小学生のときにディベートの授業をした。
そのとき、自分は「ディベートが得意な人間」だとおもっていた。口が立つし、切り返しも早い。相手の論の瑕疵を突いたり、比喩を用いてわかりやすく説明するのもうまい、と。
数十年たった今、とんでもないおもいちがいだったとつくづくおもう。はっきりいって、そんな能力ぜんぜん役に立たない。むしろマイナスだ。
小学生のときは、「ディベート能力」=「話す能力」だとおもっていた。だけど大人になってみて気づく。話す能力なんかより、話さない能力のほうがずっと大事だ。
話を最後まで聞く、意見を否定されても人格の否定として受け取らない、意見の相違を認める、仮に自分が正しいとしても相手をこてんぱんに言い負かさずに言い逃れの余地を与えてやる……。
「攻め方」よりもそういう「受け方」や「攻めない方法」のほうがずっと大事だ。
たいていの場合、相手を言い負かしていいことなんかひとつもない。消耗して、恨みを買って、(一部の取り巻きをのぞく)周りの人からも嫌われて、得られるのは「勝ったぜ」という何の役にも立たない自己満足だけ。失うことのほうがずっと大きい。
Twitterで喧嘩をしている人なんかを見ると「弁論で他人を変えることができるとおもってはるなんて、人間に対する信頼が深くてよろしおすなあ」としかおもえない。
Twitterで喧嘩をすると、味方は離れていき、敵ばっかり寄ってくる。なんもいいことない。
言い負かす能力よりも、負けたふりをしてやるスキルとか、うまくはぐらかすスキルとかのほうがずっと大事だ。いちばんいいのは、敵対しようとしてくる相手と距離を置くこと。
だから学校の授業でディベートをやるときは「ムードが悪いとおもったらその部屋から自由に退出してもよい」というルールを作ってやったらいい。
で、最後まで残ってたやつが負け。
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