2023年2月1日水曜日

【読書感想文】石神 賢介『57歳で婚活したらすごかった』 / ようやるわ

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57歳で婚活したらすごかった

石神 賢介

内容(e-honより)
やっぱり結婚したい。57歳で強くそう思った著者は、婚活アプリ、結婚相談所、婚活パーティーを駆使した怒涛の婚活ライフに突入する。その目の前に現れたのは個性豊かな女性たちだった。「クソ老人」と罵倒してくる女性、セクシーな写真を次々送りつける女性、衝撃的な量の食事を奢らせる女性等々。リアルかつコミカルに中高年の婚活を徹底レポートする。切実な人のための超実用的「婚活次の一歩」攻略マニュアル付!


 三十代で離婚、その後婚活をするも成婚にはいたらなかった著者が、還暦手前にして再び結婚したい願望にとらわれ、再び婚活に挑戦したルポルタージュ。


 ぼくからすると「ようやるわ……」という気持ちだ。

 ぼくは十年ほど前に結婚したが、そのときは安堵感を味わった。「やれやれ、これでもう惚れたはれただのモテるモテないだのといった競争からおりることができる」と。

 世の中には恋愛が大好きな人もいるけど、ぼくはどちらかというと嫌いだ。そりゃあ楽しいこともあるけど、つらいことや恥ずかしいことやめんどくさいことのほうがずっと多い。さっさと一人のパートナーを見つけて、その人と長く付き合うほうがいい。そんなわけで、ぼくははじめてできた彼女と八年付き合い、その人と結婚した。そりゃあ目移りすることがないでもなかったけど、それより「めんどくさい」のほうが勝った。

 だから、57歳で婚活なんて聞くと「わざわざそんな試練に我が身を投じなくても……」と、極寒の山中で滝行をする修行僧を見るような目になってしまう。どう考えたって、得られるものより失うもののほうが大きそうだもん。




 婚活アプリで出会った女性の話。

 このメッセージを僕に送ってきたのは、婚活アプリで最初にマッチングしたマリナさんである。アプリに登録した夜に申し込んだ5人の女性のなかで一人だけレスポンスをくれた41歳の女性だ。銀行員で、離婚歴が一度ある。
 彼女にメッセージを送ったのは、顔が好みだったということ。そして、好きな映画が同じだった。(中略)映画の話題で3往復やり取りすると、「会いましょうよ」と言ってくれた。ビギナーズラックだと思った。
 待ち合わせは、表参道駅近く。青山通りから路地を一本入ったビルのカフェレストランだ。実物のマリナさんもきれいな女性だった。かつては地方のテレビ局でレポーターの仕事もしていたという。
 意気投合した、と僕は思った。というのも、LINEのIDを交換し、R&B系の来日アーティストのライヴを観る約束をして帰路に着いたからだ。しかし、僕の大きな勘違いだった。彼女は僕にいい印象を持たなかったのだ。
 約束したライヴの日程が近づき、LINEで連絡をしても、レスポンスがない。高価なチケットを用意していたこともあり、不安になった僕は2度、3度、連絡をした。すると、3度目でようやく、深夜に連絡が来た。
「しつこいです。もう連絡しないでください。無理です」
 しつこかったか? そうとも思えなかったけれど、嫌われたことは間違いない。小心者の僕は即撤退することにした。
「失礼しました。もう連絡はさしあげません」
 と送信して就寝した。
 翌朝起床すると「連絡すんなって書いてあんの読めないのかよ。老眼鏡つけとけよ。てめーからLINEくるだけでゾッとして不眠になるわ。クソ老人!」というメッセージが届いていたのだ。「失礼しました。もう連絡はさしあげません」というわびのLINEすら腹立たしかったらしい。ここまで言うということは、断りたいだけでなく、僕を痛めつけたいということだ。
 食事をしたときに、おそらく無意識のうちになにか僕に失言があったのだろうし、心当たりはない。気分を害するポイントは、世代によっても違いがあるものだ。

 LINEメッセージを一通送っただけで『クソ老人』……。

 まあ一方的な言い分しかわからないからね。ひょっとすると著者がめちゃくちゃ失礼なことを言ったのかもしれないけど。でも、それにしても「老眼鏡つけとけよ。てめーからLINEくるだけでゾッとして不眠になるわ。クソ老人!」ってなあ。

 もしかして、男性を罵ることで快楽を得るタイプの人なのかもしれない。だってほんとに嫌いな相手だったら、そんな長いメッセージを打つよりもブロックするんじゃないかなあ。そっちのほうがずっと早いもん。


 しかし、こんな目に遭っても(ほかにもいろいろひどい目に遭ってる)次々に相手を探せるなんて、著者はタフだ。ぼくだったら、意気投合したとおもった相手から「クソ老人!」と言われたら婚活を諦めて一年以上は落ち込んでしまうような気がする。

 就活でお断りメールを受け取るのですら全人格を否定されたようでけっこうな心的ダメージを食らったのだから、異性から「自分という人間」を次々にお断りされるのは、相当な心痛だろうな。でも、どんな痛みもそうであるように、やっぱり慣れていくんだろうな。慣れるというか麻痺するというか。




 結婚相談所のプロフィール写真について。

 女性の写真はみんな上品だ。しかし、目が慣れてくると、あれっ?と思った。なんとなく違和感を覚える。
 よく見ると、写真の多くは加工されていた。婚活アプリと同じ傾向が見られた。目鼻立ちがくっきり写るように陰影のあるメイクをしたり、しわが目立たないようにソフトフォーカスで撮影されていたり。おそらく画像上でも、頬をシャープにしたり、肌荒れをフラットにしたり、レタッチが施されているのだろう。
(中略)
「実際に会ったら、顔が違っていることもありますか?」
「七掛けくらいまではご容赦いただきたいと……」
 やはり写真は加工されているのだ。
 お見合いの場に別人のような女性が現れたら、チェンジはありですか?」
 またもや思ったことが口をついて出てしまう。
「いけません! 私どもはそういう種類のお店とは違いますので」
 電話の向こうは急に強い口調になった。
「そうですか……。ならば、写真をつくり込んでいるか、見破る方法はありますか?」
「それはご自身のスキルを磨いていただくしかないかと」
「スキルを磨く……」
「はい。あっ、一つポイントを申し上げましょう。モノクロ写真は加工されている前提で見てください」
 コジマさんはきっぱりと言った。


「いちばん写りのいい写真を選ぶ」ぐらいならわかるんだけど、レタッチソフトを使って加工する人の気持ちはわからんなあ。

 加工して実物よりよく見せた写真でお見合いにいたったとしても、どうせ顔を合わせるのだからばれてしまう。だったら会ったときにがっかりさせるより、素顔をさらしてそれでも申し込んでくれる人と出会ったほうがうまくいくんじゃないの? とおもってしまうんだけど。

 どうせすぐにばれるとわかっててもそれでもよく見せたいのが女性という生き物なのか、それともとにかく会うことまでこぎつけないと勝負にならないから五割増し加工でもしたほうが勝率が上がるのか。

 しかし美人局や営業職ならともかく、一生共に過ごしていこうというパートナーを見つけるための場なのに、だましあいから入るのは、なんかちがうんじゃないの? とおもってしまう。それで数十年つきあっていけるのかねえ。


 もうひとつ疑問におもうのが、「高級レストランじゃなきゃイヤ、男性のおごりでなきゃイヤ」って女性が多いらしいこと。

 この感覚、まったく理解できない。自分が食べるものに金かけないからってのもあるけど。

 そりゃあ一回こっきりの相手に食事をおごってもらうんなら高い飯のほうがいいけどさ。でも、結婚相手を選ぶわけでしょ? 贅沢な食事に惜しみなく金を使う男よりも、締めるとこはちゃんと締める経済観念のしっかりした男のほうがよくない? 浪費家と結婚しても苦労するのは自分だよ? 結婚相談所だったら会う前に相手の年収はわかってるわけだから、収入の割に高い店に連れていく男はやめといたほうがいいとおもうけどなあ。

 まあ今の中高年ってバブルを知ってる世代だったりするから「おごってもらってあたりまえ。安い食事に連れていく男は論外」って感覚が染みついちゃってるのかなあ。

 婚活をやってると、結婚後に円満な関係でいることよりも「婚活でちやほやされること」が目標になっちゃうのかもね。

 就活のときもいたよね。「いい会社に入って好ましい仕事をすること」じゃなくて「何社から内定をもらったか」がゴールになっちゃう人が。




 読んでいて感じたのは「この人たちほんとに結婚する気あんのかな?」ってこと。著者も、著者が会った女性たちも。

 この人もダメだった、あの人もダメだった、その人はそこが嫌だった、あの人とはあそこがあわなかった……。と、あれこれ理由をつけては見送っている(フラれてるケースもあるけど)。

 え? もししかして「世界のどこかにいるすべて私の理想通りの相手」を探してる?

 いねーよ! いたとしてもそいつはとっくに他の誰かと結婚してるよ!


 読んでいると、著者は結婚相手を探しているというより、なんとかして結婚しない理由を見つけようとしているようにしか見えない。

 理想通りじゃないのはあたりまえじゃない。まして「57歳で婚活する男」「57歳で婚活する男と会ってくれる女」なんだから、いろいろと問題があるのはあたりまえじゃない。容姿も良くて、高収入で、働き者で、性格が良い人がその市場にいるわけがない。そんなかんたんなこと、誰だってわかる。

 たぶん著者や、著者と会った女の人たちだってわかってる。他人になら「完璧な人なんていないんだからほどほどのところで手を打ったほうがいいよ」と言えるだろう。でも、こと自分のことになると、理想を追い求めてしまう。だから結婚できひんねんで。

 おもうに、婚活の仕組み自体が良くないんだろうね。何千人もの異性の写真やプロフィールを見て、何十人、何百人もの人に会って結婚を前提にした会話をする。そりゃあどうしたって目移りもするし、品定めする目になってしまう。「年収はあの人のほうが上だった」「顔は以前の人のほうが好みだった」「いちばん会話が弾んだのは彼だった」ってな感じで減点してしまうのだろう。


 つくづくおもうに、昔の「親が勧めてきた相手」や「上司の紹介」ってのはそれなりにいい制度だったんだろうな。それだと相手をあれこれ見比べることないから「わざわざ断るほどの理由もないし、まあいいか」ぐらいで手を打てる可能性も高かったのだろう。

『57歳で婚活したらすごかった』を読んでいると、婚活をすればするほど結婚から遠ざかっていくような気がする。だって〝過去の最高点〟がどんどん上がっていくんだもん。長く婚活していれば「もっといい人がいたのに、今さらこんなところで手を打ちたくない」って心境になるだろうし。

 仮に結婚したとしても、たくさんの人と結婚を前提にしたお付き合いをした後だと「やっぱりこの人じゃなくてあっちにしとけばよかったかなあ……」とおもうんじゃないかな。その点、ぼくなんかひとりの女性としかつきあったことないから、そんなふうに迷うこともない。あー、モテなくてよかった!(涙目でガッツポーズ)


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