2024年5月24日金曜日

小ネタ16

親切

 以前、某政党が掲げる政策に対して批判的な記事を書いたところ
「てめえ〇〇党をばかにしやがったな。許さねえ」みたいなコメントがついた。

 コメントは削除してしまったので細かい言い回しは忘れたが、ほんとにこんな感じの文章だった。具体的な反証などは一切なく「〇〇党のやることにちょっとでも不満をいうやつは絶対に許さない」みたいな感じだった。

「たとえ世界中を敵にまわしてもぼくは君の味方だよ」というやつと同じく、行動や主張の内容ではなく「誰が言ったか/やったか」で立場を変えるタイプの人間だ。

 〇〇党の支持者がどういう人間なのかをわかりやすく教えてくれる、たいへん親切な人だった。


彼女をさがすふりしてオオクワガタの幼虫をさがす山崎まさよし

枯れた木の下 腐葉土の中 こんなとこにいるはずもないのに


クレタ人

 クレタ島出身の人って

「クレタ人です」

「あーあの嘘つきの」

みたいなやりとり百回ぐらいやられててうんざりしてるんだろうな。



2024年5月23日木曜日

アンパンマンとバイキンマンの記憶のちがい

 次女が好きなので、ここ数年、テレビの『アンパンマン』を観ている。ちなみに『アンパンマン』の放送時間は地域によるが、局によっては朝5時半とかにやっていたりする。一定時間子ども向け番組を流さなくちゃいけないからアリバイ的にやっているのだろう。


『アンパンマン』のストーリーの流れはだいたい決まっていて、

あるキャラクターが登場

バイキンマンとドキンちゃんがそのキャラクターに変装(目的は料理を食べるためであることが多い)

みんなころっと騙されるが、本物が登場し、「ク、クレープマンがふたり!?」と驚く

変装が解け、バイキンマンとドキンちゃんが正体を現す

アンパンマンがやっつけてめでたしめでたし

このパターンが圧倒的に多い。全体の半分以上はこの流れだ。



 バイキンマンの変装は決して上手ではなく、鼻などはバイキンマンの鼻そのままで、視聴者にはどちらが偽物なのかすぐわかる。声もバイキンマン丸出しだ。にもかかわらず、変装が解けるまでは、登場人物たちには決してばれない。

 ま、それはいい。子ども向けアニメのお約束だ。きっとあの世界の住人はみんな目と耳が悪くて、ぼんやりとしか認知できていないのだろう。


 気になるのは、アンパンマンが毎度毎度、同じ手口で騙されることだ。毎週、「○○ちゃんがふたり!?」「バイキンマンだったのか!?」と驚いている。

「いやいや、ああいうアニメってすべての話が連続しているわけではなく、1話ごとにリセットされているんだよ。だから彼らにとってバイキンマンの変装は毎回はじめてなのさ。わかってないねえ」とおもうかもしれない。

 そういう人に言いたい。バイキンマンはちゃんと過去のことをおぼえているのだ。アンパンマンが出てくるたびに「また出たなおじゃま虫め!」と言うのだ。

 つまり、アンパンマンは毎度毎度記憶が消えているのに、バイキンマンは先週のことをしっかりおぼえているのだ。


 これは、アンパンとバイキンの違いによるものだろう。

 ごぞんじのように、アンパンマンは頭部をとりかえることができる。おそらく交換時に記憶もリセットされてしまうのだろう。

 一方のバイキンマンは細胞分裂で増えるので、記憶を引き継ぐことができる。


 この違いにより、「バイキンマンは『また出たなおじゃまむしめ!』と言うのにアンパンマンは毎度同じ手口でだまされる」非対称性が生まれるのだ。



2024年5月21日火曜日

THE SECOND(2024.5.18放送)の感想


 THE SECOND(第2回大会)の感想。


 渋い渋いと言われていた前回大会でも、テレビタレントとしておなじみの三四郎やスピードワゴンがいたり、テンダラーや超新塾といった華やかな人たちがいたりしていたのだが、今大会でテレビでよく見るのはタイムマシーン3号とななまがりぐらい。どっちも見た目人気はまるでなさそうなコンビだし、他のコンビにいたっては知名度もなければビジュアルもアレな感じで、見た目に華があるのはラフ次元ぐらいか。2022年までのM-1グランプリの人気投票、じゃなかった視聴者投票システムの敗者復活戦だったらどんなにおもしろくてもぜったいに勝ち上がれなかったであろうコンビたち。最高。とにかく『THE SECOND』らしいくすんだ色のメンバーが集まっていてすばらしい。


 優勝はガクテンソク。これまでの彼らの漫才のいろんなくだりを詰め込んだ、3枚組ベストアルバムといった感じの圧巻のパフォーマンス。短い時間に6分×3本のネタをぶつけるこのシステムだと、やっぱり正統派しゃべくり漫才が強いね。というかインパクト勝負のネタだと、1日2本が限界。


  個人的にいちばん良かったのはザ・パンチ。16年ぶりのファイナリストだそうだが、ほぼ16年ぶりにネタを観た人も多いのでは。ぼくもそのひとり。「あのザ・パンチが16年の紆余曲折を経てこうなったかー」と感慨深いものがあった。昔の「死んで~」はやっぱりどぎつかった(だって死ななきゃいけないほどのことをしてないんだもん)、年を取っていい感じに丸みを帯びてすごく見やすくなった。ずっと楽しそうに漫才をしていた。

 ずーっと隙間なくしゃべっていて、そこが最高におもしろいんだけど、さすがに18分も聴いていると疲れてしまう。そして後半は明らかにネタが弱くなっていて、キャラクターのおもしろさも新鮮さを失い、3本目の序盤ぐらいで魔法が解けたようにすーっとお客さんが離れていくのがテレビ越しにも伝わった。そこもまたおもしろかったな。去年のマシンガンズのように。


 ハンジロウ。元嫁カフェはすごくいいネタなんだけど、着想のおもしろさで勝つには6分という時間はちょっと長すぎたかな。

 元嫁、という設定がおじさんにちょうどマッチしていて、THE SECONDという大会の一本目にふさわしいネタだった。


 金属バットは、去年もそうだったけど、意外にきっちり作りこんだネタで勝ちにくるんだよね。ガラの悪いラーメンズ、って感じだった。「あかんポリおる」みたいなシンプルなワードからはじまって、徐々にストーリー性を持たせる、1行ずつ切ってきっちりオチをつける、とずいぶんしっかりと作りこまれた構成。これはこれでいいんだけど、金属バットには「どこまでがネタでどこまでがアドリブかわからない」ネタを期待しちゃうんだよな。それだけの話術があるコンビだからこそ。


 ラフ次元。華やかさがあって、見た目も悪くなくて、ポップで、どうして若いときに人気が出てこなかったんだろうとおもわせるコンビだった。関西の番組ですらほとんど目にすることがなかった。

 これまたよく考えられたいいネタだったんだけど、THE SECONDで求められるのはこういう前半をフリに使って後半回収するタイプの漫才じゃないよな、という気もする。ラフ次元というコンビを知ってもらうのにちょうどいい名刺のような漫才だった。


 ななまがり。おもしろさはわかるけど、これを6分はさすがにちょっと飽きるかな。まして12分見たいとはおもえなかった。おもしろワードの羅列で、ストーリーなんてあってないようなものだからな。1点票が多いのは、このコンビにとっては名誉みたいなもんでしょう。


 タモンズ。ネタは弱かったが、演者の人間性だけで魅せるTHE SECONDらしい漫才。深く考えずにぼんやり聴いているだけでけっこう楽しい。それはそうとレイクのツカミ、さすがにこの時代にはもう古くない? 


 タイムマシーン3号は安定のおもしろさ。ただその安定感ゆえに負けてしまったのかな。安定しているがゆえに、ここで勝たせてあげたい、という気にならない。今回の出場者の中では圧倒的に売れてるし。売れているコンビがこの大会で勝つためには、去年の三四郎のようになりふりかまわぬあぶなっかしさが必要だね。


 ということで、レッドカーペットなどで活躍していたコンビがひさしぶりに表舞台に帰ってきた新鮮さが受けて決勝に進むけど最後で新鮮さが薄れてネタ切れも起こし、結局はさんざん舞台に立ってきた正統派しゃべくり漫才師が地肩の強さを見せて圧倒的大差で勝つ、という、昨年大会と同じような流れになりましたね。この感じでいうと、次回の優勝は2丁拳銃あたりか。

 やっぱり1日3ネタは多いよね。勝てるコンビが限られてしまう。演じる側の消耗も激しいだろうし、観ているほうも疲れる。このへんは改善の余地がありそう。あと先攻の1勝6敗(昨年は2勝5敗)という後攻有利な採点システムと。


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2024年5月17日金曜日

【読書感想文】稲垣 栄洋『はずれ者が進化をつくる 生き物をめぐる個性の秘密』 / 科学に対して不誠実

はずれ者が進化をつくる

生き物をめぐる個性の秘密

稲垣 栄洋

内容(e-honより)
「平均的な生き物」なんて存在しない。個性の数は無限大。唯一無二の生命をつなぐために生き物たちがとってきたオンリーワンの生存戦略。


 この著者の本を以前にも読んだことがあるが「専門分野である雑草の話はおもしろいが、それ以外の分野はめちゃくちゃ乱暴でいいかげんなことを書くなあ」という印象だった。

 本書も同じ。

 自然界には、正解がありません。ですから、生物はたくさんの解答を作り続けます。それが、多様性を生み続けるということです。
 条件によっては、人間から見るとはずれ者に見えるものが、優れた能力を発揮するかもしれません。
 かつて、それまで経験したことがないような大きな環境の変化に直面したとき、その環境に適応したのは、平均値から大きく離れたはずれ者でした。
 そして、やがては、「はずれ者」と呼ばれた個体が、標準になっていきます。そして、そのはずれ者がつくり出した集団の中から、さらにはずれた者が、新たな環境へと適応していきます。こうなると古い時代の平均とはまったく違った存在となります。
 じつは生物の進化は、こうして起こってきたと考えられています。
 ナンバー1しか生きられない。これが自然界の鉄則です。
 自然界に暮らす生き物は、すべてがナンバー1です。どんなに弱そうに見える生き物も、どんなにつまらなく見える生き物も、必ずどこかでナンバー1なのです。
 ナンバー1になる方法はいくらでもあります。
 この環境であれば、ナンバー1、この空間であればナンバー1、このエサであればナンバー1、この条件であればナンバー1……。こうしてさまざまな生き物たちがナンバー1を分け合い、ナンバー1しか生きられないはずの自然界に、多種多様な生き物が暮らしているのです。
 自然界は何と不思議なのでしょう。
 そして、ナンバー1はたくさんいますが、それぞれの生物にとって、ナンバー1になるボジションは、その生物だけのものです。すべての生物は、ナンバー1になれる自分だけのオンリー1のポジションを持っているのです。そして、オンリー1のポジションを持っているということは、オンリー1の特徴を持っているということになります。つまり、すべての生物はナンバー1であり、そして、すべての生物はオンリー1なのです。

 こういう話は納得できる。

 ただ、その後に「だから君たちもオンリー1の場所でナンバー1をめざして~」とか「だから人間もそれぞれ個性があるのがよくて~」みたいなお説教に持っていく。これがよくない。朝礼の校長先生の話のようで、とたんにつまらなくなる。

 あらゆる生物はそれぞれのニッチに特化した生態を持って生きている、だから自分も目立つ場所でナンバー1になれないかもしれないけど、どこかに持ち味を発揮できる場所があるはず。がんばろう! ……とおもうのはいい。好きにしたらいい。でもお説教の道具にするのはよくない。その生物はその生物、あなたはあなた。ぜんぜんちがうものなんです。




 踏まれる場所に生える雑草にとって、踏まれることはつらいことなのでしょうか? オオバコの例を見てみることにしましょう。
 植物は種子をタンポポのように綿毛で飛ばしたり、ひっつき虫と呼ばれるオナモミやセンダングサのように他の動物にくっつけたりして、広い範囲に散布します。
 オオバコはどうでしょうか。
 オオバコの種子は水に濡れるとゼリー状の粘着液を出します。そして、靴や動物の足にくっつきやすくするのです。
 こうして、オオバコの種子は人や動物の足によって運ばれていきます。車に踏まれれば車のタイヤにくっついて運ばれていきます。
 こうなると、オオバコにとって踏まれることは、耐えることでも、克服すべきことでもありません。

 ここまでで終わってればいいんだけどね。その後に人生訓を語るから、とたんに話が嘘くさくなる。


 生物がある分野に特化して生きているのはべつに狙いが成功したわけではなく単なる結果だし、「ある分野に特化して生きのびている生物」よりも「ある分野に特化したことで死んでしまった生物」のほうが圧倒的に多い。

 狭い分野に特化した特徴を持つのはものすごく勝つ確率の低いギャンブルで、たまたま勝ち残ったやつらが今生きているだけだ。それを処世術みたいに語るのは間違っている。

 ユニークな特徴を持っていたほうがいいってのは、生態系における種の話としてはそうかもしれないけど、各個体にまで拡げて語るのはめちゃくちゃ乱暴。ぜんぜん別物だからね。


 とにかく科学に対して不誠実。「学生向けの本だから不正確でもいいや」って態度で書いてるのかな。

 また、知ってか知らずか、誤った記述も多い。

 たとえば、「人間の祖先はかつてサルでした」なんて書いている。正しくは、人間の祖先はサルの祖先でした、だ。人間の祖先はサルじゃない。

 週刊誌のエッセイ程度ならともかく、こういう本をちくまプリマ―新書として出したらだめよ。


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2024年5月15日水曜日

【読書感想文】F.アッシュクロフト『人間はどこまで耐えられるのか』 / 最後は運しだい

人間はどこまで耐えられるのか

F.アッシュクロフト(著)  矢羽野 薫(訳)

内容(e-honより)
生きるか死ぬかの極限状況で、肉体的な「人間の限界」を著者自身も体を張って果敢に調べ抜いた驚異の生理学。人間はどのくらい高く登れるのか、どのくらい深く潜れるのか、暑さと寒さ、速さの限界は?果ては宇宙まで、生命の生存限界まで、徹底的に極限世界を科学したベストセラー。


 タイトルの通り、「人間は生きたままどれだけ高く登れるのか」「どれだけ深く潜れるのか」「暑さや乾燥にはどれぐらい耐えられるのか」「寒いとどうなるのか」「他の動物はどうやって耐えているのか」について書かれた本。

 数々の文献を漁って書かれた本であり、著者が命を賭けて「どれぐらい耐えられるか」の実験したような本ではありません。念のため。




 ふだん生きていてあまり意識することはないが、「気圧」は身体に対して大きな影響を与える。

 人間がギリギリ耐えられる低い気圧は、厳しいトレーニングを受けた人でも350hPaぐらい。高さにすると標高8,000mぐらい。エベレストの標高が8,848mなので、世界最高峰の山が人間のギリギリラインというのはなんともよくできた偶然だ。

 気圧が低くなると人体には様々な影響が出て、とてもまともに活動ができない。平地でも気圧が低くなると人によっては体調が悪くなるようだが(ぼくはほとんど感じたことがないけど)、その比じゃないぐらいしんどくなるようだ。

 加えて、気圧が低いと酸素が薄くなるわけで、ちょっと動いただけでものすごく疲れる。エベレストの山頂で100m進むのは、低い山を100m歩くのとはまったく疲労度が違うという。

「登山家は山の標高を語りたがるけど、海抜0m地点から登りはじめるわけじゃないから、あんまり意味なくない?」とおもってたんだけど、そんなことなかったんだね。標高0m→100mと標高8,000m→8,100mはまったく違うのだ。


 標高8,000mが限界なのに、高度10,000mぐらいを飛ぶ飛行機って、相当無理のある乗り物だよね。

「客室内の気圧が急に低下した場合は、頭上から酸素マスクが下ります」。ここ二五年ほどで飛行機の利用客は爆発的に増えた。それだけ多くの人がこの注意書きを見慣れているわけだが、そのような緊急事態を実際に経験した人はほとんどいない。民間航空機は一般に高度一万メートル付近を飛行する。この高度で機体の窓が吹き飛ばされると、客室内の空気が轟音をたてて一気に外へ噴き出し、外気と同じ気圧まで下がるだろう。ものが空中に浮かび、シートベルトをしていない人は吸い込まれるように外へ投げ出されるかもしれない。室温も外気と同じ寒さまで下がり、機内はきめ細かい霧に包まれ、冷却された空気が気化しはじめる。すぐに酸素マスクを着用しなければ命にかかわり、肺の中の酸素が急激に減少して、三〇秒で意識を失うはずだ。パイロットが適切な行動を取れる「有効時間」はさらに短く、わずか一五秒ほどである。あるパイロットはコックピットが急減圧したはずみで眼鏡を落とし、酸素マスクを着用する前に眼鏡を拾おうとかがみ込んだため、そのまま意識を失った。副操縦士が同じ過ちを犯さなくて幸いだった。

 飛行機に乗っているときに「もし墜落したら確実に死ぬな」なんて考えるのだが、墜落しなくても窓が開いただけで死んでしまうのだ。宇宙船や潜水艦と同じで、「一歩出たら外は死の世界」だ。

 たった30秒で意識を失う……。ま、それはそれであまり恐怖を感じなくて、悪くない死に方かもしれない。



 人類は暑い地域で進化したので、他の動物に比べれば、寒さよりも暑さに強いようだ。

 中でもヒトが優れているのが「汗をかける」という点だ。汗を蒸発させることで身体の熱を外に逃がすことができる。ヒトは全哺乳類の中でもトップクラスに走るのが遅い(身体のサイズのわりに)だが、それは短距離走の話であって、長距離走ではウマと並んで非常に優れたランナーである。

 汗の蒸発による冷却システムは、運動をするときはとくに重要である。過酷なツール・ド・フランスに参加するサイクリストは、一二時間連続で上り坂を漕ぎつづける。その彼らが実験室の中では、同じペースの運動を一時間さえ続けることができず、驚いて悔しがることも多い。外の道路では、自分が前に進むことで向かい風が生じ、肌に接する空気の層をすみやかに後ろへ逃がして、汗の蒸発による冷却効果を著しく高める。一方、静止した自転車ではこの対流が大幅に遅くなるので、それだけ熱が発散されるペースも遅くなり、すぐに疲れてしまうのだ。しかし、扇風機を回して人工的に風を送ると、はるかに長時間ペダルを漕ぎつづけることができる。汗の蒸発による冷却効果が急に落ちることは、サイクリストやランナーが走り終えた直後に心臓発作を起こす原因でもあるだろう。
 体の周囲を通り抜ける空気の流れが突然止まると、体外に放出される熱の量が減って、体温が急激に上がることは十分に考えられる。乗馬でも、馬に運動させた後は徐々にクールダウンさせなければならず、急に止まってはいけない。

 熱中症にならないために気温を気にするけど、二、三度の気温のちがいよりも、湿度や風のほうがずっと重要なんだね。そういや扇風機なんて気温にはぜんぜん影響を与えないけど(どっちかっていったら気温を上げる要因になる)、あるのとないのとではぜんぜん涼しさがちがうもんね。



 ヒトは寒さにはあまり強くない……。はずなのだが、ある程度は寒さに慣れることができるし、例外的にめちゃくちゃ寒さに強い人もいる。

 南極探検家ロバート・スコットの悲運の遠征隊(一九一一~一二年)に参加したバーディーことH・G・バウアーズは、遺品となったノートを読むと、驚異的なほど寒さに強かったようだ。テイコクペンギンの卵を収集するためにクロツィエ岬に向かったバウアーズは、マイナス二〇以下の夜も、毛皮の寝袋の内側に羽毛のライナーをつけずにぐっすり眠れた。仲間のアプスリー・チェリー=ガラードは「連続して震えの発作に襲われ、止めることができなかった。震えに全身を支配され、背中が折れたかと思うほど筋肉が緊張した」という。バウアーズは凍傷にも一度も悩まされなかった。スコットは、バウアーズほど「寒さをものともしない人は見たことがない」と記している。
 バウアーズはなぜ、それほど寒さに強かったのだろう。一つ考えられる理由は、彼が毎朝、南極の冷気の中で裸になり、氷のように冷たい水をバケツで何杯もかけて全身を洗っていたことだ。仲間は恐れおののいて見守っていたという。いくつかの研究から、断続的に寒さに体をさらしていると、人間はある程度、寒さに適応できることがわかっている。有志の被験者が数週間にわたって毎日三〇~六〇分間、水温一五℃の水に浸かった後、北極と同じ寒さの実験室に入った。すると、水浴を始める前に入ったときより長く我慢でき、ダメージも少なかった。

 寒さに限らず、暑さでも、気圧の低さも、気圧の高さも、耐えられる度合いは人によって大きくちがう。

 基礎体力などの要因もあるが、もってうまれた体質も大きい。たとえば高山病のなりやすさ、症状の重さは、どれだけ鍛えているかには関係ないようだ。暑さも寒さも同じ。気合を入れようが、心頭滅却しようが、無理なものは無理! なのだ。

「おれが若い頃はこれぐらいは耐えられた」と口にする人は、ぜひとも人類がこれまでに乗り越えてきた最高高度、最高気温、最低気温、最高気圧、最低気圧のすべてに挑戦してから言ってほしい。他に耐えられた人がいるんだから、あんただって平気なんだよね?


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