2022年1月27日木曜日

【読書感想文】服部 正也『ルワンダ中央銀行総裁日記』 ~ ルワンダを見れば日本衰退の理由がわかる

ルワンダ中央銀行総裁日記

(増補版)

服部 正也

内容(e-honより)
一九六五年、経済的に繁栄する日本からアフリカ中央の一小国ルワンダの中央銀行総裁として着任した著者を待つものは、財政と国際収支の恒常的赤字であった―。本書は物理的条件の不利に屈せず、様々の驚きや発見の連続のなかで、あくまで民情に即した経済改革を遂行した日本人総裁の記録である。今回、九四年のルワンダ動乱をめぐる一文を増補し、著者の業績をその後のアフリカ経済の推移のなかに位置づける。

 ルワンダってどこ?とおもうかもしれませんね。
 教えましょう。ルワンダは、ブルンジの北です。ごめんわからんわ。

 ということで、日本銀行勤務や海外留学を経て、1965年から6年間にわたってルワンダ中央銀行の総裁を務めた日本人の回想録。ルワンダ中央銀行というのは単なる銀行じゃなくて、国の金融を管理する機関。日本銀行みたいなもんね。

 ルワンダはベルギーの植民地だったのが、1962年に独立。服部さんが赴任したのはその3年後だから、まだまだできたて国家。いやあ、さぞたいへんだったんでしょう。

 かたや1965年の日本はというと高度経済成長期のまっただなか。東京オリンピックの翌年だから、いけいけどんどんの頃だね。

 だもんで、著者の文章にも、良く言えば自信がみなぎっている、悪く言えば「飛躍的な成長を遂げた日本から教えにいってやる」という上から目線を感じる。

 これは決して著者が傲慢とかいうわけではなく、当時の日本人の総意に近いとおもう。1990年代までの日本人がアジア・アフリカについて書いた文章を読むと、終始「日本人が忘れた素朴な気持ちを持っているアジア・アフリカの連中」「おれたちがアジアやアフリカを導いてやる」って気持ちがぷんぷん漂ってるんだよね。それが善意であるのが余計にたちが悪い。

 太平洋戦争時の日本人の意識とあんまり変わってなかったんじゃないかな。「欧米列強に虐げられているアジア諸国を解放してやる」って意識と。

 幸か不幸か(主に不幸だけど)この三十年で日本が没落したことで、今の日本人からは「アジア・アフリカを導いてやる」意識が薄れてきた。だから著者のうっすら上から目線が気になる。




 まあ偉そうではあるんだけど、実際偉い人なんだよ。この人。

 まだ国の形も定まっていないルワンダで経済成長への道を形作ったんだから。

 理事会の議事録を読んで驚いたのは、前一九六四年五月から十月まで十回の会合で、金融政策に関する討議は一回もなく、昇給、建築といったことが決定されているほかは、理事会と総裁はどちらが上位かという議論だけは毎回くりかえされ、ついに大蔵大臣の裁定を願っていることである。大臣の裁定は理事会は政策決定機関、総裁は執行機関であるという法律の趣旨をくりかえし、つまらない非生産的な議論はいい加減にして仕事を始めよとの強い叱責が付されている。
 さらに記録によれば、初代総裁は法律で定められた監事の検査を、門扉を閉して拒否し、これまた大蔵大臣から強く叱られているのである。

 まるで学級会。この本読むと、いかにルワンダにシステムができていなかったかがわかる。システムはなく、外国人にいいように食い物にされている国。

 明治時代に日本に来ていた外国人もこんな気持ちだったんだろうな。

 日本もまるで自分たちだけの力で経済成長したかのような顔をしているけど、外国からの指導がなかったらまだ未開国の可能性あるよな。明治時代の本読んだら、大学の先生なんて外国人ばっかりだもんな。


 服部さんが大統領に語った話。

 それでは現実の問題として途上国の経済成長はなぜ遅いのか。私は日本の経済成長と、東南アジアの国の実情をみて、これはその国の社会経済の仕組みに問題があると思っています。国のなかで生産された富が一部の人の手に渡ってゆき、それがさらに生産を増すために使われるなら、富が富を生み、国の経済はますます発展するのです。しかし生産された富を手に入れた一部の人がこれを浪費すれば、富は富を生まず経済は停滞するのです。もし国民のあいだに、身分や血縁関係などによらず能力のあるものが出世できるような自由競争が行なわれていれば、富を下手に使ったり浪費するような人たちは早晩競争に負けて、能力のある人たちがこれにとって代り、国の富を手に入れてそれを生産に使うことによって再び富を生むという過程が始まるわけです。しかし国の制度でこの競争が制限されていると、富を浪費する人たちが階級化され、富の浪費が恒久化するのです。
 東南アジアのカーストや貧富の差や農民負債はいずれも、国民間の競争を制限抑圧しているもので、この地域の経済発展を阻害している最大の要因になっていると私は思っています。次にこの地域で経済発展を阻害しているのは、国の富、ことに近代的生産のために使われている富のかなりの部分が、植民地時代の名残りと、民間外資の神話とのために、外国人の手にあり、そこから生まれる新しい富の大部分が再び富を作るために国内に残らず、所有者である外国人の本国に輸出されることです。日本の場合はどんなに貧乏な家の子でも、勉強して試験に合格すれば一流の大学に入れ、しかも一流の大学ほど学費は安いのです。現に私の学友のうち三分の二は苦学していたのです。一流の大学を出れば官界事業界に自由に入れ、最高の地位も獲得できるという自由競争が行なわれています。また明治以来日本は、民族資本の育成に心がけてきたので、利潤の大部分が国内に蓄積され、新たな富を作っているのです。

 この言葉を、2022年の日本政府に言って聞かせてやりたい。

 なぜ日本が30年間経済成長せずに停滞して、他国に大きく後れをとったのか。答えがまさにこれ。ここで服部さんが語っているのと正反対のことが日本では起きていた。大企業・正社員という〝身分〟の人間が不当に優遇され、自由な競争が制限された。そして国の富は国内の繁栄のためではなく投資家のために使われた。高所得者と資産家に対する課税は下がり、消費税は上がる一方。50年前の人が知っていた「経済成長の道」の逆を行き、見事に没落した。

 私は経済再建計画の構想を詳しく説明し、協力を願った。彼は熱心に聞いていたが私の話を聞き終ると、破顔一笑して、「今まで経済はむつかしいものと思っていたが、あなたの話を聞いていると、私のような小学校教師の教育しかないものでもよくわかる。本当にそんな簡単なものですか。またルワンダみたいな途上国であなたのいうとおりうまくゆきますか」と聞いた。私は、「ルワンダは途上国だからこそ経済は簡単なのです。今までうまくゆかなかったのは、簡単な経済に複雑怪奇な制度を強制していたからです。通貨改革の意味は、ルワンダを苦しめている複雑怪奇な制度を潰して、働けば栄えるという簡単な制度を新たにつくることなのです。私は世界で最も有能な日本銀行に二十年奉職し、アジアの途上国の経済にも接した職業的経験に照らして、今後ルワンダ経済が隆々と発展することを確信します」と答えた。

 この、自信みなぎる言葉を聞くのが恥ずかしい。50年前は「世界で最も有能な日本銀行」と心からおもえたんだな。今、そんなこと信じる人ひとりもいないだろう。


 ダロン・アセモグル & ジェイムズ・A・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか』によると、国が経済成長するかどうかを分けるカギは「努力やイノベーションが報われる国か、それとも成果が権力者に収奪される国か」だという。

 日本が成長したのは日本人が勤勉だとかいう輩がいるが、そんなわけない。国民性なんて持って生まれたもんじゃない。がんばって報われるならがんばるし、そうでないならサボる。誰だって同じだ。

 だから「努力すれば(多少の不運があっても)幸福を手に入られれるようにする」ことが政治の正しい役割なのだが、残念ながら今の日本はそういう制度になっていない。貧しい家庭に生まれれば高い教育を受けられないし、高い教育を受けられなければ大企業の正社員になれない。大企業の正社員になれなければ、悪いことか大博打でもしないかぎりまず金持ちにはなれない。服部さんが就任する前のルワンダと同じ状況だ。




 読めば「服部さんはなんて立派な人だ」とおもうけど、あまりにも立派すぎてちょっと辟易してしまう。しょせんは自伝だからな、自分のことは悪く言わんわな、という気になる。

 だってほんとにこの本を読むかぎりスーパースターなんだもん。経済に明るく、努力を惜しまず、権力者におもねることなく、先入観にとらわれず、強き者(欧米の企業)に立ち向かい、弱き者(ルワンダ国民)に寄り添い、必要であれば守備範囲外も助け、けれど必要以上には口を出さずに人を育て、国を正しい道へと導く。完全無欠すぎる。

 ほんとにこの人同じ人間なのか、とおもってしまう。

 ほぼ唯一といっていい、人間らしいエピソード。

ところが空港で一悶着あった。日本で旅券を発給してもらうとき、行先国にブルンディも申請しておいたのだが、ルワンダとブルンディは仲が悪いから旅券の行先に入れないほうがいいでしょうと、外務省が親切にブルンディを落してくれたのである。
 ブルンディに出発するとき私もそれが心配だから、飛行機会社に前もって入国管理に話してくれと頼んでいたのだが、連絡不充分で話が通じなかったらしい。入国管理で私の旅券を見て、フランス語で「あなたの旅券の行先国としてブルンディが書かれていませんが」という。外国で官憲と問題が起ったときは言葉ができないほうが得だと私は思っているので、私が知らん顔をしていると、今度は同じ質問を英語でした。相変らず知らん顔をしていると、私の顔とパスポートを見比べて「日本の外交官でしたか。大変失礼しました」と、スタンプを押して一礼して、私の一般旅券を返してくれた。英語もフランス語も知らない人を外交官でもないだろう、アフリカでも沈黙は金なりかと苦笑した。

 ふはは。

 あまりにも完全無比な人だから、ちょっと悪いエピソードにかえって安心する。




 服部さんが在任した6年間の後、ルワンダの経済は大きく成長した。周辺国に大きく水をあけたので「アフリカの優等生」とも呼ばれたらしい(この言い方も上から目線だよなあ)。

 だが1980年には内紛が起こり、1994年には民族紛争により数十万人が殺される大量虐殺が起きる。その後も戦争などを経て、21世紀に入って「アフリカの奇跡」と呼ばれるほど大きな経済成長を遂げたものの今では強権的な独裁者が長らく大統領の座にとどまっている。

 こうした「その後の悲劇」を知ってしまうと、なんだかむなしくなってしまう。服部さんやルワンダ国民が奮闘して経済成長しても、紛争が起きたらそんなのもふっとんでしまうんだもんな。もしも経済成長していなかったら歴史が変わって紛争が起こっていなかったのかも……なんてことも考えてしまう。まあそんなことは誰にもわからないし、そっちルートはもっと不幸な未来が待っていたのかもしれないけどさ。


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2022年1月25日火曜日

【読書感想文】湊かなえ『花の鎖』/技巧が先走りすぎたミステリ

花の鎖

 湊かなえ

内容(e-honより)
両親を亡くし仕事も失った矢先に祖母がガンで入院した梨花。職場結婚したが子供ができず悩む美雪。水彩画の講師をしつつ和菓子屋でバイトする紗月。花の記憶が3人の女性を繋いだ時、見えてくる衝撃の事実。そして彼女たちの人生に影を落とす謎の男「K」の正体とは。驚きのラストが胸を打つ、感動の傑作ミステリ。


 うーん……。

 たしかに湊かなえさんは小説家としてのテクニックはすごいんだけど、技巧に走りすぎてたなあ。うまいけど、おもしろいかというと……。

 三人の女性の日々が交代で描かれる。一見無関係に見える三人。で、それぞれに「謎の男」「親しくなる男性」「父母の謎めいた過去」「鼻持ちならないいとこ」などが出てくるので、かなりややこしい。ここについていくだけでたいへん。

 で、肝心の仕掛けなんだけど、この手口もううんざりなんだよね。
 ミステリにおいて複数の語り手が出てくるときって、十中八九あのパターンじゃん。ああどうせ今回もあれなんだろうなーっておもいながら読んでいたら、案の定そのパターン。はいはい、出た出た、書店員のやっすい「あなたはもう一度はじめから読み返したくなる!」POPをつけられるどんでん返しパターンね。それもう食傷してるんですけど。


『花の鎖』なんかもう「読者をだましてやろう」が最優先になってるような気がする。「おもしろい小説にしよう」よりも。

「実は××でしたー!」ってやるより、ふつうに順を追って説明していった方がおもしろかったんじゃないかな。せっかくのおもしろいストーリーなんだから、安易な「驚きのラスト」トリックに逃げずにふつうに書いたほうがわかりやすくてよかったのに。
 策に溺れたって感じがするなあ。




 あと「こんなやついねーよ」とおもったのも減点ポイント。

 いや、いいんだよ。フィクションだからどんなやつが出てきたって。
 超天才が出てきたって、超ラッキーなやつが出てきたって、超能力者が出てきたって、宇宙人が出てきたっていい。小説ってそういうもんだから。

 ぼくが許せないのは、「自分にとって不利になることをべらべらとしゃべるやつ」だ。
 未来が舞台であろうと、宇宙が舞台であろうと、他人の気持ちのわからないサイコパスだろうと、そんなやつはいちゃいけない。自分にとって不利なことは隠さなきゃいけない。話すのであれば、それを上回るだけのメリットがなければならない。

『花の鎖』の登場人物は、まあしゃべる。ほぼ初対面の相手に「過去に恥をかいた思い出」とか「身内の秘密」とかをしゃべる。
 質問をされて、「答えたくありません。小学校の遠足で同じ質問に答えて、大恥をかいたことがあるので」なんて答える。いやそれもっとつっこんで聞いてほしい人の答え方やないかーい! ほんとに答えたくない人がそんなこと言うかい。

 フィクションにはどんなキャラクターがいたっていいけど、「己の不利になることべらべらしゃべる人物」だけは許せない。

 話を進めるためだけに登場人物に論理性ゼロの行動をとらせるのはやめてほしいなあ。


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2022年1月24日月曜日

【読書感想文】『こちらズッコケ探偵事務所』『ズッコケ財宝調査隊』『ズッコケ山賊修業中』

  中年にとってはなつかしいズッコケ三人組シリーズを今さら読み返した感想を書くシリーズ第三弾。

 今回は8・9・10作目の感想。

(1~3作目の感想はこちら、4・5・7作目の感想はこちら


『こちらズッコケ探偵事務所』(1983年)

 盲腸炎で入院したハカセのお見舞いにモーちゃんが持っていったケーキが、謎の女性によってぶたのぬいぐるみとすりかえられる。一見何の変哲もないぬいぐるみだが、その直後からモーちゃんの周囲で不審なことが起こりはじめる。モーちゃんの家に泥棒が入るも何も盗まれず、さらにはモーちゃんが誘拐されてぶたのぬいぐるみを要求され……。

 ハチベエ主導で物語が進むことが多いが、この話の主役はモーちゃんとハカセ。ハカセの入院からはじまり、モーちゃんの誘拐、そしてモーちゃんの記憶を頼りに犯人のアジトを捜索。さらにハカセとモーちゃんの女装しての捜査、そしてハカセがぬいぐるみに隠したものが決め手となっての犯人逮捕……。二人の活躍が光る。

 ハチベエも犯人のアジトに潜入するが、何も発見できぬまま捕まっただけだし、そもそも家宅侵入だし。これが刑事だったら懲戒免職もの。違法な捜査によって得られた証拠は裁判では無効になるんだよ。

 子どもの頃はあまり好きな話ではなかったが、今読むとなかなかよくできている。「妹のいる男の子」「ヤマモト先生」といったわずかなヒントから犯人のアジトをつきとめるところや、逮捕の決め手となるハカセの機転など。

 ただ、犯人の行動が短絡的。ぬいぐるみのありかを知るために誘拐なんてしたら余計に事を荒立てるだけだし、決定的な証拠をつきつけられたわけでもないのに逃走を図って自滅するし。

 ただ、子ども向け推理小説としては十分すぎるほどよく練られたストーリー。




『ズッコケ財宝調査隊』(1984年)

 小学生の頃、ズッコケ三人組シリーズを20冊ほど持っていたが、その中のワースト1がこの作品だった。
 とにかく難解。苦労して最後まで読み通してもよくわからない。数年して「もうわかるかもしれない」と読み返しても、やっぱり理解できない。ダントツでつまらなかったのがこの作品だ。

 大人になって読み返したら印象変わるかなーとおもったけど、うーん、やっぱりイマイチ。さすがに理解はできるようになったけど、物語としてのおもしろみは他作品に比べて圧倒的に落ちる。

 なんせ『財宝調査隊』なのに、なかなか財宝調査をしない。八割ほど読み進めてようやく「どうやら財宝があるらしい」ことがわかる。それまではひたすら三十年以上前のお話が続く。回想ばかりなのだ。これはつまらない。

 歴史大好きなハカセのような子ならいいかもしれないが、ごくふつうの少年は回想話ばかり読まされたら放り投げてしまうだろう。やはり「つまらない」とおもった小学生当時のぼくの判断は正しかったのだ。

 また、肝心の財宝の中身も、読者にはかんたんに想像がついてしまう。
 なにしろプロローグで「戦時中、北京原人の骨が輸送中になくなったこと」と「終戦間際に日本軍が何か重大な荷物を運ぼうとしていたが、その飛行機が不時着したこと」が語られるのだ。プロローグを読めば誰でも「ははあ、なくなった荷物とは北京原人の骨だな」とわかってしまう。
(ただ、ぼくが小学生のときにはわからなかった。というよりプロローグに書いてあることが難しすぎて読み飛ばしていた)

 難解なプロローグ、だらだら続く年寄りの回想話、そしてかんたんに予想のつく財宝の正体。これでおもしろいはずがない。

 はたして、大人になってから読み返してみても、やっぱりズッコケシリーズワースト作品という印象は変わらなかった(もっとも大人向け作品としては読みごたえがある。でもやはりズッコケシリーズは児童文学なので、児童文学としての評価)。


 ところでこの作品ではモーちゃんの親戚の過去が多く語られるのだが、驚くのはモーちゃんのお母さんの境遇。幼い頃にお兄さんを亡くし、故郷の村はダムの底に沈み、十代で父親を亡くし、その数年後に母親も亡くす。
 苦労したんだなあ。そりゃあ酒に逃げたくもなるわ(その話は後の作品『ズッコケ結婚相談所』で語られる)。



『ズッコケ山賊修業中』(1984年)

 ズッコケシリーズ最大の問題作といっていいかもしれない『山賊修行中』。

 設定がすごい。三人組と、近所の大学生・堀口さんが山道をドライブしていると、山賊のような男たちに拉致される。彼らは土ぐも族と名乗り、地中に穴を掘って暮らしている集団だった。教祖・土ぐも様は周囲の村々からも慕われ、多くの貢ぎ物が届く。三人組は脱走を企てるが、脱走に失敗したものは首を切られると知らされ……。

 土ぐも族、なんとも異様なカルト集団である。メンバーひとりひとりはふつうの人間だが、掟のためには平気で人を殺すし、彼らの最終目的は日本転覆による政権奪取。オウム真理教にも匹敵するほどのテロリスト集団だ。
(ちなみに土蜘蛛とは、古来ヤマト王権(≒天皇)に従わなかった豪族たちをさす名称だという。『日本書紀』などにも記述があるそうだ)

 三人組が脱走して駐在所にかけこむが、味方だとおもっていた警察官が土ぐも一族の内通者だとわかったときの絶望感といったら……。小学生のときは深く理解できていなかったのでそこまで怖くなかったけど、今読むとめちゃくちゃ怖い。

 また、土ぐも様の「一身に怨みを集める」なる設定も妙なリアリティがある。人々の恨みをぶつける対象となることで慕われる。人々が土ぐも様にぶつける「おうらみもうす」がなんとも不気味だ。

 土ぐも一族の設定が微に入り細に入り書き込まれているので、これは那須正幹の完全創作ではなく、なにかしら元ネタがあるんじゃないだろうか? 過去にこれに近い事件があったとか?


 最後は三人組が無事に谷を脱出して自宅に帰りつくのだが、それでめでたしめでたしではなく、堀口さんだけは谷に残るのも後味が悪くていい。堀口さんは自ら谷に残る選択をしたわけだけど、全員無事に帰還していないことで「まだ終わっていない」感が残る。おお、おそろしい。

 八歳の娘に寝る前この本を読んだら「こわい」と震え上がっていたので「怖い夢を見るかもしれないな」と脅かしていたんだけど、その晩まんまとぼくが何者かに追いかけられる悪夢を見て夜中に目が覚めた。大人でも怖いぜ。


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2022年1月21日金曜日

【読書感想文】今野 敏『ST 警視庁科学特捜班』

ST 警視庁科学特捜班

今野 敏

内容(e-honより)
多様化する現代犯罪に対応するため新設された警視庁科学特捜班、略称ST。繰り返される猟奇事件、捜査陣は典型的な淫楽殺人と断定したが、STの青山は一人これに異を唱える。プロファイリングで浮かび上がった犯人像の矛盾、追い詰められた犯罪者の取った行動とは。痛快無比エンタテインメントの真骨頂。


(一部ネタバレあり)

 警視庁の科学特捜班(ST)の活躍を描いたハードボイルド小説。

 班長の警部を除けば、「一匹狼を気取る法医学者」「秩序恐怖症のプロファイリングの天才」「武道の達人でもある、人並外れた嗅覚の持ち主」「達観した僧侶」「紅一点でグラマー美女の超人的な聴覚の持ち主」と、漫画じみたキャラクターが並ぶ。小説というよりは、テレビドラマのキャラクターっぽい(実際ドラマ化されたようだ)。

 ただ、ギャグ漫画のようにコミカルなキャラクターばかり出てくる割には、起こる事件は妙に猟奇的で生々しい。殺された女性の身体の一部が持ち去られていたり。そのへんはちょっとちぐはぐな印象を受けた。


「そうじゃありません。殺人の動機の話をしているのです」
「動機などは刑事が考えることだ」
「え……?」
「キャップ。しっかりしてくれ。俺たちは何なんだ? 科捜研の職員だぞ。俺は、殺人そのものにしか興味はない。そして、この捜査本部の連中だって、俺たちに動機だの、殺人の背景だのの推理など期待していないはずだ。どういう犯人がどういう手段で殺人を行ったか。その正確な情報だけを期待しているはずだ。違うか?」
「そりゃそうですけど......。でも、STは、ただの科捜研の職員じゃなくて……。どう言うか、これまでの科捜研の範囲を超えた活動を期待されているわけで……」
「基本を忘れちゃ何にもならないよ」
「基本?」
「そう。俺たちがやるべきことは科学捜査だ。探偵の真似事じゃない」
 赤城の言うことはもっともだった。百合根は、急に気恥ずかしくなった。
「そうでしたね。どうやら僕は、功をあせるあまり本来の役割を忘れかけていたようです」


 はじめは「コミカルなドラマとシリアル・キラーとの対決とのどっちを書きたいんだろう」と戸惑ったが、「どっちも書きたいんだな」と気づいてからはおもしろく読めた。

 リアリティやヒューマニズムを捨て、ひたすらエンタテインメントに徹する姿勢は嫌いじゃない。

 警察小説ってテーマが重厚になって、やたらと登場人物(の口を借りた作者)が説教を垂れたがるけど、この作品にはぜんぜんそんなところがない。STのメンバーはほんとに犯人を見つけることにしか興味がなくて、犯行動機にも、世直しにも、市民の安全にも、まったく興味がない。これはすがすがしい。


 ……とはいえ、三人もの女性を殺した犯人の内面がまったく描かれていなくて、もやもやしたものが残った。金銭目的でもなく、恨みもない人を三人も殺すなんて……。

 マフィア同士に抗争を起こさせるのが目的だったらしいけど、それだったらもうちょっとうまいやりかたがあったとおもうけどな……。


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2022年1月20日木曜日

【読書感想文】キム・チョヨプ『わたしたちが光の速さで進めないなら』 ~見事なほら話~

わたしたちが光の速さで進めないなら

キム・チョヨプ (著)
カン・バンファ (翻訳)  ユン・ジヨン (訳)

内容(e-honより)
打ち棄てられたはずの宇宙ステーションで、その老人はなぜ家族の星への船を待ち続けているのか…(「わたしたちが光の速さで進めないなら」)。初出産を控え戸惑うジミンは、記憶を保管する図書館で、疎遠のまま亡くなった母の想いを確かめようとするが…(「館内紛失」)。行方不明になって数十年後、宇宙から帰ってきた祖母が語る、絵を描き続ける異星人とのかけがえのない日々…(「スペクトラム」)。今もっとも韓国の女性たちの共感を集める、新世代作家のデビュー作にしてベストセラー。生きるとは?愛するとは?優しく、どこか懐かしい、心の片隅に残り続けるSF短篇7作。


 韓国の作家によるSF短篇集。

 出生前の遺伝子コントロールによって欠陥のない存在として生まれた〝新人類〟と、欠陥を持つ人類との間の差別意識を描いた『なぜ巡礼者たちは帰らない』

 ワープ、コールドスリープ技術、ワームホールといった宇宙探求技術の進化のはざまに取り残された人の悲劇を描く『わたしたちが光の速さで進めないなら』

 様々な感情を得ることができる商品が登場する『感情の物性』

 生前の人間の意識だけを保管することができる〝図書館〟で、亡き母親の意識がなくなり、それを探す娘が再び母親の記憶と向かい合う『館内紛失』

 宇宙探求のために人体改造を施した人間の意識の変化を描く『わたしのスペースヒーローについて』


 どれも、ザ・SFという感じでおもしろかった。遺伝子コントロール、ワープ技術、意識のデータベース化、人体改造など、SFの素材としてはわりとおなじみの発想だ。だが、それを主軸に据えるのではなく、「遺伝子コントロールによって、コントロールされなかった人はどう扱われるようになるのか」「ワープ技術が古くなったとき、何が起こるのか」「意識のデータベース化がおこなわれた後、データが紛失したら」と〝その一歩先〟を想像しているのがおもしろい。




 中でも気に入ったのが『スペクトラム』と『共生仮説』。

『スペクトラム』は、はじめて人類以外の知的生命体と遭遇した人物の話。いわゆるファースト・コンタクトものだが、この宇宙人の生態がおもしろい。

 ヒジンには皆目理解できないやり方で、彼らは以前の個体が残した記録を読んで習得し、彼らの感情や考えを受け入れる。それまでのルイたちがヒジンの世話をし、大切に扱ったため、新しいルイもヒジンの世話をすることに決める。その過程で何か重大な決断があるわけではない。彼らは当然のように「ルイ」になる。
 彼らは別々の個体だ。ヒジンは一体のルイが死に、次のルイがその後釜に納まるとき、連続しない二つの自我のずれを目撃していた。魂は引き継がれない。それだけは確かだ。彼らは別のルイとしてスタートする。
 だが彼らはやはり、同じルイになると決めた。そこにはいかなる超自然的な力も働いていない。ルイたちは単に、そうすることに決める。記録されたルイとしての自意識と、ルイとしてのあらゆるものを受け入れる。経験、感情、価値、ヒジンとの関係までも。

「ルイ」が死ぬと、別の個体が「ルイ」を引き継ぐ。まったく別人が死んだ個体になりすますわけだ。なりすますというか、完全になりきるというか。人格の乗っ取りだ。

 これは地球人の考えとはまったく異なるようで、案外わからなくもない考え方だ。

 たとえば落語や歌舞伎の「襲名」。たとえば人間国宝になった桂米朝さんは便宜上「三代目」と呼ばれることもあるが、基本的に桂米朝は桂米朝である。「初代や二代目と同じ名前を名乗っている別人」ではなく、「桂米朝」という人格はひとりなのである。「桂米朝」が死んだりまた生まれたりして、百年以上生きているのだ(今は死んでいるが)。

 死ねばすべてが消えるが、襲名とは死なずに永遠の命を手に入れるための方法なのだ。

 そこまではいかなくても、「○○家を継ぐために養子をとる」なんてのもめずらしくない話だ。あれも人格の乗っ取りに近い。

 またアメリカ人なんか、息子に父親と同じ名前をつけることがある。有名な例だとジョージ・ブッシュ。日本人の感覚だとなんでだよとおもうけど、あれも「いつまでもジョージ・ブッシュとして生きていたい」という意識の表れなんだろう。人格というのは個体としての生命とは少し離れたものなのだ。


 なので『スペクトラム』に出てくる異星人の行動は、そこまでけったいなものではないかもしれない。ただ、その〝人格の乗っ取り〟をおこなう手段がユニーク。

 「ルイ」は絵を描き、後に残す。後からきた別の個体はその絵を観ることで新しい「ルイ」になるのだ。絵を媒介として自我をひきつぐ。

 うーん、まったく共感はできないけど理解はできる。「異星人ならこれぐらいのことはやるかも」とおもわせてくれる絶妙なラインだ。SFとは結局「ありえないけどあってもおかしくないかも」をいかに書くかだ。この作品は見事にそれをやっている。




『共生仮説』もおもしろかった。

 様々な動物の言語を翻訳できる装置を使って人間の赤ちゃんの言葉を翻訳したところ、赤ちゃんたちが複雑な会話をしていることがわかった。どうやら赤ちゃんの脳内に別の個体がいて、そいつらこそが赤ちゃんを「人間らしく」させているらしい。では、人間以外のものによって備わった「人間らしさ」ってほんとに「人間らしさ」なのか……?

 脳内に別の存在がいるというのは一見荒唐無稽におもえるが、我々の体内にはミトコンドリアや大腸菌のように別の個体が存在している。だったら知覚できないような知的生命体がいてもふしぎではない。
 また、幼児期健忘(人間は3歳ぐらいまでのことを覚えていないこと)の納得のいく説明として「脳内の生命体」を持ち出しているので、妙な説得力がある。

 もちろんほら話だが、これまた「ありえないけどあってもおかしくないかも」とおもわせてくれる。


 見事なほら話、上質なSF短篇集だった。


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