2022年2月10日木曜日

【コント】不動産屋

「いらっしゃいませ」

「あの、物件探してほしいんですけど。急ぎで」

「承知しました。ではまずご希望の条件をお伺いできますか」

「トイレのある部屋!」

「はっはっは。今はたいていの部屋にトイレがついてますよ。逆に共用トイレの部屋を探すほうがむずかしいぐらいで。ほかに条件は」

「いや特には」

「場所はどのあたりをご希望でしょうか」

「なるべく近くがいいです」

「駅からですか」

「いや、ここから」

「ここから? お勤め先がこの近くとかですか」

「いやそういうわけじゃないんですけど。ねえ、早く紹介してもらえませんか」

「他に条件は……」

「ないです。とにかくトイレのある部屋ならどこでもいいんで!」

「そう言われても、条件がゆるすぎて逆に見つからないんですよね……」

「ああ! 早く! 早く!」

「あのー。もしかしてですけど、お客様」

「なに?」

「ひょっとして、今トイレを我慢されてるんでしょうか」

「そうですよ! だから早くトイレのある部屋を探してって言ってるんです!」

「やっぱり……。あのお客様、でしたら物件探しではなく、『トイレ貸して』とおっしゃっていただければ事務所のお手洗いをお貸しできますんで」

「え? そうなの!? もっと早く言ってよ! あっ、あっ、あっ……」

「えっ」

「……」

「ひょっとしてお客様……」

「あの……。やっぱり、トイレとお風呂のある部屋探してもらえますか……

「やっぱりもらしてるじゃないですか!」



2022年2月9日水曜日

子どものアンガーマネジメント

 長女はかんしゃく持ちだ。怒ると手が付けられなくなる。

 長女が一歳のときに撮った動画がある。
 積み木をふたつ重ねて押す娘。押すうちに、上に乗せた積み木がぽろりと落ちる。すると娘は「ぎゃー!」と泣いて床につっぷす。
 しばらくするとまた挑戦する。ふたつ重ねた積み木を押す。上に乗せた積み木が落ちる。また泣き叫ぶ。

 そのときは「ああおもうようにいかなくて怒ってるのか。かわいいな」とおもっていた。のんきに動画撮影をしていた。


 長女が二歳になった。世間一般にいう〝イヤイヤ期〟突入である。うわさには聞いていたが、すごかった。

 とにかく何をするのもイヤ、歩くのもイヤ、だっこされるのもイヤ、ベビーカーに乗るのもイヤ、置いていかれるのもイヤ、その場にいるのもイヤ、どないせいっちゅうねんとおもうが、イヤイヤ期とはそういうものらしい。機嫌を損ねると座りこんで泣きわめき、どうすることもできない。腹が減っているから怒るのだろうと食べ物やジュースで釣っても動こうとしない。怒ること火のごとし、動かざること山のごとしである。

 まあイヤイヤ期だからな、とおもっていたが、三歳になっても四歳になってもかんしゃくを起こす。さすがに回数は減ったが、それでも一度怒りだすと、何を言っても耳を貸さなくなる。怒りが怒りを呼んで、どんどん燃え盛る。
 他人を叩いたりものを壊したりといったことはほとんどないのが救いだが、一度機嫌を損ねると手が付けられなくなる。

 この頃にようやく気付いた。「あれ、他の子はここまでひどくないぞ」と。

 もちろん他の子も怒ることはあるが、うちの娘ほど長時間引きずらない。家の中ではどうだか知らないが、少なくとも外で遊んでいるときはほどほどのところで怒りを鎮めている。うちの娘だけが持続的な怒りを持っている。SDGsな怒りだ。
 しかも回数が多い。他の子の三倍ぐらい怒っている。


 小学生になっても、怒って怒ってすべてを台無しにしてしまうことがある。

 一年生のとき。登校前に「鍵盤ハーモニカを持って行かなきゃいけないのにちょうどいいかばんがない!」と怒りだした。
 こちらが「ちょっとはみだすけどこのかばんでいいじゃない」「紙袋ならあるけど」「袋に入れずにそのまま持っていけば」「それも嫌ならもう持って行かなきゃいいじゃない」とあれこれ案を出すも、すべて却下される。
 〝この鍵盤ハーモニカがぴったし入る布製のかばん〟を用意するまでこの怒りは鎮まらないのだ。むりー。
 たまたまリモートワークだったこともあって「だったら好きにしたら」と放っておいたら、まんまと学校に遅刻した。

 二年生になっても同じようなことがあった。登校直前になって「宿題のプリントがない」と言いだした。家を出る時間がせまっていたので「今日は忘れましたって先生に言って、明日持っていきなよ」と言っても聞く耳持たず。強引に家から連れ出そうとしたがてこでも動かず。結局、妻が仕事を休むことにし、一日家にいることになった。

 冷静に考えたら「鍵盤ハーモニカを忘れることと、学校に遅刻すること」「宿題のプリントを忘れることとと、学校をさぼること」のどっちがマシかは明らかだ。でも怒りだすとそういう判断ができなくなってしまう。


 娘が怒りだしたとき、ぼくは妥協しない。「怒ると要求が通る」とおもわせたくないからだ。
 だから娘が怒りだすと、譲歩するどころか逆にこちらの要求を吊り上げる。

 たとえば「本を読んで」という娘と、「今日はもう遅いから明日」のぼくが対立する。娘が怒鳴る。ぼくは「じゃあ明後日」と言う。娘はもっと怒って叫ぶ。ぼくは「じゃあ三日後」と言う。

 これを何度かやっていたら怒らなくなるかとおもったが、娘はぜんぜん学ばない。怒れば怒るほど不利になるのに、それでも怒る。なんてアホなんだ。犬のほうが賢いぞ。


 まあ子どもだからな、とおもっていたのだが、次女の姿を見ているうちに心配になってきた。次女は長女とちがって怒りが長期化しないのだ。
 もちろんかんしゃくを起こすことはあるが、数分で収まる。怒りだすと一切の譲歩を拒絶する長女と違い、次女は怒りながらも損得の計算をしているようで「ジュース飲む?」と訊くとあっさり譲歩してくれる。「Aは叶わなかったけど同等以上のBが手に入ったから良しとする」という判断をしてくれるのだ。長女はそれができない。


 おいおいどうなってるんだ。八歳の長女よりも三歳の次女の方がよっぽど感情のコントロールができてるぞ。

 子どもなんで怒りのコントロールができないのは当然かとおもっていたが(ぼくもかんしゃくを起こしやすい子どもだったので)、次女と比べると長女は感情のコントロールがへたすぎる。怒りをぶちまけたっていいことなんてひとつもない。うまくコントロールさせてやらなきゃあ。


 というわけで、名越康文氏監修の『もうふりまわされない! 怒り・イライラ』という本を買った。
 以前、名越康文さんの人の対談を聴きに行ったことがある。落ち着いたしゃべりかたをする精神科医だ。いかにも感情のコントロールがうまそうな人だった。

 この本は、子ども向けに「怒りとはなんなのか。なぜ人は怒るのか。怒りを落ち着かせるにはどうしたらいいか」を説明してくれている。アンガーマネジメントというやつだ。大人が読んでも「なるほどね」とおもう箇所もいくつか。

 特にシンプルですぐ実践できそうだったのが「腹が立ったら6秒かけてゆっくり深呼吸をする。深く吸って、ゆっくり吐く。爆発的な怒りは6秒までしか持続しないので、6秒立つと気持ちが落ち着いて冷静に話せるようになる」というものだ。

 これはいいとおもい、さっそく長女といっしょにこの本を読み、
「(長女)が怒ってるなーとおもったらおとうさんが『6秒深呼吸して』と言うから、そしたらゆっくり深呼吸して」
と伝えて練習をした。

 さあこれで大丈夫。


 数日後、長女が「丸付けして」と持ってきた漢字のプリントを採点していたら、「なんで×なん。あってるやんか!」と怒りだした。
 いよいよアンガーマネジメント術を使うべきときだとおもい「あっ、6秒深呼吸して」と言った。

 すると長女は「怒ってない! 怒ってないのになんで深呼吸すんのよ!」とますます怒りだした。

 えええ……。怒ってますやん……。

「まあまあ。まず深呼吸して。それから話そう」

「いやだ! 深呼吸の前に話す!」


ということで結局、6秒深呼吸術を使ってくれませんでした。

 アンガーマネジメントを使うためにはまず怒りを鎮める必要があるな……。


2022年2月8日火曜日

夜の学校

 たいへんまじめな高校生だったので、在学中に酒を飲んだことは二度しかなかった。なんてまじめなんだ。

 今の高校生はどうだか知らないが、ぼくが高校生だった二十数年前はまだまだ未成年の飲酒に対して社会全体がゆるく、コンビニでも年齢確認なしで酒が買えた時代だ。そりゃ飲むだろう。

「文化祭の打ち上げで○○先輩がファミレスでビールを飲んだのがばれて停学になった」という話も聞いた。近所のファミレスで飲むほうも飲むほうだし、明らかな高校生集団にビールを提供する店も店だ。まあとにかくそういう時代だったのだ。なのに二度しか飲まなかったというのは、えらいというほかない。あっぱれ。


 一度目は三年生の夏休み。友人三人と、夜中の小学校に忍びこんで缶チューハイをほんの少しだけ飲んだ。

(そのときの顛末は以前にも書いた。→ 死体遺棄気分の夏 )


 二度目は三年生の大晦日。ホームセンターでどきどきしながら缶チューハイを買い、高台にある小学校にしのびこんだ。テラスで寒さにふるえながら年を越した。寒すぎてまったく酔わなかった。

 酒を飲んだのは二度とも小学校だ。人が来ないので見つかりにくい、金がなくても行ける、少々大きな声を出しても大丈夫、という条件を満たしてくれるのは夜の学校ぐらいしかないのだ。

 これはぼくらだけではない。同級生の女の子は夜の中学校のプールで泳いでいて警察に怒られたと言っていたし、やはり別の友人は夜の高校の体育館で煌々と灯りをつけてバスケットボールをやっていたら警察に追い回されて走って逃げて転んだところを捕まった。

 田舎の高校生が人目を忍んで行くところといえば学校ぐらいしかないのだ。この支配から卒業するために行く場所が学校しかないというのは、なんとも皮肉なものだ。きっと尾崎豊が夜の校舎で窓ガラスを壊してまわったのも、教育制度に対する反抗心と言うよりは「他に行くところがなかった」が近いんじゃないだろうか。


2022年2月7日月曜日

【読書感想文】斎藤 美奈子『モダンガール論』

モダンガール論

斎藤 美奈子

内容(e-honより)
女の子には出世の道が二つある!社長になるか社長夫人になるか、キャリアウーマンか専業主婦か―。職業的な達成と家庭的な幸福の間で揺れ動いた明治・大正・昭和の「モダンガール」たちは、20世紀の百年をどう生きたのか。近代女性の生き方を欲望史観で読み解き、21世紀に向けた女の子の生き方を探る。

 原書は2000年刊行。

『モダンガール論』とあるが大正時代に限定した話ではなく、「明治以降の女たちはどういった生き方を目指し、どういった生き方を選択した(あるいは強制された)のか」を読み解いた本だ。


 ご存じの通り、女の生き方はここ百年で大きく変わった。就学も就職も結婚も自由にできなかった時代から、それらすべてほぼ自由にできるようになった時代へと。男の生き方も変わったが、もっと大きく変わったのが女の生き方だった。

 ではどのような経緯で女の生き方は変わっていったのか。




 転機の一つは「良妻賢母」だと著者は書く。

 そこで話はもとへもどる。一八九九(明治三二)年、女子教育の流れを決める大きな決定が下された。この年は、不平等条約の改正を受け、改正条約が実施された年でもあるのだが、日本が国際的な法権を回復したその年に、文部省は、女子教育に関する初の法令を発令した。「高等女学校令」、すなわち女学校を中学校と同じ正式な学校(高等普通教育機関)として認定する法令である。
 女学生数を急増させた「なにか」とはこれのことにほかならない。女子の教育目的として、そこには力強い一文が含まれていた。「賢母良妻たらしむるの素養を為す」
 この規定は、二〇世紀の望ましい女性像=女の子の出世の道をはじめて明らかにするものだった、といっていい。二〇世紀の望ましい女性像とは何だったか。行をかえて強調しちゃおう。
 良妻賢母!
 ええええっ、りょーさいけんぼお? とあなたは眉をしかめるだろう。そんなもんのどこが二〇世紀的だっていうのよお、と。封建的。前近代的。後進的。儒教道徳的。なんでもいいが、良妻賢母ということばには、カビのはえた男尊女卑の匂いがする。
 しかし、これ、ほんとはそんなに古い概念じゃないのである。前近代的どころか、良妻賢母は近代の発明品。しかも、びっくり仰天、こいつは男女平等の新思想だった。

 現代の感覚では信じられないが、「良妻賢母」こそが女性の地位向上に貢献した思想だというのだ。

 それまでは「女に教育なんて必要ない!」が一般的だったのが、「良い妻、賢い母となるにはきちんと教育を受けねばなりません。妻が家計を管理して家族の健康を支え、母親が子どもに質の高い教育を施すには、女にも教育を受けさせる必要があるのです」という口実を得て女性の進学率が向上した。

 さらに、やはり良妻賢母となるには社会経験も積んだ方がいい、ということで就職率の向上にも貢献した。もっともここでいう就職とは会社や百貨店や役所や学校に務めるホワイトカラー層のことで、農業や工場での労働をせざるをえなかった層のことではない(その層の人たちに働かないという選択肢はなかった)。


 男女等しく教育を受けることがあたりまえになっている現代の感覚のままだと見失ってしまいそうになるが、「良妻賢母」とは近代になって生まれた新しい思想だったのだ。「女は夫や家長に意見するな」が当然だった時代からすると、「良妻賢母」は飛躍的な進歩である。

 差別の解消や人権の確立って、まるで〝正解〟があっていっぺんにそれが叶えられたような気になってしまうけど(まあ戦後日本の場合は連合国支配時代に一気に改革が進んだから余計に)、ほんとは一歩一歩少しずつ変わっていくもんなんだよな。
「良妻賢母」は女性の立場の漸進的な変革において、重要なステップだった。「改革」「維新」といったドラスティックな言葉が好きな人にはなかなか理解できないかもしれないが。




 また、昭和に入ってから女性の社会進出に大きく貢献したのは「戦争」だったと著者は語る。

 日中開戦を機に、女学校の教育内容も心身一体の皇国民を育てるという方向に軌道修正された。それによって女学校は、中途半端な花嫁学校ではなくなった、といってもよい。
 女学校に課せられたのは、母性教育の強化と、目的意識のはっきりした奉仕活動である。(中略)戦地に送る慰問文や慰問袋の作成、戦没遺族の訪問、陸軍病院の慰問、街頭での募金活動、献金……。学校外での活動は、刺激的であり、誇らしくもあっただろう。ましてそんな活動が、新聞雑誌で派手に紹介でもされてごらんなさい。お嬢さん、いやな気がするでしょうか。
 女学生のボランティア活動のうち、特筆すべきは「勤労奉仕」というやつだ。男性労働力を失った農村におもむき、田植えや草刈り、子守り、炊事洗濯などを手伝う。あるいは工場で機械工や旋盤工のまねごとをする。いまから思えば「そんな農村婦人や労働婦人みたいなこと、よくやる気になったわねえ」だが、なにせ非常時。女学生という身分のままで働けるなら、たまにやる肉体労働も悪くない。「勤労奉仕」はすべての未婚女性に期待されたから、女学校を出て花嫁修業(結婚浪人)中だったお嬢さんの多くも、これに飛びついた。

 朝ドラなんかだと、「庶民(特に女)は、望みもしない戦争に国が突入したことで苦労を強いられた」という悲劇のヒロイン的な描かれ方をするが、そんなことはない。男も女も軍人も民間人も、喜んで戦争に協力したのだ。特に初期の頃は。

 そして実際、戦争は女性の社会進出に貢献した。労働力が足りなくなり、「女が働くなんて」から「働く女性が国を支える」になった。国家における女の重要性が増す。

「社会から求めらる」こんなうれしいことはない。

 良妻賢母と戦争、これこそが敗戦までの日本において女の社会進出に貢献したキーワードだった。




 戦前にも「育児と職業の両立」に関する議論はあった。だが、それはあくまで特権階級に限った話だった。

 母性保護論争で注目したいのは「育児と職業の両立」という今日的なテーマが大正中期の時点でもう議論されていたってことだ。というか、職場の待遇差別から主婦の自立論まで、現代の私たちが直面しているような問題は、戦前に、ほとんどすべて先取りされていたのである。当時の女学生や職業婦人や主婦の不満や要望は、いまのそれとかわりがない。しかし、彼女らの悩みは、個別には論じられても、大きな社会問題にまでは発展しなかった。なぜだったのか。
 最大の理由は、やはり階級(階層)の問題である。なんのかんのいっても、女学生や暗業婦人の愚痴などは、「ブルジョア婦人のぜいたくな悩み」でしかなかった。性差別よりも、階級的な矛盾のほうが、当時ははるかに深刻だったのである。貧しい農村から身売りしてきて重労働にあえぐ女工や女中や芸娼妓、あるいは農村婦人の惨状にくらべたら、女学校がつまらんとか職場で雑用をさせられるとかは、「プチプルねえちゃんのワガママ」と思われてもしかたがない。

 女は学問をするべきか、仕事をするべきか、仕事をするとしたらいつまで続けるべきか。そんなことで悩めたのは、アッパークラスの女性だけである。

 この本には農村の女性の暮らしぶりも書かれているが、

「出産後も横になっていられるのは、たった一日」

「農村婦人の死亡率は、出産子育て期にあたる二五~四四歳で特に高かった」

「決定権は一切なく、口答えもできず、舅や姑や夫の監視下で、早朝から深夜まで働きづめ」

といった暮らしが書かれている。しかもそっちが多数派である。こんな時代に、お嬢様の「女でも学問をしたいし仕事をしたいわ」が社会的な議論になるはずはないのである。




 さて。

 戦争も終わり、日本は豊かになった。女の進学率は飛躍的に向上し、就職する女性もめずらしくなくなった。現実的にはまだ男女の間に格差はあるが、少なくともタテマエ上は男女雇用機会均等が成立した。

 では、女は生きやすくなったのか。

 著者はこんなふうに書く。

「新しい女」も「リブ」も、運動という以前に「個人の生き方」を示す語だと本人たちは自覚していた。「じゃあ、どういう風になりたいわけ?」とは、女性解放論者にいつも投げかけられる質問だが、彼女ら自身も「わからない。でも、いまのままはイヤ」が本音だったのではなかろうか。
 このころの女の人たちは、もう「OL」にも「主婦」にも飽き飽きしていた。花の0Lも、夢にまでみた主婦の座も、いざ手にしてみたら、思っていたほど楽しくなかった。いや、もともとべつに楽しくなかったのかもしれないが、それが「選ばれた少数派のステイタス」であるうちは我慢もできた。しかし、いまや、世の中じゅうがOLだらけ、主婦だらけ。気がつけば、それは「ただのOL」「ただの主婦」と呼ばれる平凡の代名に成り下がっていた。
 敗戦から三〇年。おりしも七三年の石油ショックを機に日本経済は低成長期に入る。働きづめだった祖母や母の仇は、もう十分すぎるほど討った。というか、このころの娘たちにとって、母親はすでに生まれたときから専業主婦であるのが当たり前の人だった。
 娘はいつも母の生き方に反発する。ママみたいな平凡で退屈な人生、あたしはいや!
 それが幸せへの道と信じて主婦になった母たちも、娘に刺激されて考えはじめた。夫や子どものためにご飯を作りつづけるあたしって、なんなのかしら……。
 彼女たちは新しい目標をみいだした。「脱OL」「脫専業主婦」である。

 そうなのだ。

 ぼくは女の人生を送ったことがないけど「この道を選べば幸せ」なんてないことはわかる。専業主婦になっても兼業主婦になっても共働きで子育てをしてもDINKs(共働きで子どもを持たない夫婦)になっても結婚しなくても、不満は残る。仮に「男は女にかしづく奴隷になる」となったとしても、それはそれで不満が出てくるだろう。退屈だ、とかいって。

 結局、性別に関係なく、すべての人が満足のいく働き方なんてないのだ。


 昔は「こうなりたい」というビジョンがもっと明確にあったんじゃないだろうか。学校に行きたい。主婦になりたい。ばりばり働きたい。達成できるかどうかはさておき、今よりは明確な〝夢〟があったんじゃないだろうか。

 で、それらの〝夢〟はがんばれば手の届くところまできた。進学だって専業主婦だって正社員だって社長だって、「夢みたいなこと言ってんじゃないよ」ではなくなった。

 でも、どの道を選んでも、楽で、安定していて、刺激があって、達成感を得られるわけじゃない。ああ、人生はつらい。


 なんで女の働き方がことさら問題になるかというと、選択肢があるからじゃないかな。
 フルタイム労働者、専業主婦、パート兼業主婦。どれを選んでも「選ばなかった道」がちらつくから、余計に納得いかないんじゃないだろうか。

 男のほうは選択肢がないに等しい。そりゃあ専業主夫とか親の金で一生遊んで暮らすとかの道もあるにはあるが、99%の男はそんな道は選択肢にすら入らない。「働くか、働かないか」で迷うことはないのだ。それはつらいことでもあるけど、楽でもある。煩悩は選択肢によって生まれるのだから。

 自由は必ずしも人間を幸せにはしてくれないんだなあ。


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【読書感想】紀田 順一郎『東京の下層社会』



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2022年2月4日金曜日

【読書感想文】朝井 リョウ『どうしても生きてる』

どうしても生きてる

朝井 リョウ

内容(e-honより)
死んでしまいたい、と思うとき、そこに明確な理由はない。心は答え合わせなどできない。(『健やかな論理』)。家庭、仕事、夢、過去、現在、未来。どこに向かって立てば、生きることに対して後ろめたくなくいられるのだろう。(『流転』)。あなたが見下してバカにしているものが、私の命を引き延ばしている。(『七分二十四秒めへ』)。社会は変わるべきだけど、今の生活は変えられない。だから考えることをやめました。(『風が吹いたとて』)。尊敬する上司のSM動画が流出した。本当の痛みの在り処が映されているような気がした。(『そんなの痛いに決まってる』)。性別、容姿、家庭環境。生まれたときに引かされる籤は、どんな枝にも結べない。(『籤』)。現代の声なき声を掬いとり、ほのかな光を灯す至高の傑作。


 深刻なトラブルや悩みに直面した人たちを描いた短篇集。

『健やかな論理』の主人公は自殺や事故死をした人のSNSアカウントを調べて最後の「まったく予兆を感じさせないツイート」を集めている。

『風が吹いたとて』では、大した罪の意識を感じることなく不正に手を染める人と、上からの命令で不正に手を染めることの罪悪感に押しつぶされそうになる人の姿が描かれる。

『そんなの痛いに決まってる』ではマニアックな性癖を満たすために不倫に走る男や、SM動画が流出してしまった仕事では頼られる上司の苦悩がつづられる。

『籤』の主人公の女性は、出生前診断で生まれてくる子どもの先天性疾患がわかったとたん夫から堕胎を勧められる。

 どれもみなヘビーだ。
 たやすく「考えすぎだよ」「忘れちゃいなよ」とは言えないような重たい悩み。誰にでもふりかかりうる、そして解決方法のないトラブル。


 若いうちは、己の才覚と努力で何でも解決できるとおもっていた。正しく、そして一生懸命生きていれば道は切り開けるのだと。

 しかし長く生きてきておもう。しょせんは運だと。自分が健康に生まれたのも、それなりの教育を受けられたのも、刑務所に入っていないのも、今のところ食うに困っていないのも、子どもが健やかに育っているのも、天災で命を落としていないのも、すべては運だと。才能や努力のおかげじゃない。たまたまだ。

 犯罪学では、ある地域にある期間にどれぐらいの犯罪が起きるかをほぼ正確に予想できるのだという。個人が犯罪に手を染めるかどうかは最終的には当人の意思に左右されるものだが、その〝意思〟を形成するものは時代や場所や環境で決まってしまうのだ。ミクロで見れば犯罪に手を染めるかどうかは当人の意思でも、マクロで見れば一定数が犯罪をすることは決まっている。
 いってみれば「犯罪者」「貧困」「事故死」が何本か入ったクジを引くようなものだ。努力によって多少はずれクジを引く確率は下げられないけど、はずれクジの総数は変わらない。誰かがそのクジを引かなくてはならない。


 特にそれを感じたのは、子どもが生まれるときだ。どんな子が生まれるか、生まれるまでわからない。天使のようにかわいい子もいれば、ものすごく手のかかる子もいる。重い障害や難病を抱えて生まれてきたら、これまでの生活も仕事も趣味も手放さないといけないかもしれない。
 はっきり言ってクジだ。しかも引いたのがどんなクジでも、取り換えはきかない。親が大金持ちだろうが、天才だろうが、一流アスリートだろうが、望んだとおりの子どもが生まれてくることはない。

 少し前に「親ガチャ」という言葉が流行語になったが、どんな親のもとに生まれてくるか、どんな子が生まれてくるかは、まさに運次第。
「親ガチャ」を好んで使う人もいるし「親ガチャ」なんて言葉に眉をひそめる人もいるが、何をいまさら。人間は何千年も前からガチャを引いてきたじゃないか。




 いちばん身に染みた短篇が『流転』だった。

 ストーリー担当と作画担当のコンビで漫画家デビューを目指していたふたり。見事連載を勝ち取ったものの、まもなく連載は終わり低迷期に入る。作画担当者はイラストの仕事に精を出すが、ストーリー担当だった主人公は恋人の妊娠を期に漫画を捨てサラリーマンになる。「自分に正直に生きる」をやめたはずの主人公の前に再び転機が訪れるが……。

 ぼくもいろいろ諦めて生きてきた人間だ。才気あふれる文章で食っていきたいとか、サラリーマンでない生き方をしたいとかおもったこともある。でも、今はしがないサラリーマン。自分の天井も見えてきた。ぼくがこの先、有名アーティストや皆があこがれるクリエイターや年収1000万円プレイヤーになることはほぼないだろう。

 でもまあ、住むところや食うものに困らず、愛する家族がいて、つつましくも平凡な暮らしも悪くないとおもって生きている。その気持ちは嘘じゃない。でも別の生き方が選べるとしたら? それでも今の生活を選ぶか? と訊かれると、即答はできない。

 どの生き方がいいかなんかわからない。「悪い生き方」はあるけど、「最良の生き方」はない。「睡眠時間や余暇を犠牲にして、そこそこのポジションの漫画家になる」と「サラリーマンになってそこそこ安泰の生活を送る」のどっちがいいかなんてわからない。たぶんどっちを選んでも後悔は残るのだろう。正解なんてないことはわかっている。でも、「やっぱりあっちが正解だったのかも」とも考えてしまう。


 すごいのは「夢破れて、いろんなものに妥協して生きている男」の悩みをこれでもかと克明に書いているのが、朝井リョウという作家だということだ。

 朝井リョウ氏は大学在学中に小説家デビューを果たし、以来作家として一線でやってきている。直木賞も受賞した。

 はたからみれば間違いなく「自分の信じる道を貫いて成功した人」だ。もちろん内面には様々な苦労があっただろうし、挫折や妥協もあっただろう。それでも、誰が見たって〝成し遂げた〟側の人間だろう。

 にもかかわらず〝成し遂げられなかった〟人の苦悩を残酷なほど克明に書いている。こういうことができるのが本物の作家というやつなのだろう。物語の中で別の人生を送れる人。

 そういや朝井リョウ『何者』も、就活で心へし折られたぼくとしてはすごく身につまされる話だったけど、朝井さんは在学中にデビューしているからたぶん就活もあんまりしてないんじゃないかな。それであれが書けるのか。すげえなあ。




 ばかばかしいネット動画に救われる『七分二十四秒めへ』も好きだった。

 若いときにこの短篇を読んでいたら、さっぱりわからなかっただろう。でも三十代後半になったらわかる。

 この物語には、バカなことばかりするYouTuber(作中にはYouTubeとは書かれてないけど)に救いを求める女性が出てくる。

 彼らは毎日、地元の豊橋で遊んでいた。ファミレスで全品頼んで結局食べきれなかったり、ジャンケンで負けたメンバーが吐くまで嫌いなものを食べてみたり、手作りのイカダで極寒の季節に川下りを試みて失敗したり、くじ引きで決めた怪しい服装で出歩いて誰が最後まで職質されないか競ってみたり、生きていくうえで必要のないことばかりに全力を注いでいた。その動画を観ている間、依里子は、何の感情も動かなかった。何の学びも得なかったし、ただただ時間を浪費し目を疲れさせているという感覚しかなかった。脳が溶け、音を立てて偏差値が落ちていく気がした。
 だけど、それでよかった。
 いつしか依里子は、毎日正午にアップされる動画を心待ちにするようになっていた。集中力が持続しない若い視聴者に向けて整えられた、たった七、八分の動画。何のためにもならない動画。だけど、それを観られる昼休憩の時間が、自分の命を二十四時間ずつ必死に延ばしてくれる、最後のてのひらのような気がした。

 ぼくはネット動画はあまり観ないけど、テレビでたまに『かわいい動物大集合。びっくり映像100連発!!』みたいな番組を観る。

 昔は、そんな番組ぜったいに観なかった。何も得られない、何の学びもない。作り手の知性などみじんも感じられない。時間の無駄だとおもっていた。

 でも最近は考え方が変わった。たしかに時間の無駄だ。けど、それでいいじゃないか。むしろ有用な情報などテレビに求めていない。学びたければ本を読む。ニュースが見たければネット上にもっとスピーディーで余計な演出が施されていない情報が見つかる。テレビは毒にも薬にもならない暇つぶしでいい。

 何も得られないもの、何も成長させてくれないもの、一円の得にもならないもの。そうしたものが必要な時間も、人生にはある。おっさんおばさんになると余計に。




 ぼくが朝井リョウの小説を好きなのは、文章から底意地の悪さが見え隠れするところだ。視点が意地悪なのだ。

 世志乃がちらりと腕時計を気にする。もう少しで、第一幕が終わる時間だ。そろそろ、と声を掛けかけたとき、
「年齢重ねた男の演出家って、どうしてこう、太宰治っぽい感じのもの創りたがるんですかね」
 世志乃はそう言った。
 太宰治。
 その言葉が、みのりの鼓膜を突き破った。
「人間は、男はこんなにも醜くてどうしようもないんだって曝け出してる風でいて、どこかで、だから仕方ないよね許してね、ここまで曝け出したっていう勇気のほうを評価してねって開き直ってる感じが嫌なんですよ、私」

 ぼくも性格が悪い人間なので、こういう嫌らしい表現は大好きだ。言わなくてもいいことを指摘してしまうところ。たまんないね。


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