2018年2月23日金曜日

さよならミステリ黄金時代

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20世紀という時代はミステリ小説に適している時代だった。

電話はあったけど、携帯電話はなかった時代。
写真はあったけど、いたるところに防犯カメラはなかった時代。
指紋鑑定はあったけど、GPSはなかった時代。

ほどよく科学的証拠があり、ほどよくそれらに一定の制約があった時代。
犯罪者と捜査をする側のパワーバランスがほどよくとれていた時代。

もっと昔、19世紀以前となると捜査側が弱すぎた。
古典的推理小説では「こうすれば犯行に及ぶことができた」という状況証拠の提示をもって解決としていることが多い。
決定的な証拠まではなかなか挙げられない。この前、江戸時代を舞台にしたミステリ『粗忽長屋の殺人』を読んだが(→ 感想)、やはり探偵役が推理を滔々と語って、犯人が「そのとおりでございます」で終わりだった。

『遠山の金さん』では、お奉行様の「この目で見た」「忘れたとは言わせねえぞ」が決め手となって一件落着する。
江戸時代だからしょうがないんだけど、今の時代から見ると乱暴だ。目撃者と刑事と被害者側弁護士と裁判官が同じ人なんだから客観的公正性なんてあったもんじゃない。ひでえじゃないですかお奉行様。


近未来、今でもそうかもしれないけど、科学技術が発達すると犯人側にとって圧倒的に不利だ。
わずかな痕跡も残さない科学捜査、はりめぐらされた監視カメラやドライブレコーダー、いつでも誰とでも連絡がとれる通信機器の発達。

善良な市民からすると安全で安心な世の中になったけど、ミステリ小説にとっては窮屈すぎる世界になったねえ。
犯人捜しばかりがミステリじゃないからジャンル自体はなくならないだろうけど、フーダニット(犯人あて)作品は絶滅寸前かもしれない。

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