悪童日記
アゴタ・クリストフ(著) 堀 茂樹(訳)
なんかうまく言葉にできないけど、ぞくぞくする小説だった。おもしろい、とはちょっとちがう。感動するわけでもないしハラハラドキドキする描写もほとんどない。新しい知識が得られるわけでもないし、意外なトリックが仕掛けられているわけでもない。でも、ぞくぞくする。ページをめくる手が止まらない。なんともふしぎな味わいの小説だった。
いちばん奇妙だったのは、人の顔が見えないことだ。
一人称で書かれた小説なのに自我がまるで感じられない。主語は常に「ぼくら」だったり「ぼくらのうちひとり」だったりで、「ぼく」としての語りはまったくない。双子それぞれの名前も一切出てこない。誰も彼らを名前で呼ばない。
固有名詞がないのは「ぼくら」だけでない。登場人物たちは「おばあちゃん」「将校」「従卒」「女中」などと肩書で呼ばれ、名前があるのはせいぜい「兎っ子」ぐらい。それもあだ名だが。
地名も「大きな町」「小さな町」などで、著者の経歴を知ればナチス占領下のハンガリーであることは容易に読みとれるものの、作中に具体的な国名などは一切出てこない。
とにかく、具体性、自我がまるで見えない。
にもかかわらず、登場人物たちの姿は活き活きと描かれている。
強欲で口汚くて夫を毒殺した噂のあるおばあちゃん、目の見えない隣人と知的障害のある娘、少女に猥褻行為をする司祭、ぼくらを性的にかわいがる将校や女中……。
戦争文学なのだが、反戦メッセージがあるわけではない。登場人物たちはことごとく非道。もちろん「ぼくら」も例外でなく、嘘や盗みを平然とはたらく。場合によっては命を奪うことも辞さない。生きるためだけでなく、ただ純粋に興味本位で悪をはたらくこともある。その一方で勉強熱心で勤勉で正直という極端な一面も持ちあわせている。
登場人物たちに善人はいないが、根っからの悪人もいない。いや、現代日本人の感覚からすれば悪人だらけなのだが、『悪童日記』の中では悪人ではない。なぜなら、戦時下だから。
戦時下で死と隣り合わせの状況では、欲望に対してずっと正直になるのだろう。『悪童日記』の登場人物たちは、タテマエや世間体よりも己の欲望を優先させている。それが、彼らが活き活きとしている理由だろう。
平和を愛する日本人であるぼくはもちろん戦争なんてまっぴらごめんだが、でも欲望に忠実な彼らの生活は案外悪くないかもなとおもわされる。嘘や飾り気のない人生なのだから。
もっともぞくぞくしたのが、ラストの父親が訪ねてくるシーン。スパイ容疑をかけられて拷問を受けた父親の亡命を助ける「ぼくら」。こいつらにもこんな人情味があったのか……とおもいきや、まさかのサスペンス展開。おお。ぞわっとした。
ずっとユーモラスな雰囲気が漂っているのが余計にこわい。
『悪童日記』を読んでいると、ふだん「社会性」という仮面の下に隠している獣の部分を暴かれるような気がする。ぼくも一応はちゃんとした社会人のふりをしているけど、状況が変われば金や性欲や食い物のために、他人を踏みつけにする人間だということをつきつけられるような。
まるでパンツの中にいきなり手をつっこまれたような感覚になったぜ。うひゃあ。
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