時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた。
和田靜香(著) 小川淳也(取材協力)
小川淳也という衆議院議員がいる。『なぜ君は総理大臣になれないのか』というドキュメンタリー映画の主人公になった人なので、野党議員の中では党首クラスを除けばそうとう有名なほうの議員である(ちなみにぼくはまだ『なぜ君は総理大臣になれないのか』は観てない。気にはなっている)。
その小川淳也氏に、政治については素人に近い(政治の素人ってのも変な言い方だけど)フリーのライターである著者が、あれこれと意見をぶつけて議論を闘わせた本。
なのだが……。
著者のレベルがあまりにも低い。
いや、政治の知識が乏しいことはべつにいいんだよ。政治は誰にでも関係のあることだから、政治の知識が乏しい人でも積極的に参加すべきだ。だから「あまり知識のない人代表」として政治家に意見をぶつけにいくというスタンスはすごくいい。
ただなあ。知的謙虚さがまるでないんだよな。視野の狭さというか。
たとえば、小川さんとベーシックインカムの話をしていて。
「国民ひとりあたり一人七万円を支給する。誰が必要か不必要か判断するのにはコストもかかるし不正する人もいるので、誰であれ一人につき七万円を支給する」という案を提示した小川さんに対し、著者は、自分は単身世帯でいろいろ割高だから、単身世帯だけは一人十万円にしてほしいと主張する。
小川さんは反対。そうやって差をつけると、我も我もと増額を主張するので、余計なコストがかかるし不正の温床になる。だからとにかく全員同額。
著者はさらに主張。自分はフリーランスで家を借りるのが大変だから、ベーシックインカムとは別で住居費を出してほしい。
小川さんは反対。住宅政策はそれとは切り離すべきで、公営住宅などを充実させて全員が住むところに困らないようにするべきだと。シェアハウスをすれば単身世帯の割高も解消されるし、住宅問題も解消に向かう。
著者の主張はこう。他人とは住みたくない。公営住宅や団地はイヤ。住むところは自分で選びたい。でも家賃を自分の財布から出すのはイヤなので、国が負担してほしい。
……こいつは何を言ってるんだ?
徹頭徹尾自分の都合しか考えていない。不便なところや古い家には住みたくない。他人と暮らすのもイヤ。単身だから生活費が高くつく。だから国が単身者の面倒を見ろ。
いや、べつにいいんだけど。個人の願望を述べたって。でもそれって「国民全員が俺に十円くれたら十億円もらえるから遊んで暮らせるじゃん!」レベルの話だ。政治でも何でもない。
よくそんな恥ずかしい話を、国会議員に向かって臆面もなく主張できるな。
とにかく想像力が欠如してるんだよね。単身者だけが大変だとおもってる。子どもがいてフルタイムで働きに出られない家庭、介護や看護を必要としている人のいる家庭、いろんな事情で持ち家に住み続けないといけない家庭。どっちが大変と比べることに意味はない。みんなが「うちだけが大変!うちだけ優遇してくれ!」と主張したらどうなるか、子どもにだってわかることなのに。
著者はいろんなことに関心は持つけれど、自分と異なる立場の人のことはまるで考えようとしない。
原発の話にしてもそう。小川淳也さんは「いずれは原発ゼロにするべきだから新設や増設には反対。だが今すぐ全停止しても稼働しているときと運用コストやリスクは大きく変わらない。また原発全停止になれば化石燃料を使った発電を増やさねばならず、環境負荷も大きい。だから原発は数十年単位で段階的にゼロに持っていく」という主張をしている。
それに対して著者は「原発は怖いから今すぐ全停止!」の一点張り。
いやそれはそれでひとつの立場なんだけどさ。実際そういう市民も多いし。
でも、じゃあ原発全停止にする代わりに火力発電を増やして地球温暖化が進むことは許容しますとか、電力不足に陥って停電が頻繁に発生する国になることは許容しますとか、どっかで妥協しなきゃいけないわけじゃない。それが政治というものでしょ。
著者の場合は、そういう譲歩が一切ない。原発は止めろ、地球温暖化には今すぐ全力で対処しろ、電力不足? そんなの知らん、どっかの誰かがすごい案出して何とかしてー!という感じ。
あんたが求めているのは正しい政治じゃなくて魔法の力だよ。
著者の知的レベルがアレな分、それに根気強く対話を重ねている小川淳也さんがすごい人だとおもえる。
いやあすごい。議員もたいへんだよなあ。ぼくらが見る議員って国会でふんぞりかえっている姿ばかりだけど、実際は、こういう身勝手な人の相手をするのも仕事なんだよなあ。頭が下がります。
ぼくだったら「それはだめですね」「何言ってるんですか、まじめに考えてください」「それだったら訴える先は国会議員じゃなくて神社ですね。神頼みしかないです」とか一蹴しちゃうけど、ちゃんと聞いて誠実に答えてるんだもん。
しかも「そうですね、あなたのおっしゃる通り」と適当に調子を合わせてその場をやり過ごすのではなく、聞いた上で、きちんと否定している。もちろんぼくのように「は? あほちゃう?」などとは言わずに、(たぶん理解してもらえないことをわかった上で)懇々と主張を述べている。適当に合わせるほうが楽なのに。
著者は自民党政治に反対の立場(というか敵視している。自民党議員やその支持者にもそれぞれの立場や生活があることなど想像しようともせず絶対悪のように扱っている)なんだけど、著者みたいに自分の都合だけ考えて身勝手な要求をする支持者がいて、身勝手な要望に応えていった結果が今の自民党政治であり、日本の惨状なんだとおもう。
おらの村に道路を作ってくれ、おらの会社にだけ補助金を出してくれ、おらの業界だけ消費税の軽減税率を適用してくれ、おらのようなフリーランスで単身世帯で他人と一緒に住みたくない人にだけ手厚く税金使ってくれ。
自民党を敵視している著者が、自民党支持者の悪いところを煮詰めたような思考をしているのはなんとも皮肉なことだ。
ということで、主張が身勝手百パーセントで、文章もつまんねえので、途中から著者のお気持ちは飛ばして、小川淳也さんの話だけを読むようにした。
うん、ここだけ読むといい本だ。
これねえ。みんなわかってるじゃない。日本の抱える問題の大半は、高齢者が多すぎることだと。高齢者に使っている金が多すぎること。それ自体は誰のせいでもない。高齢者のせいでもない。逆に若者が多ければ、ずっと人口が増え続けているということなので、それはそれで別の問題が生まれるわけだし。
良くないのは、問題をはっきり口にする政治家がいないこと。選挙で落ちるのを恐れて、高齢者への手厚すぎる保護を減らしましょうと言わない政治家だらけなこと。
ぼくが政治家に求めるのは、耳に痛いことを言ってくれる人なんだけどな。耳に痛い事実を告げられて、ひどいことを言うやつだ、あいつは選挙で落としてやれ、となるほど高齢者も有権者もバカばっかりじゃないですよ、と言いたい(とおもってたけど少なくともこの本の著者はそっちのタイプだよなあ)。
民主主義について。
これね。ぼくが為政者に求める、最も重要な条件が「反対派の意見を聴き入れる」ことなんだけど、なかなかやれる人はいない。与党にも野党にもほとんどいない。はっきり言って「反対派の意見を聴き入れる」ことさえできるのであれば、どの人、どの党が政権をとってもかまわない。結果的に同じことになるわけだから。
あげくには「我々は民意を得ている」なんて大きな勘違いをしてろくに国会審議もしないまま法案を通しまくった政党もあった。中学教科書からやりなおしてほしい。選挙なんて「俺たち全員が政治をするのは面倒だからとりあえず全員を代表して少数を選んでおくけどいつでも首をすげかえられるからな」というシステムだということをわかっていない。
また坂井豊貴『多数決を疑う』あたりを読めばよくわかるけど、多数決というシステムはまったくもって民主的じゃない。相手より一票でも多く票を取ったほうが議席総取り、なんて民主主義の真逆みたいなやりかただ。
多数決が他の選挙方法に勝っているのは、ほとんど「集計が楽」しかない。その「ただ集計が楽なだけで、民意をぜんぜんまともに反映できないシステムでその場しのぎの代表として選ばれた」のだとわかっている議員であれば、「選挙で勝利したのだから全権委任された!」という発想にはならないだろう。中学公民の知識さえあれば。
経済政策。
ぼくは経済のことはよくわからないので、これがほんとにインフレ政策になるのか、人々の暮らしが良くなるのかはわからないが、この発言をする人は信頼できるということはわかる。
あらゆることに反対の意見を語る右派も左派も、「増税=悪」という前提で語ることだけは一致している。いやいや、そうじゃないだろ。税金ってのは富の再分配機能なんだから、税金が高くなれば貧しい人ほど得をする。なのに貧しい人ほど増税に反対する。
税金の問題は、高所得者を捕捉しきれていないことだったり、現役世代の負担が大きいことだったり、使われ方が適切でないことだったりすることであって、高い税金それ自体は悪ではない、むしろ君たちの味方なんだよとぼくは声を大にして言いたい。
だから増税のメリットについてちゃんと語れる政治家を、ぼくは信用する。増税と聞いただけで考える前に拒否反応を示す人も多いけど(もちろんこの本の著者もそのひとりだ)、ちゃんと財政や貧困対策や経済政策について考えている政治家なら増税を語って当然だとおもう。少なくとも減税なんてもってのほかだ。
たやすく減税を約束する政治家は、よっぽど無知か嘘つきのどちらかだとおもっている。
「社会の構造変化が雇用構造の硬直さによって阻止される」という視点は興味深い。日本だけの問題かどうかはわからないけど。
たしかに、会社という組織があり、そこに守るべき従業員がたくさんいる場合、会社のやっていること自体は古くなってきてもそうかんたんにつぶせない。たとえばガソリン自動車を作っている日本トップクラスの大会社があって、ガソリン自動車が時代に合わなくなっても、おいそれと方向転換をすることができない。今いる従業員を大幅に減らして、電気自動車に特化した人材を新たに採用します、というわけにはいかない。
時代の移り変わりはどんどん早くなっている。十数年前の大学生が選ぶ就職先の人気業種は、銀行、電機メーカー、テレビ局、新聞社、出版社などだった。今やどこも斜陽産業だ。
だけど数十年働くつもりで入った人はそうかんたんに辞めて別の業種に行くことができない。優秀な人が先のない業界で延命のために努力し、国もまた死に体とわかっていてもそれを支える。あまりにももったいない。
終身雇用制はもうなくなりつつあるとはいえ、まだまだ大企業では一社で何十年の勤続する人は多い。そこを崩さないかぎりは社会全体が時代の流れについていくことはむずかしいだろうな。だからって安易に解雇規制緩和と言うつもりはないが。
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