マツコ・デラックス 『世迷いごと』
タレント本は買わないことにしてるんですけど、なぜか気になるマツコ・デラックス。
本業がコラムニストなのでこれはタレント本じゃないよね、ということで購入。
女性誌に連載されていた、いろんな「女」のことをずばずばと書いていくというコラム。
ぼくはドラマも映画も見ないので、AV女優以外の女優さんのことはほとんどわかりません。
というより、テレビに出ているきれいな女の人にあんまり興味がないんですね。
だからこの本で取り上げられている女優・モデル・女子アナのことはほとんど知らず、コラムを読んでもぴんときませんでした。
でもスポーツ選手(福原愛や谷亮子)のところはおもしろかったですね。
こういう、テレビでは言えないような(もしかしたら言ってるのかもしれないけど)ことをばんばん書いています。
たしかにオリンピック選手って、アンタッチャブルな存在ですよね。
内村航平だって羽生結弦だってエロいことしてるはずなのに、まるで「スポーツとみんなの笑顔のことしか考えていない人」みたいな描かれ方をテレビではしますよね。
別にスキャンダルをすっぱ抜けとはいいませんが、必要以上にクリーンな存在として取り扱われていることに不自然さを感じます。
自分のためにスポーツをしているだけでも、「子どもたちのお手本になるように」みたいな生き方を要求されるオリンピック選手もしんどいだろうなあ。
あとおもしろかったのは『AKB48&西野カナ』の章。
アイドル論、というよりアイドルの売り出しかた論。
ぼくはモーニング娘。もAKB48も等しく好きではないんですが、それでも、どっちのほうがおもしろいかっていったら、マツコ・デラックスと同じようにモーニング娘。なんですよね。
それは、(当時としてはめずらしかった)小学生ぐらいの女の子をメンバーとして加入させたり、ダサいのに妙に耳に残る歌をうたったり、ばかばかしい踊りと衣装で騒いでいたりと、"変なこと"をいっぱいしていたので、ファンじゃない人にとっても気になる存在ではあったんですね。
そしてAKB48ってファンしか相手にしていない感じがしますよね。
歌や踊りはアイドル王道ど真ん中だし、CDを買った人しか投票できないとか、メンバーみんなかわいいし、ファンじゃない人が引っかかるような"遊び"がないんですよね。
「金を落とさないやつは入ってくるな」って感じで。
西野カナの歌ってちゃんと聞いたことないんですが、検索して何曲か見てみたらたしかに何のひねりもない歌詞ですね。中島みゆき『泥は降りしきる』を聴いて勉強しろ、とも思います。
でもこのレベルなのは西野カナだけでもないような……とは思いますけど。
歌詞に対する考え方はアーティストによると思うので、べつに"ただメロディを邪魔しなければいい"ぐらいの考えの人もいるでしょう。
だから西野カナの詞にべつに問題があるわけではないんですけどね。
ただ、それをありがたがるのはどうかと思う、ってのはわかる気もしますね。
AKB48といい西野カナといい、よく言えば「わかりやすい」、悪く言えば「薄っぺらい」ものが文化として大勢を占めるようになってきたってことなんでしょうかね。
もちろん昔から万人受けするものがメジャーになってきたわけですけど、より「消費しやすい」ものに移ろってきている。
立ち止まって「これはどういう意味なんだろう」「どんな背景があってこのメッセージは生まれたんだろう」と考える必要がないというか。
ひとつにはネット文化の影響でしょうか。
匿名で発信された140字のツイートから、共有された背景や隠された意図を読み取ってくれる人は少数派ですからね。
消費しやすいことがかならずしも悪いわけではないんですけどね。胸やけがするからうどんとかで済ませたいこともありますし。
でもコラムニストや評論家のような職業の人からすると、商売あがったりですね。
だからでしょうか、この章はマツコ・デラックスも特に熱く語っています。
いろんな人のことを悪しざまに書いたりもしてるんですけど、基本的に表現する人に対しては愛を感じる文章です。
だからこそ、ただ消費されるだけに甘んじている"表現しようとしない人"に対する視線はものすごく厳しいコラムです。
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