2019年1月5日土曜日

カーリングをちゃんと見たことのない人の書いたカーリング小説

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 館内にブザーが鳴りひびいた。ホワイトベアーズの選手交代だ。
「やつら、このまま逃げきるつもりだな」
 出てきた選手を見て、ウシジマがつぶやいた。

 先ほどミラクル4点ショットを決めたイケタニ選手に代わってアイスの上に立ったのはディフェンスに定評のあるイケガミ選手だ。

「あくまで勝ちにこだわろうってのか。上等だ」
 シカモトが氷上にぺっと唾を吐き、その唾をモップで×の形に拭いた。ウエスタンリーグで使われている「ぶっころしてやる」のサインだ。
 相変わらずガラの悪いやつだ、ウナギタニは苦笑した。だけどそれがおまえの照れ隠しだってことをおれは知ってるけどな。

「さあ、泣いても笑ってもこれがラストピリオドだ。おれたちの四十二年間を全部ぶつけてやろうぜ!」
 キャプテンが声を張りあげた。
「ちっ、かったりいな」
 シカモトがだるそうにモップを肩にかけた。やる気がなさそうに見えるが、目の前で逆転のハリケーンショットを決められたシカモトの内面は穏やかでないはず。ウナギタニにはわかっている。
 なにしろ、どれだけ注意されても結ばなかったスケート靴の紐を今日はちゃんと結んでいるんだからな。さっきのクォーターでの逆転が相当こたえたらしい。
ま、やる気になっているのはおまえだけじゃないけどな。小声でつぶやいてウナギタニもウインドブレーカーのファスナーをあげた。
「ん? なんか言ったか?」
 シカモトが振りむくが、ウナギタニは黙って首を振った。四十二年間もやってきたんだ、言葉を交わさなくても伝わっている。

「さあいよいよ最終回。このまま越谷ホワイトベアーズが逃げきるのか、それともさいたまヒポポタマスが七点差をひっくりかえすのか!? 二十五分に及んだ死闘が今、決着しようとしています!」
 実況アナウンサーの声が響きわたる。
 まずはホワイトベアーズの攻撃。この回もストーン投手はイケムラだ。イケムラの投じたストーンは優雅な弧を描いて的の中央から十インチのところに停氷した。相変わらず見事なフレンチ・ショットだ。
「おいおい、あいつには疲れってものがないのかよ。マジでサイボーグじゃねえの」
 シカモトが呆れたように漏らす。
「あいつは昔からスタミナだけはすごかったからな」
 中学時代イケムラと同じ塾に通っていたというウシジマが云う。
「だがコントロールはからっきしだった。それが今じゃ平成のウェスティン・ガードナーって言われてるんだからな。相当努力したんだろうな」
「おいおい、敵に感心してる場合かよ。さあおれたちの番だ」
 キャプテンがたしなめる口調で言ったが、内心では安堵の息をついていた。チームの状態はすごくいい。こうしてたあいのない会話をしているのがその証拠だ。キャプテン自身、緊張しているわけではなく、かといって緩みすぎているほどでもない、ほどよい精神状態を保っていた。

 序盤はヒポポタマスのペースだった。
 キャプテンの投じるストーンは冴えわたっていたし、他の三~四人のモップさばきもうまく連携が取れていた。あれほど邪魔だったウナギタニの二刀流モップもすっかりなじんできたらしく、相手の投じたストーンを全身で防ぐファインセーブも見せた。
 よし、このままいけば勝てる。
 ウナギタニは早くも表彰台に置いてある、副賞の音楽ギフトカード100万円分を見上げて笑った。
 キャプテンが「なんか変じゃないか。なんかあまりにうまくいきすぎっていうか」とささやいてきたときも、「考えすぎっすよ。ホワイトベアーズなんてしょせんは高卒の集まりだから」と一顧だにしなかった。

 ホワイトベアーズの動きは精彩を欠いていた。先ほどまでの精度の高さはどこへやら、投じられるストーンはすべてプッシュ・アウトしていた。
「こりゃ楽勝ですね」
 ウシジマが笑った。
 さっきまで心配していたキャプテンも、杞憂だったかと落ちついて電子タバコをふかしている。

「ヘイヘイ! どこに目玉ついてんだよ! ビリヤードやってんじゃねえんだぜ!」
 シカモトが大きな声で野次った。
 だがホワイトベアーズの選手たちは腹を立てるどころか、不敵な笑みを浮かべていた。

 ホワイトベアーズのベンチから、イケガミが云った。
「へっ、余裕こいてていいのかい。よく見てみろよ、ストーンの配置を」
 ヒポポタマスの四人か五人ぐらいのメンバーは、ホワイトベアーズのストーンを眺めた。見たところ特に変わったところはない。どのストーンも的から遠く離れたところに散らばっている。
「これがなんだってんだよ」
「ばーか、おれたちのストーンじゃねえよ。おまえらのストーンだよ」
 イケガミが不敵に笑った。
 最初に気づいたのはウナギタニだった。
「こっ、これは……両鶴の陣……!」
「ほう、よく知ってたな。そう、うちの県内に代々伝わるお家芸、両鶴の陣さ」

 気づくと、ヒポポタマスの赤いストーンが八の字を描くようにして並んでいる。まるで二羽の鶴が羽根を広げて求愛のダンスをしているようにも見えた。
「まさかそんな……。ということはやつらの狙いは……」
「そう。二羽の鶴はこのショットによって白鳥になる。スワン・スプラッシュ!」
 イケガミの言葉と同時にストーンがはじけた。それによって広がった石の並びはどうがんばっても白鳥には見えなかったが、ヒポポタマスにとって絶望的な状況になっていることだけはわかった。うまく説明できないけど、なんかまずそうだ。ウナギタニは冷汗が出てくるのを止められなかった。

 ヒポポタマス有利だった形勢はあっという間に逆転した。
 くわしい点数計算はウナギタニにはよくわからないが、スコアボードには54-18という数字が表示されている。残り一ピリオドでひっくりかえすには絶望的な点差だ。
「終わった……。おれたちの初冬が終わった……」
「よくやったよ、おれたち。市内三位でも十分すぎるぐらいだ……」
 ウナギタニもシカモトもあきらめの言葉を口にした。
 負けん気の強いウシジマでさえ、「月末の大会ではぜったいにおれたちが勝つからな!」という言葉を吐きながら涙を流している。

 そのときだった。
「おいおい、『ストーンが止まるまえに時計を止めるな。あと気持ちも』って格言を知らないのか?」
 重苦しい雰囲気をふきとばすように、不敵に笑ったのはキャプテンだった。

「キャプテン?」
「どうしようもない絶体絶命の状況に陥ったときこそ燃えるのがおれたちヒポポタマスだろ? 二十六年前の県大会で八位入賞したときもそうだったじゃねえかよ!」

 そうだった。すっかりあのときの気持ちを忘れていた。いつまでも二十六年前の好成績をひきあいに出すキャプテンのことをずっとこばかにしてきたけれど、こういうひたむきさがあったからこそチームは四十二年もやってこれたのだ。

「さあ、おれたちの熱い想いで、スケートリンクを溶かしてやろうぜ。いくぜ、消える魔球っ!」
 キャプテンの声がリンクに響きわたる。



 やるべきことはやった。あとは天命を待つのみ。
 ヒポポタマスの面々は、氷の上にあおむけになってはあはあと荒い息を吐いていた。氷のひんやりした感触が後頭部に気持ちよかった。

 おれたちはよくやった。ウナギタニは満足だった。
 キャプテンの消える魔球、ウシジマの怪我をも恐れぬスライディング、シカモトのパス回し、そしてウナギタニの二刀流モップさばき。すべてが鮮やかに決まった。
あとは天命を待つのみ。

 ラストに投じたストーンを、ジャッジマンが持ちあげた。ストーンの裏がスクリーンに大きく映しだされる。
「×3」という文字がはっきりと見てとれた。

 やった。
 得点が3倍になるゴールデンストーンだ。
 ボーナスターンなのでさらに2倍。親場なので、合計12倍、一気に60点。グランドスラムだ。

 ヒポポタマスが二十六年ぶりに初戦突破を決めた瞬間だった。

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