池上 彰
朝鮮半島の近代史を説明した本。2014年刊行なのでちょっと古いが、近代以降の韓国・北朝鮮の歴史がよくわかる。
ただ歴史を学ぶだけでなく「なぜ北朝鮮はあんな国になったのか」「なぜ韓国は日本に対していつまでも賠償を求めてくるのか」といった思想背景もよくわかる。
北朝鮮に関してはだいたい事前の印象通りだったが、この本を読んで見方が変わったのは韓国のほうだった。
1945年の日本敗戦(ポツダム宣言受諾)により、それまで日本に併合されていた朝鮮半島は、日本から離脱。ただしすぐに独立国になったわけではなく、北部はソ連、南部はアメリカの占領下におかれ、3年後の1948年に朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国がそれぞれ独立している。
このあたりの経緯がなんとも韓国、北朝鮮の立場をややこしくしている。
もし韓国が日本と戦争をしていたなら話はかんたんだ。「我々は日本と戦い、勝った。そして独立を手にした」と誇ることができる。
だが朝鮮は国として日本と戦ってはいないから戦勝国ではない。太平洋戦争中は日本の一部だったのだから、見方によっては敗戦国側ともいえる。「戦って勝ち取った独立」ではなく「棚ぼた的に転がりこんできた解放」だったのだ。
被占領下で独立のために戦っていた人たちもいたが、その人たちは建国には関わっていない。むしろ、体制(日本)側についていた人たちがアメリカの後ろ盾を得て建国したのが韓国という国だ。だから「我々は日本から独立を勝ち取ったのだ」とは素直に言いづらい。
その点、北朝鮮はもうちょっとわかりやすい。
北朝鮮建国の祖である金日成は、抗日ゲリラ戦を指導していたことになっている(実際はソ連に逃れていたのでそんなに戦っていないそうなのだが)。だから「戦って独立を勝ち取った」という神話がまかり通る。
ここに韓国のコンプレックスがある。
このへんの「日本の植民地支配に協力した人たちが建国した」という後ろめたさのせいで、余計に反日運動が盛んになるのだという。戦って勝ち取った独立という“史実”がないからこそ、日本は我々の敵だという“神話”に頼る必要があるのだろう。
この風潮は今でもずっと続いていて、韓国大統領は任期満了が近づいて人気・影響力が低迷しだすと、反日的な政策を打ち出して人気回復を図ることがくりかえされていると池上彰氏は指摘している。
日本が韓国のことを考えている以上に韓国って日本のことを意識しているのかもしれないなあ。建国の経緯が経緯だけに。
ずっと「北朝鮮は独裁国家、韓国は民主国家」というイメージがあったのだけれど、韓国が名実ともに民主国家になったのはおもっていたよりずっと最近なのだと知った。
1980年代までは、大統領が自分の権力を強めるために憲法を改正したり、大統領の暗殺や軍事クーデターによって権力奪取がおこなわれたり、とても民主国家とはいえない状態が続いていた。
この民主化宣言が1987年。ちょうど1988年のソウルオリンピックを境に、今のような民主国家になったのだそうだ。こういうのを見ると、今では「悪いやつらが金儲けする手段」になり下がってしまったオリンピック開催にも、ちゃんと意義があったんだなとおもえる。そういや日本も1964年東京五輪を機に街がきれいになったと言われてるしなあ。
外国に対してはあまり悪い先入観を持たないように気を付けているのだが、それでも韓国といえば「昔のことをいつまでもいつまでもほじくりかえしてくる国」という印象が強い。
1965年に締結された「日韓財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」(日韓請求権協定)について。
両国の間で「完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」という条約が結ばれた。日本から韓国に莫大な資金協力もおこなわれた(それがなければ韓国は今のような経済発展を遂げられたかどうか)。
にもかかわらず、その後もずっと賠償を主張しつづけている。
それも、個人が好き勝手に言ってるだけではない。政府や、裁判所までが、過去に結んだ条約を無視して「賠償をしろ」と主張している。
この感覚はとうてい理解できない。
感情的には納得のできないものもあるだろうが、「これで最終的に解決したものとする」という条約を一度締結したなら、以降はそれに縛られるというのがたいていの日本人の感覚だろう。
ところが韓国社会では、どうもこのへんの感覚がちがうようだ。
日本に対してだけではない。国内の問題でも同じようなことをしている。
元大統領の過去の罪が明らかになる。なんとかして罰を受けさせてやりたい。だが法律ではもう時効なので裁けない。
だったら過去にさかのぼって法律を変えて、昔の罪で裁けるようにしよう。
これは一般に「法令不遡及の原則」に反するといって禁止されている行為である。どんなに今の感覚でひどいこととおもっても、それを裁く法律がなかった時代の罪は裁けない。日本国憲法第三十九条でも「何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。」と定められている。
だが韓国ではその原則よりも「許せないから罰したい!」という感覚のほうが優先されるようだ(これが韓国の法体制が「国民情緒法」と揶揄されるゆえんである)。
うーん、文化の違いといえばそれまでなんだけどさ。
まあ日本でも、こういう感覚の人は多い。有名人の何十年も前の発言を引っ張り出してきて「あいつはかつてあんなことを言ってたぞ!」と糾弾する人間が。今の基準で昔の言動を裁くのは卑怯だとおもうんだけど(今の基準に照らしたら歴史上の偉人なんかみんな何かしらの人権侵害に加担してるわけだし)。
とはいえ「許せないから罰したい!」タイプの人は、市井の人々やテレビ関係者には大勢いても、さすがに日本政府や裁判所はそこまで直情的じゃない。感情は感情として、でも法律や約束のほうが大事だよ、という姿勢を崩さない。
個人的には理解しがたいけど、まあ文化に正解はないから、そういう隣人だとおもって付き合っていくしかないよね。
その他の読書感想文は
こちら