『東京イワシ頭』
杉浦 日向子
イワシの頭も信心から、ということで「手軽に幸せになるご利益のありそうなもの」をあれこれ体験してみるというルポルタージュ的エッセイ。
しかしはじめのうちは受験の絵馬とか七福神巡りとか前世占いとか、一応「信心っぽい」ことをやっていたのに、中盤からネタ切れになってきたのか「五木ひろしのディナーショー」「新車の試乗」「女子プロレス」「ストリップ」など、テーマほぼ関係なしのなんでもあり体験エッセイだ。
単行本の刊行は1996年。バブル期の余韻を引きずった東京が舞台ということで、浮かれた気分がそこはかとなく漂っている。
ぼくはその頃田舎で中学生をやっていたので東京の空気はわからないけど、でも今思い返してみると当時の世の中っていろいろと得体の知れないものが流行っていた気がするなあ。
バブルの余韻と不況&世紀末の閉塞感が混ざったような、どこか捨て鉢な気分が漂う感じ。ノストラダムスなどなオカルト的なものが広く語られていたし、オウム真理教が流行ったのもああいう時代だったからなのかもしれない。スプリチュアルなことを人前で話題にするのがはばかられるようになったのってオウム以後かもしれないなあ。
二十年前の日本人ってもっと無責任だったような気がするな。論拠も不確かなものを堂々と語っていた。記録メディアの発達やインターネットのおかげで発言がずっと残るようになったからね。
不正確な言説がは減るのはいいことなんだけど、いいかげんな言説がまかりとおっていた時代も、あれはあれでおもしろかったなと思う。オウムみたいなことにつながるからあんまりおもしろがったらあかんけど。
瞑想ダイエットの章。
江戸っ子の啖呵のような文章が楽しいね。読むより聞いたほうがいいかもしれない。ほとんど内容ねえし。
こういうライトな体験エッセイってインターネットでいくらでも無料で読めるようになっちゃったから、今お金出して読む人が減ってきてるんじゃないかと勝手に心配。まあぼくが心配するようなことじゃないし、だいたい杉浦日向子さんもう死んじゃったけど。
めちゃくちゃおもしろいわけでもない、情報に価値があるわけでもない、そういうエッセイって今は瀕死の危機かもしれない。減ってはいないんだけど、インターネットには「役に立つコンテンツ」「人を集められるコンテンツ」「金になるコンテンツ」があふれすぎていて、くだらない文章を目にする機会が少なくなっている。
おもしろい文章は金を出して買えばいい。ぼくはインターネットではつまんない人の大した情報のない文章を読みたいんだけどなあ。
と思いながら、こうしてなんの価値も情報性もない文章をつづっている。
つまんない人のつまんない文章を読めるのはインターネットだけ!
その他の読書感想文はこちら
0 件のコメント:
コメントを投稿