とりつくしま
東 直子
タイトルに惹かれて購入。
タイトルに、岸本佐知子氏のエッセイ『ねにもつタイプ』『なんらかの事情』と似たものを感じたのでおもしろエッセイかとおもって買ったのだが、エッセイではなく小説だった。
死んだ後に「とりつくしま」を選んで現世に戻ってくることができる。選べるのはものだけで、生物は選べない。ものに憑りつくと、周囲のものを見たり聴いたりすることはできるが、自分から他のものにはたらきかけることはできない……。
というルールで描かれた短篇集。
死者たちが、いろんなものに憑りついてこの世に戻ってくる。
うーん。
十一の短篇が収録されているのだが、ほぼ全部、死者にとって理想的な展開になる。
自分が死んだ後の妻を見ていたらしばらくは悲しみに暮れていたけどやがて立ち直って亡夫の死を受け入れた上で新たな生活を歩みはじめる、とか。
恋人が新しい恋人を作ったけど、やはり死んだ彼女のことを好きでいてくれる、とか。
生意気だった娘がひっそりと父親の死を悲しんでいる、とか。
「自分が死んだ後こうなったらいいな」という願望をそのまま実現させた、まるでポルノのような小説だ。いや官能小説のほうがもうちょっと展開に裏切りがある。
もう「理想の死後」ばっかりなんだよね。
自分が死んだら、近しい人たちには悲しんでほしい、喪失感を味わってほしい、けれど前向きになって元気にやっていてほしい、いつまでもおぼえていてほしい。
そんな「理想」が叶えられる話ばかり。
残された人が「死んでせいせいしたわ」とつぶやくとか、あっという間に忘れられるとか、まるではじめからいなかったかのように死後もまったく変わらないとか、そういうのはない。
法事における説法みたいなもんだね。物語としてはぜんぜんおもしろくないけど、身近な人を亡くしたばかりの人や、余命わずかの人はこの小説に救われるかもしれない。
とにかく理想的だから。
全体的に裏切りのない小説なので退屈だったけど、『ささやき』はわりと好きだった。
〝ママ〟の補聴器に憑りつくのだが、この〝ママ〟はとにかく面倒なんだよね。気づかいができなくて、おもったことをずけずけと口にして、気分屋で、攻撃的で、デリカシーがない。他人であればぜったいに近づきたくないタイプ。
でも、主人公は娘なのでそんな〝ママ〟と付き合っているし、死んだ後も〝ママ〟のことを気にかけている。母子だから。
瀧波ユカリ『ありがとうって言えたなら』というコミックエッセイを思いだした。滝波さんのお母さんもとにかく面倒な人で、余命一年を宣告されてからもまったく穏やかにならない。それどころかいっそう攻撃的になる。
そういうもんなんだろうね。人間、死に直面したからって仏にはなれないんだよね。むしろ本性が剝きだしになるのかもしれない。イヤな人は、よりイヤになる。
『ささやき』には、娘を亡くした後も相変わらずめんどくさいお母さんが描かれている。自分が娘の立場だったら、あきれると同時に、ちょっとほっとするかもしれない。ああ、相変わらず面倒な人でいてくれてよかった、と。
自分が死んだ後に、憑きものが落ちたように善人になったら悔しいもんね。自分があんなに苦しめられたのはなんだったんだ、って。
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