2021年2月5日金曜日

【読書感想文】動物を利用した「昔はよかった」 / 河合 雅雄『望猿鏡から見た世界』

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望猿鏡から見た世界

河合 雅雄

内容(Amazonより)
物質文明化が異常な速度で進むだけの愚かな人間たちに警告を発し、自然との共生を勧めるサル学者のエッセイ。

 著名なサル学者によるエッセイ。

 はっきりいってつまらない。
 猿の生態にかこつけて、昔はよかった、最近の若者は外で遊ばないから大事なことを知らない、今の教育は詰め込みばかりでなっとらん、という戯言をくりかえしているだけ。もちろんその主張に根拠はない。数字も示さずに「最近凶悪な犯罪が増えているのは〇〇が原因だ」と言っている(凶悪犯罪は戦後一貫して減りつづけている)。

 まだ老人の戯言を垂れ流しているだけならまだしも、他の動物の生態の都合のいいところだけを取り出して、裏付けっぽく見せているのが気に入らない。

「他の動物は〇〇をしている。人間も見ならわなくてはいけない」
「他の動物は〇〇だ。人間は高等な生物なのだから同じことをしてはいけない」
と、正反対の論理を使って「昔はよかった」を主張しつづける。

 たとえば、こんな感じ。

 しかし、すべての動物社会が、うば捨て山的な思想で貫かれているのではない。高等になるにしたがって、年寄りになんらかの社会的役割をもたすことによって、生存の意義を与える方向に向かっている。アカシカでは、群れのリーダーシップをとるのは、年老いた雌である。危険が迫ると彼女は警戒音を発し、先頭を切って逃げ、群れを安全な方向に誘導する。
 マントヒヒは、一夫多妻型のハレムがいくつか寄り集まってバンドという大集団をつくり、複雑な社会組織をもっている。ハレムのリーダー雄は屈強な壮年の雄であるが、年がいくと若い雄と交代し、ハレムを出なければならない。彼はハレムに所属しないひとり者として、バンド内にとどまり、子どもとつれだったりしてのんきな日々を送る。
 しかし、バンドに危険が迫ると、この元の老リーダーが宋配をふるう。川が増水して渡れなくなったとき、元リーダーが集団を指導し、ずっと上手につれていって浅瀬を見つけ、全員を渡河させたという記録がある。彼は平常はなんの役にもたたない隠居だが、長年の間に蓄積された経験は誰よりも豊富で、すぐれた生活の知恵を身につけている。集団の若いリーダーたちは、力では勝っても、その点ではずっと劣っている。集団のメンバーはそのことを知っていて、危急に際しては、年老いた元のリーダーのいうことをよくきくのである。
 どうやら、動物が高等になるにしたがって、年寄りを無用の者として捨て去るよりも、彼らがもっている豊富な生活経験を活用するためのなんらかの役割を与える、という方向に向かって進化していくようだ。これは単に経済的な面からのみ年寄りを見るということではなくて、社会全体のしくみの中に年寄りを機能的に位置づける、ということに他ならない。

 出たよ、動物の生態を利用した都合のいい解釈。
 たしかに、群れにおいて年寄りの知恵が役立つことはある。
 だが、その前提として「群れにおいて年寄りの占める割合がすごく小さい」「時代を超えて伝達できる文字を持たない群れである」ことが条件としてある。

「マントヒヒを見ならって年寄りの経験を活かそう!」と主張するのなら、まずはマントヒヒと同じように年寄りの数を減らして、マントヒヒのように文字をなくすことを主張するべきだろう。

 都合のいいところだけ取りだして説教の材料にするんじゃねえよ。
 動物は道徳の教科書になるために生きてるんじゃねえぞ。




 元本の刊行は昭和61年(1986年)。
 この時代はまだこんな野蛮な意見が活字になっていたんだーという目で見るとおもしろい。

 日本の女性は、野や山を散策することがなんと少ないことだろう。木々や花の美しさを、光と風、鳥のさえずりの中で感じ、自然と心の自在で精妙な交流の中で、新しい美を発見し、造形として創作するために、春の一日をけもののように低山をほっついてほしいと、私はつねづね思っている。

 ひゃあ。
 じゃあおまえが金出して女性を雇って春の一日をほっついてくれるよう依頼しろよ。




 前半はサルの生態をまじめに論じていたのに、ネタがなくなってきたのか、後半はサルとほとんど関係のない老人の戯言エッセイになっている。
 前半はおもしろかっただけに残念。

 霊長類は、嗅覚の世界を退化させていった動物である。霊長類の先祖は地上で暮らしていた食虫類(モグラなど)であるが、七○○○万年ほど前に樹上で生活するものが現われ、サル類に進化した。地上での生活では、においは大変重要な働きをする。鹿など多くの動物は、臭い腺を持っていて、それを木の幹や株にこすりつけ、自分やグループの存在を示す。
 地上生活は二次元の世界での暮らしであるが、樹上生活は三次元の生活空間での暮らしである。そこでは、においは四方八方に拡散してしまい、サルたちの社会生活にはあまり役に立たない。最も重要なのは視覚である。枝から枝へ跳び移るについても、両眼で距離を見定めないと失敗して木から落ちてしまう。そこで、サルはあまり必要でない嗅脳を退化させ、その代りに視覚系を発達させた。

 なるほど。
 二次元だとにおいの強いほうに向かって進めばいつかは発信源にたどりつけるけど、三次元だとななめ上からにおいが漂ってきても「においの強いほうに一直線に進む」ってことができないもんね。
 それよりも視力のほうが重要だと。

 しかし人間の暮らしは基本的に平面だ。ビルやマンションに住んでも、移動は平面移動しかしない。おまけにバリアフリー化で都市からどんどん段差がなくなっている。

 こうなると、それほど視力に頼らなくても生活できる。街中に住んでいたら遠くを見る能力は必要ない。
 今後、人間の視力はどんどん退化していくかもね。すでにそうなりつつあるか。


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