人間の測りまちがい
差別の科学史
スティーヴン・J・グールド(著)
鈴木 善次(訳) 森脇靖子(訳)
「人間の知能は、脳の大きさに比例する」と考えた人たちがいた。
それ自体はすごく自然な考え方だ。ヒトの身体に対する脳の大きさはは、他の動物よりもずっと大きい。イルカのような例外はあるにせよ。
そしてヒトは賢い。だから「脳が大きいほど賢いはず!」と考えるのはある意味当然のことだ。子どもでもそうおもう。
しかし、種全体として「脳の大きなヒトが賢い」ことと、種の中で「脳の大きな人間は小さな人間より賢い」ことはまったくべつの話だ。
「人間の知能は、脳の大きさに比例する」説は、今ではほとんど否定されているそうだ。
たしかに実験をすると、脳が大きいほどテストの点数が伸びることがある。
でもそれは
「子どもの場合は年齢が低いと脳が小さく、年齢が低いとテストの点数が低い。だから脳が小さいほどテストの点数が低い」
だったり、
「栄養状態が悪いと脳が小さく、栄養状態が悪いとテストの点数が低い」
だったり、
「ある種の病気では脳が委縮して、知能も低くなる。それが平均点を下げる」
だったりして、相関関係はあっても明確な因果関係は示せないようだ。
ところが「人間の知能は、脳の大きさに比例する」説を正しいと信じ、さらにはこれにもっともらしい裏付けを作り、「だから××はバカなのだ」と主張した科学者がいる。それもたくさん。
彼らの多くは、差別のたえに事実をねじ曲げたつもりはなかった。本心から自分の説を信じていた。なぜ彼らは誤ったのか。
……ということにせまった本なのだが、とにかく読みづらい。部分的にはおもしろいことも書いてあるのだが、掲載されている例が個別的すぎる。
「■■という学者がいて、彼はこう主張した。だが彼は~という誤りを犯していた」
といった話がひたすらくりかえされるのだが、読む側の感想としては
「それって■■が間違えただけだよね?」
で終わってしまう。
「人間はこういう条件のときに誤りを犯すのです」といった一般的な話が出てこないんだよね。
というわけで、後半はうんざりして読み飛ばしてしまった。
様々な人種の頭蓋骨を調べて、「白人男性の脳が大きく、だからいちばん賢い」という結論を下した学者について。
結論ありきで調査が進んでいることがよくわかる。
「これは例外的に小さいからサンプルから除外しよう」「これは大きすぎるから除外しよう」
とサンプルを取捨選択して、その中で比較をしたのだ。そりゃあ仮定通りの結果になるに決まっている。
様々な職業の人に知能テストをおこなった学者について。
「ブルーカラーの平均知能は低いに違いない」という仮説を立てて実験をしたところ、予想に反して運送会社の従業員のIQ平均が高くなってしまった。
すると「彼らは他の事情があって今の仕事をやっているだけで、本当はもっと高い知能を要求される仕事につけたはずだ」と結論付けた。
また「浮浪者のIQが予想していたほど低くない」ことがわかると、「IQの高い人」をサンプルから排除し、予想通りの結果になるよう調整した。
いやあ、ひどい実験だ。「この人はほんとはもっと別の仕事につくはずだった人間だ」なんて言いだしたら、職種別の知能の傾向を調べるなんて実験自体が成り立たなくなるのに。
どの職業にもそういう事情があるからこそ平均を比べるのに、一部の職種だけで「この人たちには特別な事情があったに違いない」というのは明らかにフェアじゃない。
なにもこの研究者たちだけが特別だったわけではない。誰も彼もが、都合の良いようにデータを見てしまうのだ。
たとえば部活の是非について話すと、部活を好きな人は部活をやることのメリットについては大きく評価するが、デメリットについては過小評価する。部活によるいじめだとか深刻なけがだとかの話をされても「そりゃあ中にはそんなこともあるけど、ごく一部の例外だよ」と言う。逆に部活を通して大成功を収めたケースについては〝ごく一部の例外〟扱いはせず、だから部活はすばらしいんだと持論を強化する材料に使う。
逆に、部活を嫌いな人はその逆で、部活がもたらす恩恵については〝ごく一部の例外〟とみなしてデメリットに重きを置くだろう。
この本に出てくる研究者はついつい誤った道を選んでしまうけど、ぼくが研究者でもきっと同じようなことをしてしまうだろう。
仮説を立てて、その仮説が正しいことを検証するために何年も研究して、出てきた結論が「あんたの仮説は大間違いだし、新しい発見は何もないよ」だったとしたら……。素直に受け入れられるだろうか。せっかく集めたデータから何かしらの結論を引き出そうとがんばってしまわないだろうか。そのために都合の悪いデータは見なかったことにしてしまわないだろうか。
まったく自信がない。
まあ間違えるだけならまだいいんだけど、「知能が高いのはどういう人々なのか」という研究は、往々にして人種や性別や職業差別と結びついてきた。
「××は知能が低い。だから××が低い階層に置かれているのは合理的な理由によるものなのだ」と、差別を正当化することに使われてきた。
中には、こんな主張も。
この人は正常な人間だから犯罪をしても軽い刑罰でいい、こいつは悪いやつだから軽い犯罪でも重い刑罰にするべきだ。
ひどい。むちゃくちゃだ。
でも、こういう考え方をする人は決してめずらしくない。それどころか、ほとんどの人がこういう思考をする。ぼくも含めて。
支持している政党の不祥事は「まあ事情があったんだろう」「そんなこと気にしてたら政治なんてできないよ」と擁護し、対立する政党がやらかしたときは鬼の首を取ったように大騒ぎ。よくある光景だ。
政治にかぎらず、誰でもひいきをしてしまうものだ。よほど特別な訓練を積んだ人でないと、「行為だけを客観的に評価する」ことは不可能だろう。
「人間は、どれほど自分の見たいようにものを見てしまうか」がよくわかる本だった。気をつけなくちゃ。
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