老後破産
~ 長寿という悪夢 ~
NHKスペシャル取材班
貧しい老人の暮らしを書いたルポルタージュなんだけどね。
なんつうかね。
読みながらむかむかしたね。
なんだこの年寄りは何を言ってんだ、と。
金がなくて大変なのはわかる。家族がいなくて寂しいのもわかる。
その責任がすべて本人にあるとは言わない(でも一部はあるとおもう)。
ぼくらの納めた税金や社会保険費を彼らのために使うなとは言わない。
でもさあ。
「立派なお葬式を挙げたいから葬式費用を貯金している。貯金があるから生活保護を受けられない」
「長年住み慣れた思い出のつまった家を離れたくない。持ち家があるから生活保護を受けられない」
「若いころは旅行に行くのが楽しかった。でも今はとてもそんな余裕がない」
とかボヤいてんの、この本に出てくる貧しい年寄りたちは。
は? なにねぼけたこといってんの?
ぼくが葬式にも持ち家にも思い入れのない人間だから余計にそうおもうかもしれないけどさ。
高い金かけて葬式挙げたいとか、思い出いっぱいの家を離れたくないとか、完全にわがままじゃん。
べつにわがまま言ったっていいけど、他人の金で贅沢したいってのは身勝手すぎる。
払った以上の年金をもらっているのに「思い出の自宅を手放したくないから生活保護を受けられない」とか「年金を一括でもらって使い果たしてしまったから困っている」とか、たわごともたいがいにせえよと言いたくなる。
何を悲劇の主人公みたいに語ってるんだ。おまえらのために少ない給料から多額の年金を徴収されている若者の生活こそが悲劇だよ。
そんな甘っちょろい考えしてるから貧しく孤独な老後を送ってんじゃないのと言いたくなる(そうじゃない人もいるんだろうけど)。
ぜんぜん共感できない。
少し前、オフィス街で「年金支給額を減らすな―」「高齢者の医療費負担額を上げるなー」ってデモをしてる高齢者たちがいた。
ぼくはあっけにとられながらその光景を見ていた。
いや、言いたくなる気持ちはわかる。
誰だって自分が得をする制度であってほしい。
でもそれをオフィス街の、今働いている人間の前でやって共感を集められると思っている神経が理解できない。
「年金支給額を減らすな―」「高齢者の医療費負担額を上げるなー」って、「我々老人のために後の世代の負担をもっと大きくしろー」って言ってるのと同じだからね。
毎月給料から健康保険費だの年金費用だのをがっつり取られている上に将来還ってこない人たちの前で、払った分以上の年金と医療費をもらっている人間が「もっとよこせー」って言ってるんだよ。
それをオフィス街で叫べる無神経さに寒気がした。こいつらどこまで自分勝手な思考回路してんだ、と。
「我々は優遇されすぎです。もっと若い人のためにお金使ってください」と言えとまではいわない(言ってほしいけど)。
でも「若い人たちに養ってもらってありがとうございます」という気持ちは忘れんなよ、とおもう。
世代間の意識の差はこんなに大きいのかとぼくはため息をついた。
デモをしていた老人たちは、今の労働者がどれだけ税金や社会保険料をとられているか知らないし、知る気もないんだろうな。
ジャレド=ダイアモンド『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』に書いてあった話。
ほとんどの動物は死ぬ直前まで生殖機能を有している。だけど人間のメスは例外的に寿命の何十年も前に閉経して生殖機能を失う。
それは、高齢になってからは自らが出産するより子どもや孫の世話をするほうが結果的に子孫繁栄につながる確率が高いからなんだそうだ。
文字が発達していない社会では、おばあちゃんは若い人より知識も経験もあって仕事ができたから、おばあちゃんがいるほうが孫が生存しやすかったのだそうだ。
ところが近代になって文字による伝達が可能になり、さらに技術や知識の発展のスピードが速くなったためにおばあちゃんの知識や技術が役立つ機会が減ってしまった。
ということで、現代の高齢者の多くは生物学的にみれば不要なものということになる(オスに関してはかなり高齢まで生殖機能を維持しているが、現実的に高齢男性が子どもを作るのは身体的にも社会的にも容易ではない)。
もちろんこれは生物学的な話であって、人間は生物学的な合理性だけで生きるわけではないので「老人は生きる価値なし」とは言わない。
でも「あんたらは社会から必要とされていない」というプレッシャーをいちばん感じているのは誰よりも高齢者本人なのではないだろうか。
金がない、仕事もない、子どもも産めない、世話をする子どもも孫もいない、誰かの世話になることはあっても役に立つことはない。
そういう状況で生きているのはすごくつらいとおもう。
ぼくは子どもを持ってから生きるのがすごく楽になった。
それは「役割」ができたからだ。子どもを育てる父親。おまけに勤労もして納税までしている。大手を振って社会のど真ん中を歩いていける。楽ちんだ。
大学卒業後に無職をやっていたが、そのときに感じていた生きづらさははるか彼方。社会から必要とされるってすごく快適だ。
『老後破産』に出てくる老人たちがいちばんつらいのは、金がないことではないとおもう。誰にも必要とされていない(そしてこの先も必要とされることがない)ことが苦しみの原因なんだろう。
『老後破産』は老人の貧しさを問題として掲げているが、それは切り口がちがうんじゃないだろうか
そりゃ個別に見れば貧しくて困っている老人はたくさんいるだろうが、それはこの時代の問題ではない。むしろ今の高齢者は歴史的に例のないほど「(金銭的には)恵まれた老後」を送っている。
百年以上前だったら、金がなくて家族のいない老人は死ぬしかなかった。死ぬほど貧しいんじゃない。貧しいから死ぬ。それが当然だった。
逆に今より未来の老人は、もっと貧しいはずだ。年金は減らされ、医療費も介護費負担も増大している。そりゃもうまちがいなく。団塊ジュニア世代以降の老人貧困率なんか今の比じゃない。はたして「健康で文化的な最低限度の生活」だって保障されるかどうかあやしいものだ。
「昔は持ち家を手放せば生活保護をもらって生きていけたんだって。いい時代だったんだなあ」となる可能性が高い。
今の老人がいちばん恵まれている。どんなに貧しくても生きていける。払った分以上の金がもらえる。
だからって貧困問題を解決しなくていいとはいわないけど、でもいちばんマシな世代を例に挙げて「ほらこんなつらい人たちがいるんですよ。若い世代がなんとかしましょうよ」と言われたってまったく響かない。
だって今の老人を救ったら未来の老人がもっと苦しむだけだもん。
だからちがうんだって。
今がいちばん報われてるんだって。昔はもっと報われなかったし、未来の高齢者もまずまちがいなく今ほどいい暮らしをできない。
そこをわかってないんだなあ。
あと気に入らないのは、「〇〇さんはまっとうに長年働いてきた。なのにどうして老後にこんなに苦しまなくてはならないのか」って文章がくりかえされること。
意図はわかる。
これを読んでいるあなたも他人事ではありませんよ、って警告なんだろう。
でも逆効果なんじゃないか。
「まっとうにがんばって生きてきた人が報われないといけない」はすなわち「がんばっていなかった人は不幸になってもしかたない」だし、それはすぐに「不幸なあの人はがんばりが足りなかったからだ」という“自己責任論”と結びつく。
人間、誰だって探せばアラはいくらでも見つかる。三百六十五日四六時中まっとうに生きている人なんかいない。
誰だって、無職の期間があった、社会の仕組みについて勉強してこなかった、ギャンブルをやっていた、離婚した、趣味にお金を使っていた、一獲千金を夢見て失敗した、などの“落ち度”は見つかるだろう。
この本に紹介されている老人たちだって、なにかしら“落ち度”を抱えた人たちだ。助けない理由なんか探せばいくらでも見つかる。
だから「〇〇さんはまっとうに長年働いてきた。なのにどうして老後にこんなに苦しまなくてはならないのか」という主張は筋が悪い。
「それは十分まっとうに生きてこなかったからですよ」の一言でかんたんに覆されてしまう。
まっとうに生きてきたから救わなければならないのではない。人間だから救わなければならないのだ。
どうもこの本を書いたNHKスタッフたちは基本的人権の根本をわかっていないようだ。
「まっとうに生きてきたこの人がなぜ」は、貧困救済をしたいならぜったいに書いてはいけない言葉だとおもうよ。
『老後破産』に出てくる老人の多くは「もう死にたい」と口にしている。
家族も金も健康も需要もない、そしてなにより未来への希望がない。そんな状態で生きるのはさぞ苦しかろう。
中学生が「生きてたっていいことないしもう死にたい」と言ってたら「そんなことないよ。生きてたらいいことあるよ。今はつらくてもあと何年かしたら笑いとばせるようになるよ」と声をかけてあげられる。
でもお金も仕事も家族もなくて不健康な老人が「生きてたっていいことないしもう死にたい」って言ってたら「そうかもしれませんね。今後状況が悪くなることはあっても良くなることはほぼないでしょうねえ」と言ってしまいたくなる。だってほんとにそうだもん。
もう、安楽死しかないよね。
死にたいという老人がいて、彼らを求めていない社会がある。もう安楽死制度導入しかないじゃない。
生きるのがつらい高齢者も助かる、税金と社会保険費の負担が減る労働者も助かる、国家財政も助かる。三方良し。
残酷だけど、ぼくは見ず知らずの「もう死にたい」という老人がどこかで生き続けていることより、自分の社会保険費用が安くなることのほうがずっとうれしい。
いやじっさい安楽死があることで救われる老人も多いはず。
いつまで生きるかわからないから不安、いつまで生きるかわからないからお金がない(あっても使えない)。
死ぬタイミングを自分でコントロールできればそういった問題も解決する。
不健康で貧しい老後を三十年送るよりもそこそこいい暮らしを十年するほうがいいって人も多いはず。ぼくも後者だ。今の時点ではね(でもいざ自分が歳とったら生にしがみつくんだろうな)。
書き手の伝えたいメッセージとはちがうだろうけど、読めば読むほど「こりゃあ安楽死させてやるしかねえな」という気持ちが強くなっていった本だった。
というわけでぼくにとってはハズレ要素しかない本だったのだが、解説文を書いている藤森克彦氏(日本福祉大学教授/みずほ情報総研主席研究員)の文章はすごくよかった。
ちゃんとデータを出して、貧困に至る原因、考えられる政策などを解析している。
厚生年金の適用拡大、医療・介護費の自己負担軽減と財源捻出、家賃補助制度、高齢者向け生活保護制度など、具体的な案も示している。
こっちは読む価値がある。
本編のほうはケースを個別紹介しているだけで分析も提言もぜんぜんなく「こんな人がいます。かわいそうだなあと思いました」という小学生レベルの感想文でしかないので、余計に解説文の良さが際立つ。
本編より解説文のほうが1000倍読む価値がある本だった。
その他の読書感想文はこちら
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