世にも奇妙な人体実験の歴史
トレヴァー・ノートン (著) 赤根洋子 (訳)
いやあ、おもしろかった。これは名著。
科学読み物が好きな人には全力でおすすめしたい。
世の中にはおかしな人がずいぶんいるものだ。
ぼくにとっていちばん大事なものは「自分の命」だ。あたりまえだよね……とおもっていた。
でも子どもが生まれたことでちょっと揺らいできた。
自分の命を投げ出さなければ我が子の生命が危ないという状況に陥ったら……。
ううむ、どうするだろう。
そのときになってみないとわからないけど、身を投げだせるかもしれない。少なくとも「そりゃとうぜんかわいいのは我が身でしょ!」とスタコラサッサと逃げだすことはない……と信じたい。
そんな心境の変化を経験したおかげで、大切なものランキング一位がで「自分の命」じゃない人はけっこういるんじゃないかと最近おもうようになった。
「子どもの命」や「他者」や「信仰」や「誇り」を自分の命よりも上位に置いている人は意外とめずらしくないのかも。
『世にも奇妙な人体実験の歴史』は、そんな人たちの逸話を集めた本だ。
この本に出てくる人たちにとって、大事なのは「真実の解明」だ。
彼らは真実を明らかにするために自らの健康や、ときには命をも賭ける。
毒物を口にしたり、病原菌を体内に入れたり、爆破実験に参加したり、食べ物を持たずに漂流したり、安全性がまったく保障されないまま深海に潜ったり気球で空を飛んだり……。
クレイジーの一言に尽きる。
こんなエピソードのオンパレード。
世の中にはイカれた科学者がたくさんいるんだなあ。
それでもこの本に載っているのは「クレイジーな人体実験をしてなんらかの成果を上げた科学者たち」だけなので、「危険な実験をして成果を上げる前に死んでしまった科学者たち」はこの何十倍もいたんだろうな。
「彼らはまず、安全だと現在考えられている量の十倍から服用実験を開始した」って……。
いやいや。
ふつうならまずネズミと犬が死んだところでやめる。犬が死んだのを見た後に、自分で飲んでみようとおもわない。
仮に飲むとしても、「安全だと現在考えられている量」から服用する(それでもこわいけど)。なんでいきなり十倍なんだよ。ばかなの?
しかしこの無謀すぎる実験のおかげで適量のモルヒネが苦痛を和らげることが明らかになり、モルヒネは今でも医療用麻薬として使われている。
こういうクレイジーな人たちがいたからこそ科学は進歩したのだ。偉大なるバカに感謝しなければならない。
今、うちには生後九か月の赤ちゃんがいる。
こいつはなんでも触る。なんでもなめる。口に入る大きさならなんでも口に入れようとする(止めるけど)。
「触ったら熱いかも」「なめたら身体に悪いかも」「ビー玉飲んだらのどに詰まって死ぬかも」とか一切考えていない。当然だ、赤ちゃんなのだから。
それで痛い目に遭いながら赤ちゃんは成長する(もしくはケガをしたり死んだりする)のだけど、この本に出てくる科学者たちは赤ちゃんといっしょだ。わからないから触ってみる、なめてみる、やってみる。
もちろん「死ぬかも」という可能性はちらっとよぎっているんだろうけど「でもまあたぶん大丈夫だろう」と考えてしまうぐらいに好奇心が強いんだろうね。賢い赤ちゃんだ。
この本に出てくる人たちのやっている実験は痛々しかったりおぞましかったり息苦しくなったりするのだが、そのわりに読んでいて陰惨な感じはしない。というか笑ってしまうぐらいである。
著者(+訳者)のブラックユーモアがちょうどいい緩衝材になっているのだ。
「実験失敗 → 死亡」なんてとても不幸な出来事のはずなのに、ドライな語り口のせいでぜんぜん痛ましい気持ちにならない。
人の死を軽く受け止めるのもどうかとおもうが、いちいち深刻に悼んでいたらとてもこの手の本を読んでいられないので、これはこれでいいんだろう。
読んでいるだけでどんどん病気や怪我や死に対する恐怖心が麻痺していく気がする。
この心理の先にあるのが……我が身を賭して人体実験をする科学者たちの心境なんだろうな、きっと。
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