日本人の死に時
そんなに長生きしたいですか
久坂部 羊
ぼくが子どもの頃(1990年代)は、まだまだ長寿はめでたいことだった。百歳の双子・きんさんぎんさんが国民的スターとなってテレビでもてはやされていて、百歳は素直に「いいねえ」と言われることだった。
当時にも介護などの問題はあった。有吉佐和子の『恍惚の人』が刊行されて認知症が話題になったのが1972年のことである(ちなみに2004年に「認知症」という名称がつけられるまでは「痴呆症」あるいは「ボケ」と呼ばれていた。ぜんぜん悪意なく使っていたのだが、今考えるととんでもない呼び方だよなあ)。とはいえ介護はおおむね家庭の問題であった。「このままじゃ老人が増えて働き手が減って社会が立ちいかなくなるぞ」とは言われていたが、切迫した問題として真剣に憂慮している人は多数派ではなかった。
その後、日本は1994年に65歳以上の人口が14%を超える高齢社会となり、2007年には21%を超える超高齢社会となった。低成長、国際的競争力の低下、増える税金や社会保険料、国家財政の悪化。多くの問題は「高齢者が多いこと」に起因している。
祖父母の話。
ぼくの祖父母は仲が良かった。経済的に余裕もあったので、半年に一度ふたりで海外旅行に出かけていた。
やがて祖父が亡くなった。享年八十四歳。具合が悪くなって病院に行き、がんが見つかって通院。それでもプールに通ったりするほど元気だった。症状が悪化したので入院して、二週間ほどで息を引き取った。年齢も年齢だし、そう悪い最期ではなかったとおもう。親戚だけで葬儀をおこなったが、残された子や孫たちも「まあ天寿をまっとうできたんだから幸せな人生だったよね」という感じでしんみりしていないお葬式だった。
だが祖母にとってはショックだったらしい。その後ずいぶん落ち込み、娘に対して「私も一緒に逝きたい」などと漏らすようになった。そして半年後、認知症を発症した。夫を亡くして気落ちしたことや、ひとり暮らしになって会話が減ったことなども原因かもしれない。
祖母は、遠く離れた長男(つまりぼくの伯父)のところで暮らすことになった。それはもう大変だったらしい。介護をしている長男夫婦をなじったり、暴れたり。ものをなくし、長男夫婦に盗まれたとふれまわる。身体は元気だったので徘徊して迷子になる。ぼくにもよく電話がかかってきた。自分からかけてきたのに「誰?」などと言っていた。孫のことも忘れかけていた。
それから十数年。祖母はまだ存命だ。九十八歳。孫のことはおろか、子どものことも忘れているらしい。こないだ倒れて意識を失ったが、病院で手当てを受けて一命をとりとめたらしい。
その話を聞いてぼくはおもった。「死なせてやればよかったのに」と。
ことわっておくが、ぼくはおばあちゃんが好きだ。いや、好きだったといったほうがいい。祖母がぼくのことを記憶から失った時点で、ぼくにとっても祖母は過去の人になった。孫や子の存在を忘れ、周囲の人を泥棒呼ばわりする人はぼくの好きだったおばあちゃんではない。
祖父母の死は対照的だ。まだ元気に動きまわれるときに癌になり、あっという間に亡くなった祖父。認知症になり、家族の記憶も優しい心も忘れた状態で二十年近く生きている祖母。長生きしているのは祖母のほうだが、どっちが幸せな晩年かといわれたら比べるまでもない。
ぼくもすっかりおっさんになって、認知症も他人事ではなくなった。友人からも、認知症の祖母の介護に苦しんだという話を聞く。
そうした話を聞くたびに、つくづくおもう。長生きなんてするもんじゃない、と。
『日本人の死に時』では、医師として終末医療に携わっている著者が見た残酷な現実が書かれている。
脳梗塞で意識を失った八十代の患者。入院後、胃ろう(チューブで直接胃に栄養を送りこむ措置)をつけられたが意識は失ったまま。娘たちが自宅で介護をしたものの褥瘡ができ、手足の関節も曲がったまま固まり、髪の毛も抜け落ち、意識が戻らないまま八ヶ月が経ち、亡くなった。
結果論ではあるけれど、意識が戻らないまま八ヶ月看病を続けてそのまま亡くなるのであれば、「あのとき胃ろう処置をせずに逝かせてあげればよかったのでは」とおもうのではないだろうか。意識不明状態で八ヶ月活かされた当人も、意識のない人の介護を続けた娘たちも、どちらにとっても不幸な延命処置だとしかおもえない。
著者は、多くの高齢者が「早く死にたい」とこぼすのを聞いている。身体の不調で痛く苦しい日々を送り、今後悪くなることはあっても良くなる見込みはない。けれど自ら命を絶つことはしたくない。
本人は長く生きたくない。親身に看護・介護をしている家族も口には出さなくても「早く解放されたい」と願う。寝たきり生活がなくなれば医療費も抑えられる。長生きしないことは三方良しにおもえるが、たいてい口を挟むのは無関係な人だ。
病院嫌いで本人が入院を望んでいなかったのに、半ば無理やり入院させられてしまった男性の話。
当事者でない人は「かわいそうじゃないか」「まだ生きられる人を見捨てる気か」と口にする。言うだけならタダだから。金を出し、時間を割き、二十四時間体制で介護をするのは自分じゃないから。
長く入院してもらえれば病院は儲かる。寝たきりで後は死ぬのを待つばかりの患者なんて、病院からしたらいいお客さんだろう。チューブにつないでおくだけで治療らしい治療はしなくていいし、もともと死ぬ間際なのだから死んだからといって病院が責められることもない。国からがっぽがっぽお金が入ってくる。
多くの高齢者が、長生きをしているというより「長く生かされている」状況だ。
もちろん、健康で楽しく長生きできるのであればすばらしい。だが現実には多くの長生きが幸福に結びついていない。
こういう提案を医師が提案するのは、たいへん勇気がいるとおもう。世の中には「医者は患者を少しでも長生きさせるものだ」とおもっている人がいる。きっと非難も浴びただろう(この本の刊行は2007年)。それでも、きれいごとでお茶を濁さずに長生きの悪い面をきちんと書いたことを称えたい。
著者は「現代人は生きすぎなんじゃないか」と言う。ぼくもそうおもう。同じようにおもっている人は多いだろう。寝たきり老人が増えて得をするのは病院や介護施設の経営者ぐらいだろう。でもみんな「もっと早く死んだほうがいい」とは大っぴらには言わない。「高齢者にも安心して暮らせる国づくりを」ときれいごとを口にするばかりだ。
死にたいのに死ねない人も、その家族も、介護をする人もみんな困っているのに外野が無責任に「尊い命を見捨ててはいけない」と言うせいで事態は改善しない。夫婦別姓や同性婚の問題と同じだ。困っている当事者がなんとかしてほしいと願っていても、まったく無関係な人間の「昔からのやり方を変えたくない」で潰されてしまう。
延命治療はしたっていいけど、保険適用外にしたらいいのにね。やりたい人は自腹でやればいい。家族も「だったらやめます」と言いやすくなるし、病院だって無理な延命を勧めなくなるだろう。
出産費用が保険適用外なのに、百歳の延命治療が保険適用なのは意味わからない。今は高齢者ほど自己負担比率が低いけど、逆にすべきだとおもうんだよね。若い人ほど負担を減らしてあげなきゃだめでしょうよ。
医者の仕事は「健康にすること」であって「不健康な状態を長引かせること」じゃないとおもうんだけどね。
漫画『ブラック・ジャック』にドクター・キリコという医師が出てくる。 「死神の化身」と呼ばれ、患者の求めに応じて安楽死させる悪役として描かれる。ぼくも子どもの頃は悪い奴だとおもっていたけど、今にしておもうとなんてすばらしい医者なんだろうとおもう。
ドクター・キリコはむやみに殺すわけではない。治る見込みがなく、苦しんでいる患者で、かつ当人や家族の依頼を受けた場合だけだ。若い自殺志願者の安楽死は拒否するし、誤って毒を飲んでしまった人は緊急手術をおこなって助ける。助けた後は「命が助かるにこしたことはないさ」とつぶやく。彼は情がないから安楽死をさせるのではなく、逆に苦しむ患者を救うために安楽死という手段をとるのだ。その証拠に実父が難病に冒されたときにもやはり安楽死させようとするし、さらには自らが謎の菌に感染した際には菌の拡散を防ぐために無人島に己を隔離して安楽死しようとする。
いやほんと、すばらしい医者だよ。金さえもらえればどんなやつでも(たとえその後死刑になることがほぼ確定している犯罪者でも)助けるブラック・ジャックよりよっぽど人道的だとおもう。
今の時代に必要なのは、ドクター・キリコのような医者かもしれない。
早いうちに自分の寿命を決めたらいいと著者は提唱する。七十九歳の人が「八十まで生きたら生にしがみつくのはやめよう」とおもってもむずかしいだろう。だが六十歳の人なら心の準備ができる。四十歳ならもっと。
だからぼくも、自分の終わりを七十歳ぐらいに決めたいとおもう。それぐらいになったら孫もそこそこ大きくなっているだろう(順調にいけば)。孫に「近しい人の死」を身をもって教えるのが最期の大仕事だとおもっている。
もっとも七十歳になってしまったら自殺するということではない。内臓の検査や治療をやめて、人生の店じまいの準備をすすめていきたいと考えている。
まあじっさいその年齢になったら意地汚く生きることにしがみついてしまうのかもしれないけど。
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