『流されるにもホドがある
キミコ流行漂流記』
北大路 公子
流行にまったく興味のないエッセイストの北大路公子さんが、あえて苦手な流行りものに挑む、というエッセイ。
「流行りものについてほとんど情報がない状態であれこれ考察する」というパートと、「いざ流行りものを見にいく/食べてみる」というパートに分かれてるんだけど、前者はじつに味わいがある。
言葉選びのセンスと内容の無さが光っている。
ところがルポルタージュ部分はいまいちキレが悪い。いいかげんなことを書いちゃいけない、情報を伝えないといけないという思いが先行しているからか、「どうでもいいことをテキトーに書くおもしろさ」がすっかり鳴りをひそめている。
業務報告的な文章になってしまっていて、せっかくのおもしろさが死んでるなあと残念だった。
「実体験してみて、三年後に記憶だけでそのときの様子を書く」とかだったらもっと肩の力が抜けておもしろいエッセイになっただろうなあ。
ぼくもこうしてインターネットの隅っこでブログをつづっているけど、最近あった出来事ってどうも書きにくい。
情報がありすぎて、どうでもいいことまで書いちゃうんだよね。札幌に行ったときにこんなことがありました、って伝えたいのに、関空から飛行機で千歳空港へ行ってそこから鉄道で……みたいに主題と関係のないことをだらだらと書いちゃう。「札幌で」から話をスタートさせりゃあいいんだけど、情報を捨てるのって難しいんだよね。せっかくだから書きたい。
でも十年前のことを記憶だけで書こうと思ったら、たいしておもしろくない情報はとっくに脳内から消えている。必然的に印象に残った出来事だけを書くことになり、ぽんぽんとテンポよく書けて気持ちがいい。
ビジネス文書は新鮮なうちに素材をそのまま形にしたほうがいいんだろうけど、くだらないエッセイを書くときは脳内で寝かせておいて粗熱をとったほうがいいものが書ける、というのがぼくの経験上の法則。
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