広瀬 友紀
子育て中の言語学者が、子どもの言語の発達を通して「我々はどのように日本語を習得していくのか」について書いた本。
むずかしい用語は多くなく、身近なエピソードがふんだんに使われているので言語学への入門書としてはいいとおもう。単純におもしろかった。
たとえばこんなの。
あるある。「オジャマタクシ」が典型例だよね。うちの四歳児も、ずっと「おくすり(お薬)」のことを「おすくり」って言ってる。何度訂正しても直らない。あと「エベレータ(エレベーターのこと)」とか「テベリ(テレビのこと)」とか。
これは子どもだけでなく、大人でもやってしまいがちだ。中には、音位転換されたほうが正しい表記になってしまったものもあるという。元々「あらたし」だったのが「あたらしい」になってしまったり、「したつづみ(舌鼓)」が「したづつみ」になってしまったり。「こづつみ(小包)」とかがあるからごっちゃになってしまったんだろうな。
最近だとカタカナ語でよくあるよね。「シミュレーション」を「シュミレーション」と書いてしまったり、「コミュニケーション」を「コミニュケーション」としたり、「アニミズム」を「アミニズム」としたり。ちなみに「アニミズム」はめちゃくちゃ間違えられてて、検索すると「アミニズム」と同じぐらい使われてる。近い将来これも正解になるかもしれない。
あと、子育てをしたことのある人ならかなりの割合が経験したことあるであろう「幼児、『死ぬ』を『死む』と言っちゃう問題」について。
以前にもこのブログで書いたことがあるけど、これはほんと幼児あるあるだとおもう。
なぜ「死ぬ」を「死む」といってしまうのか
濁音問題。
「か」に点々をつけたら? → 「が」
「さ」に点々をつけたら? → 「さ」
といった問いには答えられる幼児でも、「は」に点々をつけたら? という問いに答えるのはむずかしいそうだ。
なぜなら、「『か』と『が』」「『さ』と『ざ』」「『た』と『だ』」は口内の形が同じでのどの震わせかた(無声音か有声音か)で音を出し分けているのに対し、「『は』と『ば』」は口内の形がまったく別物だから。
『ば』の口の形のまま無声音にした音は、『は』ではなく『ぱ』である。
なるほどねえ。「『は』に点々をつけたら『ば』になる」というのはルールから逸脱した例外なのだ。大人は気づかないけど、日本語を学びはじめた幼児(あるいは外国人の日本語学習者)にとってはつまづきやすいポイントなんだね。
ぼくにも子どもがふたりいるが、子どもの言語能力の発達スピードというのはものすごい。特に二~三歳児頃の成長はすさまじい。一年前まで「ごはん」「いや」みたいな単語しかしゃべれなかったのに、たった一年で「もうおなかいっぱいだからたべたくない。でもおやつはたべる」なんていっぱしの日本語を操れるようになるのだ。
しかも、体系立てた学習をしているわけではなく、周囲の人たちが話すことばを聞いているだけなのに。
もちろんこんなに順序立てて考えているわけではないが、意識下でこういう思考をくりひろげているのだ。ほんの数秒で。
今、AIがどんどん進化していってすごいなあと感心するけど、ほとんどの子どもはそれよりも高精度で学習をしているわけだもんね。改めて、人間の脳ってすごいと感じる。
その他の読書感想文は
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