一投に賭ける
溝口和洋、最後の無頼派アスリート
上原 善広
評伝かとおもって読みはじめたら「私が~」という文章が続くので戸惑ってしまった。なんだこれ、自伝なのか? だとしたら著者名と扱っている人物の名が異なるのはなぜだ?
あとがきまで読んで、ようやくわかった。著者が二十年近く溝口和洋氏にインタビューしてその選手人生について書いたのだが、あえて一人称を使ったらしい。それならそれで最初に説明してくれよ。だいぶ戸惑ったぞ。
ぼくは陸上競技にぜんぜん興味がないので、溝口和洋という人のことはまったく知らなかったのだが、いろんな意味ですごい人だ。
まず、身長180cmという(世界で闘うやり投げ選手としては)小柄な肉体ながら、圧倒的に身体の大きい人が有利なやり投げで世界トップクラスの成績を残す。(再計測により無効となったが)世界新記録もたたき出している。彼の持つ87m60という日本記録は、30年以上たった今でも破られていない。若き日の室伏広治にハンマー投げの指導をした人物でもある。
だが彼のすごさは、その記録よりもむしろ生き様にある。
指導者はおらずほぼ独学のみで、尋常でないトレーニングを重ね、たった一人で世界の舞台で闘いつづけた。さらに、酒を飲み、本番前にもタバコを吸い、女遊びもする。他の選手や陸上協会に対しても堂々と批判し、マスコミ嫌いで気に入らない記事を書いた記者は捕まえて暴行をくわえる。引退後はパチプロとして生活をし、後に実家に帰って農家になる。
まさに「無頼派」という言葉がぴったりだ。
ぼくは小中学生のときに近藤唯之さんという人の本で昔(昭和)のプロ野球選手の逸話をよく読んだが、昭和のプロ野球選手の生活に近いかもしれない。昔のプロ野球選手にも「銀座のクラブで豪遊した」「夜通し飲んで、徹夜明けで出た試合でホームランを打った」なんて逸話が残っている。だが、彼らは無頼派とは異なる。そういう時代だったからやっていただけで、周囲が夜遊びをしていなければやらなかっただろう。
だが溝口和洋は、あくまで我が道をゆく人だ。
タバコを吸うのはトレーニング……。すごい理屈だ。めちゃくちゃだが「どう考えてもやり投げの方が体に悪い」は笑った。はっはっは、たしかにその通りだ。そういえば大学時代の運動科学の先生も「体にいい運動は散歩程度で、あとは全部体に悪い」って言ってたなあ。
そうだよなあ。趣味でやるレベルならともかく、部活やプロ選手がやるスポーツはほぼ例外なく不健康だよなあ。身体的にも精神的にも。苦しくなるまで身体を痛めつけるって、冷静に考えたらかなりの異常行動だ。ケガもするし。スポーツは体に良いとおもってしまいがちなので、気をつけねばならない。
溝口氏がすごいのは、徹底的に考えたことだ。外国人選手に比べて小柄な身体というハンデを乗り越えるためにひたすら考え、疑った。
言われてみれば当然のことのようにおもえるが、なかなかできることではない。スポーツの練習というのは基本的に形から入る。上手な人のフォームを真似るところから始まる。その時点ですでに先入観にとらわれている。
溝口選手は、あらゆるものを疑い、フラットな状態から見つめなおした。
ここまで疑うのか……。
たしかに「後ろ向きに走るよりも前向きに走ったほうが速いのはあたりまえ」とおもっているが、じっさいに確かめたことはない。障害物のない平地で、周囲に人がいない状況で、練習を重ねたら、ひょっとすると前向きで走るよりも速くなるかもしれない。やったことがないのだからぜったいにないとは言い切れない。
走り高跳びがオリンピック種目になったのは1896年だが、アメリカのディック・フォスベリーが背面跳びを発明し、金メダルをとったのは1968年のメキシコオリンピックである。それまでの70年以上(オリンピック種目になる前も含めれば数百年にわたって)、誰も後ろ向きに跳ぶほうが高く跳べるなんて考えもしなかったのだ。
常識にとらわれない発想をすることこそが、超一流選手とそれ以外を分ける点かもしれない。
王、野茂、イチロー。いずれもそれまでの常識からすると常識外れの独特のフォームで活躍した選手だ。一本足打法、トルネード投法、振り子打法。多くの指導者が、そんなやりかたで成功するはずがないとおもっていただろう。だが彼らには理解ある指導者がいて、独自の道を貫いた結果大成功を収めた。
溝口選手は理解ある指導者もなく、自分の思考だけで世界トップクラスで戦えるレベルまでたどりついた。とんでもない我の強さだ。
ぜんぜん比べられるような話ではないが、ぼくも高校生のときに担任から「授業を聞かずに自分で教科書読み進めてええで」と言われてじっさいにその通りにしてから飛躍的に成績が伸びた。
スポーツにかぎらず、初心者のうちは「他人のアドバイスに従う能力」が求められるが、ある程度のレベルまで達すれば逆に「他人の意見を聞かない能力」のほうが大事になるのかもしれない。他人から教えられたことと、自分で考えて試したことでは、定着力がぜんぜんちがうもの。
溝口選手は、飲む・打つ・買うに代表されるその破天荒なスタイルに目が行ってしまうが、同時に誰よりもトレーニングをした選手でもあった。
よくこれで身体を壊さなかったな……。
ふつうの人の考える「いちばん厳しいトレーニング」は、できなくなるまで懸垂を続けることだろう。溝口選手は、懸垂ができなくなれば斜め懸垂、斜め懸垂ができなくなれば手を鉄棒にくくりつけてさらに懸垂……。よくもまあここまで自分を追い込めるものだ。
ここまで努力していることを公言はしていなかったそうだから、周囲からしたら
「あいつは酒もタバコもやって、素質だけでやり投げをやってちょっと結果が出ているものだから調子に乗ってるやつだ」
ってなふうに見えていたんだろうね。
ついつい「あいつはたいした努力もせずに〇〇できていてずるい!」とおもってしまいがちだけど、他人の努力なんて見えやしないんだから勝手に推し量っちゃいけないね。
やっぱり変な人の話を読むのはおもしろい。現実にはお近づきになりたくないようなタイプの人(つまり攻撃的な変人)であるほど、本で読むのはおもしろい。
やり投げをやったことも今後やる可能性もないぼくにとっては役に立つ情報はまったくなかったけど、そんなことはどうでもよくなるぐらいおもしろかった。
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