はじめての文学 村上春樹
村上春樹
はじめて文学に触れる青少年のために村上春樹自身が撰んだアンソロジー、だそうだ。
多くの漢字にルビがふってあるし、言い回しも子ども向けに書き直したりしているらしい。
ぼく自身にとってはもちろんはじめての文学でもはじめての村上春樹でもないのだが、小学生に戻ったような気持ちで読んだ。装丁が優しい感じがするんだよね。
で、「はじめて大人向けの文学作品を読んでみる小学生」の気持ちで読んでみておもったのは「村上春樹作品ははじめての文学に向いてねえなあ」ってこと。
翻訳調の気取った言い回しとか、現実と空想の境目がぼんやりしたエピソードとか、これといった結末のないストーリー展開とか、どう考えたって「はじめての文学」向きじゃない。
いくらルビをふって優しい装丁にしたって村上春樹は村上春樹。
村上春樹氏って誰もが認める当代を代表する有名作家ではあるけど、作風はかなり異端だからね。
はじめての文学が村上春樹って、はじめて音楽を聴く人にジャズを勧めるようなもんじゃない?
基本を知っているから、逸脱を楽しめるんだとおもうよ。
この本に収録されている作品でぼくがいちばん気にいったのは『踊る小人』。
「象をつくる工場」というシュールな舞台、なんともあやしい小人の存在、そして終盤の気持ち悪い展開に後味の悪いラスト。
うん、ぼく好みだ。
でも「はじめての文学」として誰にでもおすすめできるかというと……どうだろう。
ほんとに「はじめての文学」でこんなの読んだらトラウマになるかもしれない。
こういうのが好きな子どもはとっくに大人向けの本にふれているような気もするし。
若い日の経験を語る『沈黙』は、青春小説っぽいしわかりやすいので「はじめての文学」にふさわしいかもしれない。
現実的だしわかりやすい教訓も引きだしやすいし中学校の教科書に載っていてもおかしくないような話。
でもこれは村上春樹っぽくないんだよな……。
こういうのが読みたいなら村上春樹じゃなくていい。
改めておもう。村上春樹は「はじめての文学」に向いてない。
ぼく自身の「はじめての文学」はなんだろうと考えると、やっぱり星新一作品に尽きる。
文学と認めない人もいるかもしれないけど、ぼくにとってはまちがいなく読書の世界への入口だった。
『ズッコケ三人組』などの児童文学は好きだったが、大人向けの本は読むものじゃないとおもっていた。あるとき(小学三年生ぐらいだった)祖父の本棚にあった星新一『ちぐはぐな部品』を読んで、そのおもしろさに打たれた。
結末の意外性もさることながら、設定のスマートさにしびれた。
バーとかマッチとかの小道具が大人の世界って感じでかっこよかったんだよねえ。これみよがしでないのが余計に
また、やはり母の本棚にあったジェフリー・アーチャーの短篇集も夢中になって読んだ。
こちらは小学六年生ぐらいだっただろうか。
ちょっとエロい描写もあって(といっても女性が下着姿になる程度で今読むとぜんぜんなんだけど小学生には刺激が強かった)、いろんな意味でドキドキしながら読んだ。
子ども向けの文学というと、性や暴力の描写のない爽やかな青春小説みたいなのを考えてしまうけど、むしろ性描写や暴力描写はあったほうがいいんじゃないかと個人的にはおもう。
子どもは大人の世界に触れたいのだ。お金とかセックスとか犯罪とか。現実には触れられないからこそ余計に。
ということで、はじめての文学にふさわしいのは「はじめての文学」シリーズじゃないな。うん。
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