2024年10月4日金曜日

【読書感想文】リチャード・ウィルキンソン ケイト・ピケット『格差は心を壊す ~比較という呪縛~』 / 格差社会は金持ちにとっても損

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格差は心を壊す

比較という呪縛

リチャード・ウィルキンソン(著) ケイト・ピケット(著)
川島睦保(訳)

内容(e-honより)
「金持ち」だって幸せになれない。息苦しいすべての人へ。全英ベストセラー『平等社会』の著者、待望の続編。500超の文献と国際比較データを駆使した渾身の研究。


 タイトル通り、格差社会にどれほどのデメリットがあるかを示した本。

 様々な統計を元に、格差がもたらす弊害を明らかにしている。

 あたりまえだが、格差社会において下の階層(いわゆる負け組)は悲惨な思いをする。健康状態も悪いし、幸福度も下がる。そんなことはみんな知っている。意外なのは、上の階層(勝ち組)ですら、いい思いをするわけではないということだ。

 調査の回答者は「私は職業や所得のせいで周囲から見下されている」というステートメントにどれだけ賛成するか、それとも反対するかを尋ねられる。この文章は、各国の人々が社会的地位やそれを巡る競争を多少なりとも気にかけているかどうかを知るうえで、適切な示唆を与えてくれるように見える。
 研究者によれば、上記の文章に賛成あるいは強く賛成すると答えた人の割合が国によって大きく異なる。すべての国において、所得階層が下がるにつれて地位への劣等感が増大した。また予想されたことだが、所得階層の上位に属する人々は底辺の人々に比べ地位への劣等感が小さかった。
 しかし不平等な国では、地位への劣等感がすべての階層で大きくなっていた。私たちの想定通り、所得格差が拡大すればすべての階層で社会的評価への不安が増大していた。不平等の拡大によってすべての人々が、社会的地位や自分が他人からどう見られているかについて不安を強く感じるようになるのである。
 スターリング大学の心理学者であるアレックス・ウッドと彼の同僚は、社会的な地位の重要性について別の考察も行っている。彼らによれば、社会的な地位が心の健康にとって重要な役割を果たすのであるなら、地位の尺度や指標である所得も心の健康とも関連しているはずだ。所得の多寡は、主に社会階層のどこにあなたを位置づけるかという点で重要な指標である。
 彼らは英国の3万人という大規模なサンプルと統計モデルを活用して、所得の絶対水準と所得の序列を比較してみた。年齢、性別、教育、結婚状況、自宅所有の有無などの諸要因を調整した後でも、精神的な苦痛の代理変数としては所得の絶対水準より序列の方が優れていた。彼らはまたある時点での個人の所得の序列は、当初の精神状態がどうであれ、翌年の精神的な苦痛の変化と関連があることを発見した。自殺を考え試みた人についても、同じことが言えた。所得分布のどこにランクされるかは、どのくらいお金を稼いだかよりも重要だった。同様のことは、米国の研究でも確認された。うつ症状悪化の長期的な先行指標になるのは、所得の絶対的な水準よりも社会的な序列だった。

 同じような経済状況の国や地域同士を比べたところ、格差の大きい社会ほどすべての階層において地位に対する不安度や劣等感が高かったとのこと。

 格差社会であれば貧しい人はみじめなおもいをするし、中流以上の人間も「いつ下層に転落するかわからない」と不安になることで幸福度が下がる。下層はもちろん、中層も上層も誰も得をしない。


 特に研究者は、不平等な社会の人ほど他人に対して厳しい見方をしているのではないかという点を調べてみた。年齢、教育水準、都市化の進行度、平均所得、少数民族の比率などの違いを調整した後でも、調査の結果は事前の予想通りだった。他人に対する好感度では、米国の不平等の大きな州が小さな州を大幅に下回っていた。同様の結果は、オックスフォード大学の心理学者、マリー・パスコフの研究でも得られている。彼女によれば、欧州では不平等な国ほど、金持ちも低所得者も、近隣の住民、高齢者、移民、病人、障がい者に手助けをすることに消極的だ。パスコフと彼女の同僚たちはまた、不平等の大きな国では出世のために懸命に努力するよりも、不平等によって前途に大きな困難を感じた結果、やる気をなくしているようにみえるとも報告している。

 幸福度だけではなく、格差の大きな社会ほど健康状態が悪化する、子どものいじめが増えるなどの様々な弊害があるという。

 とにかく社会にとって悪いことばかりだ。

 しかしデータによれば、不平等が強まるにつれて地域社会の絆や生活は弱体化し、殺人発生率で測った犯罪は増加していく。南アフリカやメキシコのような不平等の激しい国では、いたる所で相互信頼や互恵主義が後退し、それに代わって人に対する恐怖心が高まっている。住宅は高い塀で囲まれ、塀の上にはカミソリワイヤーや電気柵が取り付けられている。窓やドアは鉄格子で覆われている。観光ガイドブックは旅行者に夜間の外出は控えるよう警告している。
 こうした人に対する信頼感から不信感への変化は、不平等が人間社会にもたらす害悪の本質を明らかにしてくれる。不平等はこうした破滅的な変化を人間の社会関係にもたらしている。それを示す全く別の研究もある。所得格差が広がるにつれて(警備員、警察、看守のような)警備〟サービス部門で働く労働者の割合が高まっているという。こうしたサービスは人を他人の脅威から守る仕事だ。不平等の異常な高まりが人間の社会関係に与える悪影響ほど、生活の真の豊かさにとって危険なものはない。

 格差が広がれば犯罪の発生件数は増える。これは、貧しい人はもちろん、金持ちにとっても大きな損だ。防犯にコストを払わねばならないし、どれだけ金をかけたって百パーセント防ぐことはできない。

 大きな格差のあるアメリカのような社会で持たざる者が持てるものに対して一矢報いようとおもったら、銃乱射事件を起こす、みたいなやりかたになってしまう。

 どれだけ金を持ってても無差別殺人に巻き込まれたら意味がない。ほどほどに格差を小さくしておくのが、すべての人にとって得策だといえるだろう。



 国家や州のような大きい単位だけでなく、会社、部署といった小さな単位でも格差は弊害を生むそうだ。

 労働者を少人数のグループに分け、各グループのメンバーの賃金をすべて同じにすれば、生産性が上昇することを示す証拠がある。インドで378人の労働者を対象とした実験では、グループのメンバーの賃金を同じにした場合と格差を付けた場合のパフォーマンスの比較を行った。それによると、賃金に格差をつけたグループは、格差のないグループに比べ、生産性が大幅に低下し欠勤も増えた。

 そりゃそうだよね。

 二十年ぐらい前は「成果主義」という言葉が流行っていた。もう今ではほとんど聞かれなくなったところを見ると、うまくいかないことにやっとみんな気が付いたんだろう。

 仕事によって給与に差をつけられて「この差を逆転できるようがんばって仕事をしよう」となる……わけがない。「なんでおれがこんな評価なんだよ。見る目のない上司の下でやってても無駄だから転職しよう」となるか「上司に気に入られれば給与が上がるのか。よし、利益を生むための行動じゃなくて上司に気に入られるための行動をしよう」となるかしかない。

 成果主義がうまくいくとしたら、社員のあらゆる行動を四六時中見ることができ、それが何をもたらすかを完全に理解し、一切の私情を挟まずに評価できる全智全能の神が上司になるしかない(そして上司が全智全能であることを部下は知っていないといけない)。もちろん上司は神ではないから(もしくは上司が神であることを我々が知らないだけか)、成果主義はうまくいかない。足の引っ張り合いにもなるし。

 ほんと、社員全員(理想を言えば経営者も)の給与を同額にして、業績が上がれば全員の給与を同じだけ上げます、ってのがいちばんモチベーションが上がるかもしれない。

「あいつは俺より仕事をしてないくせに同じ給料をもらってるなんておかしい!」ってなことを言いだすやつが、いちばん生産性を下げてるんだよな。



 格差は心身の健康に影響するけど、重要なのは、絶対的な裕福さ(衣食住に困らないかとか、高等教育を受けられるかとか)よりも相対的な格差のほうが影響するということだ。

 GDPが増えるとかそんなのは何の関係もない。市民にとって大事なのは「隣の人よりも著しく貧しくないか」なのだ。

 私たちが社会的地位の低下を何とか回避してきた経緯を考慮せずに、貧困や不平等の影響を正しく理解することはできない。私たちの進化心理学の立場からすれば、地位低下の恐怖は人類出現以前の順位制時代にまで遡るが、それは現代の不平等社会でも強く生きている社会的地位を維持することの重要性を正しく認識できていない人は、経済成長によって不平等や相対的貧困の問題は解決できると信じ続けている。しかし貧困がもたらす主観的なトラウマを考えると、他人よりも著しく貧しいことは強力なエピジェネティック効果を持っていることを忘れてはならない。

 人間は「地位が周囲より低いこと」にストレスを感じる。江戸時代の金持ちよりも今の生活保護家庭のほうが確実に(物質的には)いい暮らしをしているはずだが、強くストレスを感じるのは圧倒的に後者だ。


 国の所得総額が一緒だとして、ごく一部の金持ちが多くの富を独占するよりも、みんなが等しく所得を得るほうが、どう考えても国の経済にとってはいい。消費も活性化されるし、治安も良くなる。福祉に使う税金も減る。貧しさに起因する病気が減れば医療費負担は減り、労働力は増える。納税額だって増える。いいことづくめだ。

 ポル・ポトみたいな極端な平等主義は論外にしても、もっと平等になったほうがいい。たぶん、みんなうっすらわかっている。持たざるはもちろん、富裕層だって、政治家だって、きっとわかってる。もっと格差を小さくしたほうが社会全体にとってはプラスだと。

 ダロン・アセモグル & ジェイムズ・A・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』によれば、自由な競争が阻害された社会ではイノベーションが起きづらく、国力が衰退するとある。どう考えたって格差が小さいほうがいい。

 じゃあなんで格差縮小が実現しない(それどころか拡大する一方)のかというと、たぶんみんな不安なんだろう。他人を信用できないんだろうね。「不労所得、金融資産にたくさん税金をかけて、高所得者の所得税を引き上げて、相続税も高くして、課税逃れに対しては厳罰を科したほうがいい社会になる」ってみんなわかってはいるけど、でもそれをやったところで「俺以外の誰かは抜け穴を見つけていい思いをするんじゃないか」「うちの国がそれをやったところで他の国が金持ちを優遇して、金持ちや大企業はそっちに逃げちゃうんじゃないか」って疑心暗鬼になってしまい、結局格差を小さくできない。

 みんなびびってるんだよな。どうせ大企業や金持ちは逃げないのにさ(国外に逃げる金持ちもいるんだろうがそういうやつはどっちみちあの手この手で税金の支払いから逃れるから関係ない)。

 あと、格差を小さくするための最も効果的な方法は「税金による富の再配分」なんだけど、貧しい人ほど増税に反対するからなあ。税金が増えれば、貧しい人ほど得をするのに。

 悪いのは税金をとられることじゃなくて、使われ方が不平等なのに、なぜかみんな税金をとられることには文句を言うくせに使われ方はあんまりチェックをしないんだよな。


 ということで、格差の小さい社会になってほしいと心からおもう。とりあえず意図的な脱税や納税逃れの刑罰をもっともっと大きくするところから。だって税を納めないって国家に対する反逆でしょ。内乱罪なんだから、最大で死刑ぐらいの刑罰があってもおかしくないとおもうけどな。

 罪が軽すぎるから「ばれても追加徴税ぐらいだったらやってみたほうがいいや」ってなっちゃうわけだし。最低でも懲役、ぐらいにしとけば意図的脱税をするやつはほとんどいなくなるとおもうけどな。脱税って社会の仕組みをぶっ壊そうとする行為なんだから殺人級の重罪にしてもいいとおもうけど。



 主張自体には全面的にうなずける本だったのだが、参照されるデータがちょっと怪しかったのが残念。なんというか、データが恣意的に感じたんだよな。

 いろんなグラフが出てくるんだけど、こっちの国別比較データでは日本がない。こっちのグラフからはアメリカが欠けている。……というように、グラフによって国の数がだいぶ違う。

 事情があるのかもしれないけど、その事情を書いてないので「自分に都合のいい主張に持っていくために具合の悪いデータはわざと排除したのかな」とおもってしまう。これはよくないよー。


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