天使の耳
東野 圭吾
交通事故を題材にしたミステリー。
読みはじめて「あれ? これ知ってるぞ?」と以前にも読んだことをおもいだした。十五年ぐらい前かな。それでもだいたいの内容は覚えていたので、当時はけっこう印象に残ったのだろう。
今改めて読んでみて、つくづくよくできた短篇集だとおもう。
前方不注意、あおり運転、違法駐車、車からのポイ捨て、接触事故など、違反行為ではあるが道路上では毎日のように起こっているわりと一般的な出来事をミステリに仕立てあげる技術はさすが。
特に表題作『天使の耳』は秀逸。事故の証人となったのは盲目の少女だった。はたして彼女の証言は信用に足る証拠として扱うことができるのか……。
緊張感のある筆運びでストーリーを運び、あっと驚く鮮やかなクライマックス。いやあ、見事だった、とおもいきや最後にもうひと展開。おお、うまい。切れ味の鋭い短篇にしあがっている。
『分離帯』『危険な若葉』『通りゃんせ』に関しては、よくできてはいるけど「いくらなんでもそこまでするかなあ」という感じだ。復讐や嫌がらせ目的でそこまで時間と労力かけるかね、という印象。
小説だから、リアルでなくてもいい。とはいえ「ふつうはしないけど日本にひとりぐらいはこれぐらいやる人いるかも」とおもわせてくれるぐらいのギリギリのラインを攻めてほしい。この三篇に関しては、ちょっとそのラインをはみ出しているように感じる。
『鏡の中で』は逆に、わりとありそうな話。こっちは意外性がなくてケレン味に欠ける。現実離れしててもダメ、現実的すぎてもダメ、自分でも贅沢なこといってるけど。
『捨てないで』は唯一殺人がからむ本格ミステリ。殺人事件そのものは目を惹くようなトリックではないが、その推理過程にうまく交通違反をからめている。何度も書くけど、小説の名手って感じだなあ。
さすが東野圭吾作品だけあってどの短篇も平均以上の水準を保っている。が、一篇目の『天使の耳』がいちばんよかったので右肩下がりの印象。他が悪いんじゃなくて『天使の耳』が良すぎたんだけど。構成って大事だね。
ぼくは車の運転をしない。十年ぐらい前には仕事で使っていたけど、転職を機にやめた。車を売ってしまってそれ以来一切運転していない。
まあ、性に合わなかったんだよね。毎日乗っていたけど、とうとう慣れなかった。事故も起こしたし。趣味はドライブです、なんて人の気持ちがまったく理解できない。ずっと緊張するんだもん。「事故って死ぬかも、誰かひき殺しちゃうかも」って毎日のようにおもいながら運転してた。
そして車を運転していて嫌だったのはもうひとつ、「倫理観が失われること」だった。
車を運転する人って頭おかしくなってるじゃない。
いや、ほんと。
ほとんどのドライバーが多かれ少なかれ違反をしている。スピード違反、違法駐停車、黄信号でも交差点に進入、一時停止を守らない、横断歩道で渡ろうとしている歩行者がいるのに止まらない。一度もやったことのないドライバーなんてまあいないだろう。
これ、頭がおかしくなってるとしかおもえない。だってそういう人だって、ふだんは善良な市民なんだよ。毎日犯罪をする人なんてめったにいない。むかついても殴りかかったりしない、会社の金を着服したりしない、同僚が机の上に財布を置きっぱなしにしていても盗まない、行列でちょっと隙間があいてても割りこまない。そんな人がハンドルを握ると、あたりまえのように制限速度を超過し、黄信号で交差点に進入し、駐車禁止区域に駐車する、ちょっとでも車間距離があいてたら車線変更して割り込む。完全に頭おかしくなっている。
ぼくもそうだった。「みんなやってるから」って感覚で軽微な違反行為をくりかえしていた。
車道の上って、一般社会とは別の法意識があるんだよね。「十キロぐらいの違反は違反じゃない」みたいな謎のルールが幅を利かせている。それって「五百円円までなら盗んでもいい」みたいなわけのわからないことなのに、なぜかドライバーたちはそのルールでやっている。逆に、法定速度を守っているドライバーのほうが迷惑なやつ扱いされたりする。運転するなら〝ドライバーたちの頭おかしいルール〟に従わないといけない。
すっかり車の運転をやめた今、『天使の耳』を読むと、あらためてドライバーたちの頭のおかしさにぞっとする。
捕まらなければ法を破ってもいい。そんな考えの連中が大きな鉄の塊を高スピードで動かしているのか。自分もそんな頭おかしい連中のひとりだったのか。
やっぱり車の運転なんてするもんじゃないな。
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