2022年11月16日水曜日

【読書感想文】上田 啓太『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』/ ひたすら己を眺める時間

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人は2000連休を与えられるとどうなるのか?

上田 啓太

内容(e-honより)
仕事のない解放感を味わう。将来への不安を感じはじめる。昔を思い出して鬱になる。図書館に通って本を読む。行動を分単位で記録する。文字を読むことをやめてみる。人間のデータベースを作る。封印していた感情を書き出す。「自分」が薄れる。鏡に向かって「おまえは誰だ?」と言い続ける。自分にも他人にも現実感が持てなくなる…。累計1000万PVの奇才が放つ衝撃のドキュメント。


 ぼくはかつて無職だった。原因不明の高熱が続いたので新卒で入った会社を数ヶ月で辞め、実家に帰った。はじめのうちは心配していた両親も、就職活動をするでもなく、アルバイトをするでもなく、インターネットで遊んだり友人と遊びに行ったりしている息子に対して冷たくなった。

 なにしろ、体調が悪いと言いつつ、近所を走ったり友人と飲みに出かけたりしているのだ。これでは心配してもらえない。

 ぼくのほうも両親の「はよ働け」プレッシャーを毎日受けているうちに居心地が悪くなり、一年後ついにアルバイトをはじめてしまった(その後正社員登用される)。


 ということで、乳幼児の時期を除けば、ぼくが経験した最大連休は360連休ぐらいだ。

 360連休でもなかなかきつかった。親からのプレッシャーもあるし、周囲からの「大丈夫?」という心配も胸が痛くなった(逆に親しい友人から「クズニート!」とかストレートに言われると安心した。心配されるほうがつらい)。なにより、このままじゃいけないということは自分がいちばんわかっている。

 決して勤勉というわけではないが、それでも終わりのない休みがずっと続くのはつらい。考える時間だけはたっぷりあるので、ついつい思考が悪いほうに向かってしまう。

 アルバイト、そして正社員として働くようになって感じたのは「無職でいるより働くほうがずっと楽」ということだ。

 雇用されていれば、「明日は何をしよう」「この先どうしたらいいのか」といったことに思い悩まなくてもいい。将来への不安がゼロになるわけではないが「まあなんとかなるだろ」とおもえる。仕事はつらいこともあるが、無職でいることに比べれば屁でもない。

 そんな経験があるので『人は2000連休を与えられるとどうなるのか?』というタイトルを見たときはぞっとした。2000連休ということは約6年。それだけ休んだ後にはたして〝こちら側〟に帰ってこられるのだろうか?



 著者の上田啓太氏は仕事をやめ、恋人の家に転がりこむ。一応最低限の生活費は入れていたらしいが、ほとんどヒモだ。

 まあヒモだろうとニートだろうと子ども部屋おじさんだろうと当人たちが納得しているのなら他人がとやかく言うことではないが、やっぱり大人が大人に依存しているのはお互い居心地のいいものではないだろう。

 連休が続いている。すでに四ヶ月ほど働いていない。さすがに不安を感じはじめた。まったく社会と関わっていない。通勤先がない。通学先もない。何の労働もしていない。毎日ひたすら家にいる。コンビニやスーパーには行くが、それだけだ。アルコールは現実逃避の意味合いを持ちはじめている。昼間から酒を飲んでいても、心の底から快活に笑えない。これまでの人生は何だったんだろう。今後の人生はどうなるんだろう。過去と未来のはさみうちにあっている。

 わかるなあ。ぼくも無職になった当初は楽しかったけど、やっぱり数か月たつと「何をしてもいい」という喜びは消え、将来への不安ばかりが強くなった。「酒に逃げたらもうおしまいだ」という意識があったために酒には手を出さなかったけど、もし酒好きだったら酒におぼれて再起不能になってしまっていたかもしれない。

 ぼくもそうだけど、内向的な人間ってヒマにならないほうがいいんだよね。思考が内に内に向かってゆく。内を見つめてもいいことなんて何もない。己の良さなんて他人に見出してもらうものであって、自分で発見するもんじゃない。


 大学に入ってしばらくしてからも同じような状況に陥った。大学生ってとにかく自由じゃない。あれもできるこれもできる、とおもうとかえって何もできなくなってしまう。

 時間だけはあるのであれこれ考える。答えのないことばかり考える。いま客観的に思いかえしたら「考えなくていいからバイトするなりどっか出かけるなりしろ!」と一喝したくなるけど、当時は「どうせあと数年したら仕事しなくちゃいけないんだから、今は今しかできないことをしよう」とおもっていた。数年後無職になるとも知らずに。


 油断すると部屋にこもるような人間は、たいてい言語能力が発達している。肉体の運動神経のかわりに、言語やイメージの反射神経を鍛えているようなものだからだろう。少しの刺激からさまざまに思考を展開させるくせがある。これ自体はただの特徴だし、うまく転がれば、想像力が豊かだと評されたり、よくもまあ変なことを考えるもんだと言われたりする。しかしマイナス方向に振れた場合、誰かの些細なひとことから原稿用紙百枚分の被害妄想を展開させてしまったりもする。
 人は汗だくで苦悩できるのか。反復横とびしながら悩んでいられるのか。シャトルランのあとで悩みを維持できるのか。運動不足や不摂生の産物を、観念的な悩みと取り違えているのではないか。

 忙しく仕事をしていたら「人生の意味とは」とか「より善く生きるには」とか考えないんだよね。そんなこと考えなくていいんだけど、ヒマな人間からすると、考えてない人間が愚かに見えてしまうんだよね。「彼らは何も考えていない」とおもってしまう。じっさいは「自分が考えていることを考えていない」だけなのにね。



  時間があるからだろう、上田さんはひたすら自分自身を見つめている。

 SNSを見ている自分を観察した文章。

 タイムラインに関しては、読むというよりはスキャンしている。つまり、視界に入ったものの大半を無視して、興味を引いた文だけを読み、リンクをクリックしている。リンク先を見終えればタブを閉じる。最後まで見ずに閉じることもある。そしてスキャンを再開する。眼球の動きは速く、瞬時に膨大な情報を処理している。指先の動きも異様に速く、トラックパッドをこすり、ショートカットキーを多用している。椅子に座って、身体を固定したまま、眼球と指先だけがものすごい速度で動き続けている。指先と目玉の化け物がここにいる。
 結果、二時間ほどネットを見るだけでも、大量の断片を消費して、何を見ていたのか、うまく思い出せずに首をかしげる。本を読む場合、基本的には冒頭から順に読んでいく。特定の内容を探してスキャンするようにページをめくることもあるが、それでも書物自体が一定の統一感を与えられたものだし、それぞれにまったく無関係なものが雑多に集まっているネット空間とはちがっている。ネットに慣れた状態で分厚い本を読もうとすると、やはり数分で集中が切れてしまう。集中のリズムが非常に細かくなっている。本というものは、ネットに比べるとゆったりとしたリズムで書かれているから、ネットのリズムのまま読もうとすると、うまくいかないのだろう。

 たしかになあ。考えたこともないけど、ネットサーフィンをしているときの自分ってこんな感じだ。改めて突きつけられると恥ずかしい。


 上田さんは「今後の自分」について考える時期を乗り越え「過去の自分」を掘りかえす日々を迎える。

 今までに見聞きした漫画、映画、CD、テレビ番組などのコンテンツをデータベース化し、それだけでは飽きたらず、これまでに出会った人たちすべてを思いだせるかぎりデータベース化する。そして子どもの頃のちょっとした思い出なども思いだせるかぎり書いてゆく。

 おお。ここまでいくともう発狂一歩手前、って感じがする。過去に囚われて現在が見えなくなってしまいそうだ。

 現在の問いをひとことであらわせばこうなる。
「この意識は、明らかに上田啓太とは別の何かだが、だとしたらこれは何だろう?」
 今さらの話だが、私のフルネームは上田啓太という。いや、そのように素朴に言ってしまうと正確ではない。この感覚を維持したまま無理やりに自己紹介をするならば、
「私は人々から長いこと上田啓太と呼ばれてきましたので、習慣的に自分のことを上田啓太という名前だと考えておりますが、それはひとつの約束事に過ぎません。しかし、約束事の世界に参加するためにも、今はこの名前を使っておきます。よろしくお願いします。上田啓太です」
 もしも飲み会でこんな自己紹介をはじめる人間がいれば、できるだけ遠くの席に移動することになるだろうが、これが正直な感覚である。「上田啓太」という言葉が壊れている。言葉が壊れるというのも奇妙な表現だが、言葉を支えていたリアリティがボロボロと崩れ落ちて、ほとんどナンセンスなものになっていると言えばいいだろうか。
 私は、上田啓太ではないと思う。

 ほらほら。もういけない。まちがいではないかもしれないけど、こんなことを考えている人は社会ではやっていけない。正しいかどうかはさておき、多数派でないことはまちがいない。


 終盤は哲学の本を読んでいるようでぼくにはほとんど理解できなかった。興味があったのは「2000連休がどんなふうに終わって一般の社会に戻るのか」だったのだけど、これといった出来事が起こるわけでもなく、なんとなく連休が終わる。

 まあ現実だから仕方ないけど、ストーリー的にはものたりなかったな。


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