『スパイのためのハンドブック』
ウォルフガング・ロッツ (著), 朝河 伸英 (訳)
使命感も持たずにいきあたりばったりに生きているぼくにとって、スパイほど向いていない職業はない(おまけに口も軽い)。
柳 広司のスパイ小説『ジョーカー・ゲーム』『ダブル・ジョーカー』を読んで、ますますその思いを強くした。
ああ、無理だ。
常に孤独、任務に失敗したら組織から捨てられる、成功しても賞賛を浴びることはない。高給をもらえたとしても、自由と身の安全と良心と引き換えでは割に合わない。
ようやるわ、としか思えない。
そんな「ようやるわ」なスパイだった著者による、スパイにまつわるエトセトラ。
著者はドイツに生まれ、幼少期にナチスに追われてパレスチナに移住し、イギリス軍、イスラエル軍を経てイスラエルの秘密諜報部(モサド)に所属してトップとして活躍し、第三次中東戦争でのイスラエルの勝利に貢献したという経歴。エジプトでは秘密警察に捕まったこともある。
すげえ。絵に描いたようなスパイだ。すげぇスパイ、略してスペェ。
そういえばイスラエルの諜報機関は世界トップクラスの諜報レベルだと聞いたことがある。
アメリカのような超大国であれば少々他国の動静を読み誤ったところで軍事力と経済力で圧倒することができるけど、イスラエルのような小国だと情報の読み違いが即、国家の滅亡につながってしまう。必然的に諜報機関が強くなるのだそうだ。
イスラエルって周囲すべてが敵国だからね。民族も宗教も異なる国に囲まれて、しかもイェルサレムをめぐる大きな遺恨もある。
島国である日本やイギリスはそうかんたんに攻められないけど、イスラエルは他の国と地続きだし。
油断してたら数日で国がなくなる、なんてことにもなりかねない。いつ攻めこまれてもおかしくないから(じっさい何度も攻められてる)、常に周辺国の動向に最新の注意を払っとかないといけない。
世界一ハードな環境にいたスパイだね。
フィクションの世界では「敵に捕まってどれだけ拷問されても口を割らないスパイ」が出てくるが、そんなものは現実にはありえないそうだ。
なるほどね。
いくら訓練されたとしても「自分の命よりも大事な情報」なんてのはほとんどないから、最終的にはほとんどのスパイは口を割る。
仮に口を割らなかったとしても属する組織から「こいつは捕まったから情報を漏らしたかもしれない。二重スパイになったかもしれない」と疑惑をもたれた時点でもうスパイとして使い物にならないだろうしね。
だったら「命に代えても秘密を守れ」なんて非現実的な命令をするよりも「秘密が漏れたときに被害が最小限に抑えられるような制度設計をしよう」とするほうがずっと効果的だ。
工作員同士の素性も名前も知らされず、ほかの部員がどこで何をやっているのかもわからない、というように。
また情報が漏れることを前提にシステムをつくっているから、情報が漏れたことを隠す必要がない。
うーん、合理的。日本ではなかなかこういう組織をつくれないだろうねえ。
「死んでも口を割るな!」という、守れるわけないルールをつくる
↓
スパイが拷問されて口を割る
↓
しかしそれを知られたら罰せられるから口を割った事実を隠蔽する
↓
情報が漏れつづける
ってなるだろね。
スパイだけじゃなくビジネスでも政治でも同じようなことが起こってるよね。「ミスが起きたらどうするか」ではなく「ミスをするな」だと、ミスを隠して被害がどんどん大きくなる。
『スパイのためのハンドブック』ではそのタイトルのとおり、別人をかたる方法、賄賂の贈りかた、拷問を受けたときに嘘をまじえながら自白をする方法など、スパイならではのテクニックが紹介されている。
読んでいるかぎりはおもしろいんだけど一般人にとっては役に立たない、というかあんまり役に立てたくない。特に拷問は。
著者が旧ドイツ軍将校を装ったときの話。
人間の記憶ってあてにならんなあ。
今は偽装がもっとたいへんだろうな。世界中どことでもすぐに連絡がとれるし、やりとりされている情報も多いし、記録がいつまでも残るようになったから。
スパイには生きにくい世の中だ。
スパイになりたい人は一度読んでおくといいんじゃないかな。ちなみに、あんまり給料も良くないみたいよ(派手なお金の使い方したら目立っちゃうからね)。
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