2018年2月20日火曜日

【読書感想】『個人編集 日本文学全集 竹取物語/伊勢物語/堤中納言物語/土左日記/更級日記』

このエントリーをはてなブックマークに追加

『個人編集 日本文学全集
竹取物語/伊勢物語/堤中納言物語/土左日記/更級日記』

池澤夏樹 (編集)
森見登美彦 ,‎ 川上弘美 ,‎ 中島京子 ,‎ 堀江敏幸 , 江國香織 (現代語訳)

内容(河出書房新社HPより)
絢爛豪華に花開いた平安王朝の珠玉の名作を、人気作家による新訳・全訳で収録。最古の物語「竹取物語」から、一人の女性の成長日記「更級日記」まで。千年の時をへて蘇る、恋と冒険と人生。
「もの」を「かたる」のが文学である。奇譚と冒険と心情、そこに詩的感興が加わって、物語と日記はこの国の文学の基本形となった。――池澤夏樹
竹取の翁が竹の中から見つけた〝かぐや姫〟をめぐって貴公子五人と帝が求婚する、仮名による日本最古の物語、「竹取物語」。在原業平と思われる男を主人公に、恋と友情、別離、人生が和歌を中心に描かれる「伊勢物語」。「虫めづる姫君」などユーモアと機知に富む十篇と一つの断章から成る最古の短篇小説集「堤中納言物語」。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとしてするなり」、土佐国司の任を終えて京に戻るまでを描く日記体の紀行文、紀貫之「土左日記」。十三歳から四十余年に及ぶ半生を綴った菅原孝標女「更級日記」。燦然と輝く王朝文学の傑作を、新訳・全訳で収録。
池澤夏樹氏の個人編集という形で刊行されている『個人編集 日本文学全集』の第三巻。全三十巻の予定だそうです(まだ刊行中)。
有名文学作品を、人気作家たちが訳すというなんとも贅沢なシリーズ。これは高校の図書館にはそろえとかないといけないシリーズだね。ほとんどの高校生は手に取らないだろうけど。話はそれるけど学校の図書館にある本ってなんであんなにつまらなさそうに見えるんだろう。


『竹取物語』『土佐日記』の冒頭と、『伊勢物語』の一部はたしか高校の授業で読んだはず……。中学校だったかな。
でも古文の授業って文章をやたらと分解して、これは絶対敬語だ、あれは已然形だ、と分類していく作業ばかりなので内容はまるで頭に入ってこなかった。

あの分類作業は、学術的な基礎スキルを身につけるという意味では役に立たないものではないけれど、やっぱりおもしろみには欠けるよなあ。あれで古典文学を好きになる学生はまずいないだろう。まあ学問だから全員に好きになってもらう必要もないんだけどさ。

もうちょっと歴史や文化史とからめて教えたらだいぶおもしろくなると思うのだが……。


森見登美彦 訳『竹取物語』


森見登美彦さんだからどんな変態的な訳をしているのかと思ったら、拍子抜けするほど素直な訳。
『竹取物語』は内容がなかなかぶっ飛んでいるから、変に文章でひねらないほうがいいのかもしれない。とはいえさりげなく「そこらを這いまわってうごうごするのだ」なんて森見節が光ったりしている。竹取物語だけに。

 それを見るや中納言は、「ああ、貝がないよ!」
 と、叫んだ。
 この出来事から、思い通りにいかないことを「貝がない」、すなわち「甲斐がない」と言うようになったのである。

ときどきこういう駄洒落が出てきて、「森見登美彦もくだらないこと書いてるなあ」と思ってたんだけど、調べたら原文にある駄洒落だった。こんなのあったっけ。覚えてないなあ。今読んだらぜんぜんおもしろくないけど、昔の人は笑ってたんだろうな。

解説で森見氏自身も書いてるけど、五人の求婚者のエピソードはのびのびと書かれていてておもしろい。ちゃんとキャラが立っているし、それぞれのエピソードに起承転結がある。たいしたものだ。

しかし森見登美彦さんは竹が好きだね。
大学の卒論も竹について書いたらしいし『美女と竹林』という本も出していた。



川上弘美 訳『伊勢物語』


歌物語。高校の授業で読んだはずだけどどんなんだったっけ……と思いながらも読んだら思いだした。ああ、こんなのあったなあ。「昔、男ありけり」ね。
古典の教師が「平安時代のプレイボーイ・在原業平の女遍歴を書いた話」って言ってたなあ。

以前、俵万智『恋する伊勢物語』というエッセイを読んだことがあったはずだけど、ぜんぜん覚えていないなあ。

改めて読むと、伊勢物語ってつまんないなあ。川上弘美が悪いわけじゃなくて、歌物語だから短歌がメインで、物語性はぜんぜんない。「男がいた。女に対して冷たくなった。女がこんな歌を詠んだ。それを見て、男がこんな歌を返した」みたいな断片的なストーリがだらだらと並んでいるだけ。

思春期のときに読んだらもうちょっと自分と重ねあわせて楽しめたかもしれないけど、三十すぎたおっさんからすると「どこにでも転がってる話じゃん」としか思えない。
恋愛って千年たっても基本的な構造は変わらなくて、突き詰めれば「セックスさせるかさせないか」だけの話だから、よほど凝った舞台装置を用意しないかぎりはおもしろみがないんだよね。人類誕生以来、ずっと同じようなことをくりかえしてるもんね。
安いJ-POPの歌詞みたいで、わざわざ物語として読むようなもんじゃないな。個人的に恋愛小説が好きじゃないってのもあるんだけど。

歌物語だから歌がメインなんだけど、和歌を楽しもうと思ったら原文で読まないといけないしね。ということで、これを現代語訳するという企画自体に無理があったのかも……。


中島京子 訳『堤中納言日記』


日本初の短篇集ともいわれる『堤中納言日記』。
これはけっこうおもしろかった。
『蟲愛づる姫君』とか『はいずみ』とか、今見てもユーモラスな話だ。

「嫌よねえ、姫って、眉もまるで毛虫じゃない」
「それでもって、歯ぐきは、毛皮を剝いた芋虫ってとこ」
 他の女房たちも言いたい放題。そこへ左近という女房がやってきた。

  冬くれば衣たのもし寒くとも烏毛虫多く見ゆるあたりは
  ──冬になりゃ暖かいわよ毛がいっぱい 見てよこの部屋毛虫がいっぱい

こんな感じ(ちなみに『風の谷のナウシカ』は『蟲愛づる姫君』にヒントを得たのだとか)。

感心したのが、和歌を五七五七七で訳していること。
俵万智さんも『伊勢物語』や『源氏物語』の和歌を現代語の和歌にしていたけれど、これはたいへんな苦労だろうな。まして中島京子さんは歌人じゃないし。

原文も訳も自由闊達に書かれていて、これがいちばん読んでいて楽しかったな。


堀江敏幸 訳『土左日記』


「土日記」だと思っていたんだけど、元々は「土日記」なんだね。知らなかった。
原文を読んでないので、原作者のせいなのか筆写した藤原定家のせいなのか訳者のせいなのかわからないけど、文章がすごく理屈っぽい。
物語じゃなくて論文を読んでるような気分。なんのためにわざわざ女のふりしてかな遣いで書いてるんだよ。
日記だからしかたないといったらそれまでなんだけど、テンポは悪いし、かな文字だけでややこしいことを考えているから頭に入ってこないしで読むのがつらかった。

ということで後半は読み飛ばした。


江國香織 訳『更級日記』


読書が好きな女の子が都会に憧れて出てきたけれどいざ現実を見てみると思ってたのとちがうことも多くてがっかりしちゃうわ、みたいな内容。たいしたことは書いてないんだけど、千年前の人と同じ気持ちを共有できるのがおもしろい。

 そんなふうにふさぎ込んでいる私を母が心配して、すこしでも慰めようと、物語を手に入れて読ませてくれた。すると、私は自然と慰められていった。『源氏物語』の若紫の巻を読み、続きを読みたくてたまらなくなったが、人づてに入手を頼もうにも誰に頼んでいいかわからず、馴れない都では見つけられるとも思えなくて、ほんとうにもどかしく、いても立ってもいられず、〝この源氏物語を、最初の巻から全部すっかり読ませてください〟と、心のなかで祈った。両親が太秦のお寺に参籠するときにも一緒について行って籠り、他のことは祈らずにそのことばかりをお願いした。すぐにも全巻読み通す意気込みだったのに、そう上手くはいかず、なかなか手に入らなかったので、まったく残念でいやになってしまった。そうこうするうち、私のおばさんだという人が田舎から上京してきたので挨拶に行くと、そのおばさんが、「ほんとうにかわいらしく、大きくなったのね」となつかしがったり驚いたりし、帰りがけに、「何をさしあげましょうね。実用的なものではつまらないでしょう。欲しがっているとうかがったものをさしあげましょう」と言って、『源氏物語』を五十数巻全部、大きな箱に入った状態のままくださり、さらに、『伊勢物語』『とほぎみ』『せりかは』『しらら』『あさうづ』といった物語も、袋に入れて持たせてくれた。それをもらって帰るときの、天にものぼるうれしさといったら!

このオタクっぽい文章よ。江國香織さんの引きこもりっぽさともよくマッチしていてなかなかおもしろく読めた。
とはいえほんとにただの日記で、特に印象に残るような事件が起きるわけでもなく、少しずつスピリチュアルな内容に傾倒していくので途中から飽きてしまった。歴史研究家の資料としては価値があるんだろうけど、他人が読んでおもしろいものではないな。
他人に読ませるために書いたものじゃないのかもしれない。



千年前と今とを比べてみると、娯楽としての文学はすごく進化しているけど、それを語る人間のほうがたいして進化していないんだな、と感じる。
たぶん千年後の人たちも、いい女をつかまえるために嘘をついたり、他人の失敗話をおもしろおかしく話したり、ほしい物語を求めて一喜一憂したりしてるんでしょうなあ。


 その他の読書感想文はこちら



このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿