんざりした。99%の自慢話がそうであるように、当然ながらまったくおもしろくない。
新聞社から児童書の書評を頼まれたので、「小学生の娘が書いた」という形をとってわざと拙い文章で書評を書いた、という昔の話を書いた後で。
こんな話が続く。
ああ嫌だ嫌だ、なんで年寄りの自慢話をわざわざ読まなくちゃいけないんだよ。
とおもっていたら、あとがきで著者がこの本を書いたのは四十代だったと知って驚く。
おじいちゃんだとおもってたよ。精神が完全に年寄り。昔とった杵柄の自慢と、回顧録がひたすら続くんだもん。誰からも褒めてもらえなくなったおじいちゃんが過去の栄光(と自分ではおもっているもの)を自画自賛してるのかとおもったわ。
こういう四十代にはならないようにしないとなあ。いい反面教師になりました。
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