おしりぺんぺんってさ、改めて考えるといい体罰だとおもうんだよね。
あ、いや、体罰推奨派じゃないんだけど、極力体罰をなくしたほうがいいとおもうんだけど。
でもさ、じっさい子どもを育ててみると、我が子ながらものすごく憎らしくなることもあるんだよね。平然と嘘をついたり、詭弁でごまかそうとしたり、小さい子にいじわるをしたり、おもわず手が出そうになることも一度や二度ではない。
もう手が付けられなくなるぐらい怒って暴れることや、怒って他人にやつあたりしているときなどは、言葉で説得することなど不可能だ。怒りくるっている犬を相手にするようなものだ。そんなときにいくら「いい子だからおぎょうぎよくしようねー」なんて言ってもへのつっぱりにもならない。
そんなときぼくは「羽交い絞めにする」「押し入れに入れる」という手段をとる。
一部の人に言わせれば、これも許されない体罰になるのだろう。でも、だったらどうしたらいいのか教えてくれ。はさみを持ったまま怒りくるっていて、一切こちらの話を聞かない子どもをどうやってなだめるのかを。
もちろん殴る蹴るなどの体罰はよくないとおもうし、できることならぼくだって手を上げたくはない。でも、力づくで抑えないとどうにもならない状況はある。暴力絶対反対っていってる人だって、子どもが犬に噛まれてたら力づくで止めるだろ? それと同じで。
で、おしりぺんぺんだ。
体罰の中ではおしりぺんぺんっていちばんマシなものじゃないかとおもう。
最大のメリットは、けがをさせないこと。子どもの身体は弱いから、体罰によって口を切ったり骨が折れたりへたすると内臓や脳に損傷を与えたりするかもしれない。ふだん人を殴らない人ほどかげんがわからない。
その点、おしりぺんぺんでけがをさせることはまずない。少々加減をあやまったって、せいぜいおしりが真っ赤になるぐらい。おしりは身体の中でもトップクラスに衝撃に強い部位だ。
それから実行に移すまでに時間がかかること。
たとえば頭にげんこつを食らわすとか、頬に平手打ちをお見舞いするとかだと、かっとなってやってしまうかもしれない。感情にまかせて行動してもろくなことはない。けがをさせたり、体罰を与えた側が後悔したりする。
その点、おしりぺんぺんはとっさには実行に移せない。このやろうとおもい、子どもを抱え、膝の上にうつぶせにして、場合によってはズボンやパンツをおろして、それからぺんぺんすることになる。どんなに熟練したおしりぺんぺナーでもその間数秒はかかる。
この間に頭を冷やせる。
聞くところによると、人間の怒りのピークは六秒しか持続しないという。子どもをつかまえて、膝の上に乗せ、暴れる子のズボンやパンツを脱がせて腕をふりあげているうちに怒りのピークは過ぎ去っている。
これにより「感情に任せてつい暴力を加えてしまう」ことが避けられる。「今度やったらおしりぺんぺんだよ」と解放してやるか、あるいは「ここは教育のためにぺんぺんしといたほうがいい」と教育的指導を加えるか、冷静に判断することができる。
感情のままにぶんなぐるのと、冷静に判断した上で手を上げるのでは、まったくちがう。後者の体罰は、推奨するまではいかなくても、黙認ぐらいはされてもいいと個人的にはおもう。
かように、おしりぺんぺんはよくできた体罰システムである。少なくとも殴ったり蹴ったりするよりは百倍いい。さすが昔の人はいいシステムを考えたものだ。昔の子どもは今より栄養状態も悪かったし、救急医療の体制もなかった。子どもに手を上げて、けがをさせてしまうことも今よりずっと多かったにちがいない。そこで生まれたのがおしりぺんぺんシステムなのだろう。
これを家庭内教育だけでなく、学校教育にも活かせないものか。
もちろん教師が生徒のおしりをぺんぺんやるわけにはいかないが、教師が生徒を殴りたくなったときは、細長い風船を膨らませて、そいつでおもいっきりぶんなぐってもいいことにするとか。
もちろん風船で殴られたってけがをすることはないし、風船をふくらませるのには時間も体力も使うから、そこまでして殴りたいということは教師としてもよほどのことなのだろう。感情にまかせた体罰ではなく、教育的見地に基づく指導が期待できる。
風船でなぐられたって痛くもかゆくもないから、風船をうんこの形にして精神的ダメージを与えてやるぐらいはしてもいいとおもう。
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