影をなくした男
シャミッソー (著) 池内 紀 (訳)
オリジナルの刊行は1814年。原題は『Peter Schlemihls wundersame Geschichte』。
日本では『ペーター・シュレミールの不思議な物語』とも『影を売った男』とも。
主人公はふところからなんでも(馬や馬車まで)出せる男と出会い、金貨が無限に出てくる「幸運の金袋」と引き換えに自分の影を譲ることを承諾する。
いいものを手に入れたと喜んだのもつかのま、主人公に影がないことを知った人たちは急に冷たい態度をとるようになり……。
寓話なんだろうな、「影」というのは何かを象徴しているんだろうなとおもいながら読んだのだが……。どうもそうではなく、ほんとうに影の話だった。
影がないことを知られたとたんに急に迫害されたり仲良くしていた人が去ったりするのだが、なぜだかわからない。そのへんの説明は一切ない。とうとう最後までわからない。
なんだかわからないけど、この世界では「影」は金銭や人柄よりもはるかに大事なものらしい。影がないと人間扱いすらされないのだ。
さらに「姿の消える隠れ蓑」が出てきたり「一歩で七里を歩くことができる魔法の靴」を偶然手に入れたりと、次々に奇想天外な道具が出てくる。
「影」の意味はわからないが、影を奪った男の正体は物語中盤でわかる。影を返すことを条件に「魂をくれ」と持ちかけてくるからだ。
そうだね、男の正体はドラえもんだね。「ふところからどんなに大きなものでも出せる」「ふしぎで便利な道具をたくさん持っている」など、ドラえもんとしか考えられない。
謎の男=ドラえもん説はさておいて、そういえばドラえもんには『かげがり』というお話があった(てんとう虫コミックス1巻収録)。
「影切りばさみ」でのび太の影を切り取ると、影がのび太の代わりに草むしりをしてくれる。
ドラえもんはのび太に影を使うのは30分までにしろと警告するが、のび太が影にあれこれ命じているうちに30分経ってしまう。
すると影は次第に自我を持ち、言葉も発するようになってくる。対照的にのび太の姿は黒っぽくなっていき……。
というなんとも恐ろしい話だ。さすがに『ドラえもん』なのでコミカルなオチに落としこんでいるけど、『笑ゥせぇるすまん』だったら二度と還ってこられなかったところだ。
ひょっとしたら藤子・F・不二雄先生も『影をなくした男』を読んだのかもしれないな。
意味深なタイトルなのでぼくは寓話だとおもって読みはじめてしまったのが失敗だった。
奇想天外なファンタジー小説として読むべき小説だったな。
『不思議の国のアリス』や『オズの魔法使い』のように。
でもそれにしちゃあ意味ありげなんだよな。
「主人公が(著者である)シャミッソー氏に宛てた書簡」という形をとった語り口とか、宙ぶらりんの終わり方とか。
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