2019年4月25日木曜日

ぼくの優しさ

このエントリーをはてなブックマークに追加

ぼくは毎月UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)というところに寄附をしている。月二千円だけど。

近所のお好み焼き屋さんが「こども食堂」というのをやっていて、いろんな事情で満足に家で食事をとることができない子どもたちにごはんを提供している。
店頭に「子ども食堂のためのカンパをお願いします」と書かれた募金箱があるので、行くたびに五百円ぐらい寄附している。

我ながらえらいぜ。




さて。
近所にGくんという小学三年生の男の子がいる。

どこに住んでいるのかは知らないが、近くの公園でよく会う。
娘(五歳)やその友だちと遊んでいると「ぼくも入れてー」と近寄ってくるので、「人なつっこい子だな」とおもっていた。

だが、何度かいっしょに遊んでいるうちに首をかしげたくなることが増えてきた。

Gくんが親といっしょにいるところを見たことがない。
同級生と遊んでいるわけでもない。
いつもひとりで公園に来ている。

小学三年生の男の子が、三歳下の女の子たちが遊んでいるところに「入れてー」というものだろうか。
ちょっとふつうじゃない気がする。

娘やその友だちも、はじめはいっしょに遊んでいたのだが、あからさまに嫌がるようになってきた。
「Gくんと遊びたくない」と言うようになった。

だが避けられていることも気にせず、Gくんは「入れて―」と近寄ってくる。

その場にいる大人たちが「うーん、ちっちゃい子だけで遊びたいみたいだからごめんね」と断るのだが、Gくんは「大丈夫だよ、おれ手加減してあげる」などと食い下がるので閉口してしまう。

妻に聞くと、Gくんは平日もやはり一人で公園をうろうろしているそうだ。
学童保育にも行っていない。しかし親といっしょにいるところを誰も見たことがない。



一度、ぼくと娘で買い物に行く途中で、Gくんに会った。
「どこいくの?」と訊かれて「スーパー」と答えると、Gくんも後からついてくる。
娘はGくんと目を合わせようともしない。

娘とぼくが「お菓子買って」「一個だけだよ」と話していると、Gくんが「あーお菓子かー、おれもほしいなー」と言う。
あきらかに「買ってあげるよ」と言わせたがっている。

ぼくはその意図に気づかぬふりをして「家に帰って食べたら?」と言う。
するとGくん、「誰もいないもん。おかあさんは家に来てないし」。

おかあさんが家に来てない
「家にいない」とか「帰ってきてない」だったらわかるが、「家に来てない」なんて言い方をするか?
幼い子ならまだしも、三年生だったらそんな間違いはしないだろう。つまり、おかあさんといっしょに住んでいないんじゃないだろうか。
いろいろ事情がありそうだ。

よく見ると、Gくんの靴はボロボロだ。
食うに困るほど家が貧しいわけではないのだろう、このまえ携帯ゲーム機を持って公園に来ているのを見た。

ネグレクト、という言葉が頭に浮かぶ。

年下の女の子と遊びたがる、同世代・同性の友だちといるところを見たことがない、親といるところも見たことがない、いつも一人で公園にいる、靴がボロボロ、よく知らない大人にお菓子をねだる。
ひとつひとつは大したことじゃないのかもしれないが、これだけ積み重なると心配になる。


しかしそれ以上は訊くことはしなかった。
質問してややこしい話が出てきたら困るな、とおもった。

Gくんはスーパーまでついてきたが、Gくんがお菓子売場に走っていった隙に、ぼくは娘の手を引いて隠れるように他の売場へ移動した。



どこか遠くの難民や、会ったことのない貧しい子どもには寄附をする。
でも目の前にいる、問題を抱えていそうな子どもからは目を背ける。

ぼくの「優しさ」はそんなもんだ。


このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿