2019年1月21日月曜日

車は後戻りができない

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車の運転がきらいな理由をいろいろ考えてたんだけど、やっぱり「まちがえたら引き返せない」ことがいちばんなんじゃないかと思う。

車って後戻りできないじゃない。
機能としてバックすることはできるけど、「あっここ右折だった。バックバック」ってやったらクラクションに怒られるか追突されるかのどっちかだ。

おまけに車道はトラップだらけだ。
ここは右折禁止ですとか、ここを曲がりたいんだったらもっと手前から右折専用レーンに入っとかないといけなかったんだぜ残念だったな坊や、みたいなトラップがそこかしこに仕掛けられている。
時速数十キロの速さで走りながら次々に迫りくる試練に対して正しい選択肢を選ばなくてはならないのだ。むちゃだ。

周囲の車も敵だ。
「いっけない、まちがえちゃった、右折右折!」とこっちがドジっ子丸出しで右折しようとしてるのに、ぜんぜん曲がらせてくれない。いじわる!

で、気づいたら高速に乗っていたりする。どこまで連れていかれるんだ?

ドライバーを苦しめるトラップの例



道をまちがえること自体はこわくない。
こっちはもう三十数年方向音痴をやってるんだ。歩いてたって自転車に乗ってたって、道をまちがえることなんて日常茶飯事だ。
今さらそんなことにびくつくようなタマじゃねえぜ。

だが徒歩や自転車の場合は、まちがえたと気づいたらすぐにやりなおしができる。
すぐさまリセットボタンを押して、セーブしたところからリスタートできる。

車を運転していて耐えられないのは、「まちがってると知りながら進まなきゃいけない」ことだ。
ちがう、ぼくの進みたいのはこの道じゃない、さっきのあそこを右折したかったんだ、わかってる、わかってるのにどんどん遠ざかる。

組織的な不正に手を染めている人はこんな気持ちだろうか。
この会社がやっていることは違法だ。わかっている。告発しなければ。だがここまで来たらもう引き返せない。いけないと知りつつ加担してしまっている。もっと早くに別の道を選んでいれば。

あるいはギャンブルにはまる人もこういう気持ちなのかもしれない。
さっきやめておけばよかった。使ってはいけない金に手をつけてしまった。ここで戻るわけにはいかない。だめだ、わかっている。これ以上やっても傷口は深くなるばかりだ。でももう戻れない。

車で道をまちがえるということは、不正に手を染めたりギャンブルで泥沼にはまるのと同じ、転落人生を歩むということだとこれでわかってもらえただろう。



なによりこわいのは、車の運転での判断ミスは、命にかかわる事態につながることだ。

運転時の判断を誤って、人を殺す。あるいは自分が死ぬ。
人の命にかかわるような自己を起こしたら、もう引き返しがきかない。
セーブポイントからやりなおしたいとどれだけ願っても、決してかなわない。

これこそが、車の運転における「まちがえたら引き返せない」の最たるものだ。

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