2025年2月5日水曜日

【読書感想文】マツコ・デラックス 池田 清彦『マツ☆キヨ ~「ヘンな人」で生きる技術~』 / ダブスタ上等!

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マツ☆キヨ

「ヘンな人」で生きる技術

マツコ・デラックス  池田 清彦

内容(e-honより)
茶の間で引っ張りだこの人気タレント・マツコと、学会の主流になぜかなれない無欲な生物学者キヨヒコ。互いをマイノリティ(少数派)と認め合うふたりが急接近!東日本大震災後に現れた差別や、誰をも思考停止にさせる過剰な情報化社会の居心地悪さなどを徹底的に話し合った。世の中の「常識」「ふつう」になじめないあなたに、「ヘンな」ふたりがヒントを授ける生き方指南。

 十年ほど前、マツコ・デラックスという人がすっかりテレビになじんできた頃にふと「なんとなく受け入れてるけどこの変な人は何者なんだろう」とおもって買った本。ずっと本棚に置いてて、やっと手に取った。積読はいつものことだけど、十年は長い。




 2011年頃の対談ということで、当然ながら東日本大震災の話が多い。

 それはそれで時代を映す話ではあるけど、正直、読んでいておもしろみはない。

 あれだけの人が一度に亡くなった映像を見たら、奇をてらったことを言おうという気にならないんだよね。マツコさんも池田さんもあたりまえの話をしている。人間いつ死ぬかわからないとか、人間がどうやっても自然の力にはかなわないとか。

 ぼくはあの頃、ブログでコントのようなものを書いていたんだけど、やっぱり地震後しばらくは何も書けなかった。別に不謹慎だとか気にする必要はなかったんだけど、それでも何を考えても震災と結びつけて考えてしまう。ふざけようとか、わざと変なことを言おうとか、そういう気にならないんだよね。


マツコ:アタシも地震の直後の何日かは下痢がすごかったのよ。なんだか体調がとても悪くなっちゃって。よく、被災地の人がPTSD(心的外傷後ストレス障害)になるという話を聞くわよね。それに比べたらアタシのなんてずっと軽い症状なんだろうけど......。たぶん、程度の差はあっても、地震後にその影響で心身を病んじゃった人は東京にだっていっぱいいたと思う。
池田 :被災地じゃなくてもね。日本中にね。
マツコ:それでね、アタシの場合、体調が悪いのが少し改善されたのは、石原慎太郎がきっかけだったのよ。石原慎太郎が、地震の直後に「天罰」発言(「津波を利用して我欲を洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」と発言)をしたでしょう。それ以前にも、ゲイを侮辱(たとえば二〇一〇年十二月に「同性愛者はどこかやっぱり足りない感じがする」「テレビなんかでも同性愛者の連中が出てきて平気でやる。日本は野放図になり過ぎている」と発言)した石原慎太郎のことを、アタシは、大っ嫌いだからさ。「このクソ親父め。『天罰だ』とかまたバカなことを言いやがって」とか言いながらずっと怒っていたら、それでいつの間にか元気になったのよ。

 怒りで元気になるというのはわかる気がする。

 怒るのってストレスなんだけど、同時にエネルギー源でもあるんだよね。誰かに向かって怒ったり攻撃したりするのって楽しいしさ。みんな悪口言うの大好きじゃない。いつだって「自分が悪者にならずに悪口を言える相手」を探してる。

 芸能人の不倫のニュースとかくそどうでもいいとおもっていたけど、ああいうのに怒ることで元気が湧いている人もいるのかもしれない。

 何の価値もないニュースだとおもっていたけど、もしかしたら気づかないところで役に立っているのかもね。




池田 :養老さんが今年(二〇一一年)、『希望とは自分が変わること』(「養老孟司の大言論I」新潮社)というタイトルの本を出していたけれど、つまり、あえてそう言わなければならないくらい、いまの人は「自分」を変えようとしないんだよ。いまの人って、自分がいて、相手がいて、その間で情報のやり取りをすることだけがコミュニケーションだと思っているんだよな。
 コミュニケーションというのはそういうものではないんだ。やり取りをすることによって自分や相手が変わることが本来のコミュニケーションなんだよ。そうではなかったら、自分が変わることもないし、変わらなければ、人間的に成長することもない。他人とのやりとりのなかで自分の考え方を変えてみたり、「ああ、そういうふうな考えもあるのか」と認識を新たにしたりとか、お互いにいろいろと調整をしながらうまく回っていくのが人間社会でしょう。そういうのをすっ飛ばして、自分と意見の違うやつは全部「敵」という感じになってしまう人が、いま、ほんとうに多い。
マツコ:いますよね。ある人が、「あいつはもともとこういう論調の人間だったのに、急にひよってこっちについた」と言って、知らない人のことを怒っていたんですよ。ひよったも何も、あんたはその人とずっといっしょにいたわけでもなんでもないんだろう?と思って、そんなことで怒っているのが不思議だった。さまざまな人から話を聞いたり、いろいろなものを見聞きしていくなかで、脳みその中が変わっていくんでしょ、とアタシは思うから、なぜその人が怒っているのかよくわからなかったんだけど、たぶんそれは、「あいつ」と言っている人についてのステレオタイプな情報を、その怒っていた人はずっと信じていて、その情報に自分が裏切られたと思っているということよね。

 ぼくの嫌いな言葉に「ダブルスタンダード」がある。正確に言うと、他人を糾弾する目的で「ダブルスタンダード」という言葉を使う人が嫌いだ。

「そんなこと言ってるけどおまえ過去にはこう言ってるじゃないか! ダブスタだ!」とドヤる人を見ると、ガキだなあとおもう。

 子どもってそうじゃない。ひとつの基準があらゆる場で通用するとおもってる。

「しゃべったらいけません」「えー、じゃあ火事になってもしゃべったらいけないのー?」

「暴力はいけません」「えーじゃあ警察官が犯人を逮捕するときも暴力を用いちゃだめなのー?」

みたいな感じ。五年生ぐらいのへりくつ。


 そんなわけないじゃない。ある状況における見解が他のどんな状況にもあてはまるはずないじゃない。

「外国人差別はいけない」と「日本人を優遇しないといけない状況はある」って十分両立する話だとおもうんだけど、ガキにはそれがわからない。一貫性を保つのがいいことだと信じている。

 また、同じ状況に対しても考え方が変わることもある。同じ汚職事件のニュースを見ても、小学生と、就活中の大学生と、中堅会社員と、定年退職後では、見方は変わるだろう。あたりまえだ。立場が変われば考えも変わる。良くも悪くも。まったく変わらないのは何も考えていない人だけだ。

 それに「職場で話す内容」と「気の置けない友人と酒場で話す内容」と「SNSで話す内容」が違うのもあたりまえだ。SNSで熱心に政治について語っている人も、たいていは人前で政治の話を声高らかには話さない(中には話す人もいるけど)。


 だからダブスタなんてあたりまえ。ダブルスタンダードどころかトリプルもクアドラプルもスタンダードを持っているのがまともな人間だ。

「ダブスタだ!」と吠えている人を見たら、「ああ小学生がなんかわめいてるわ」とおもうようにしている。




 マツコ・デラックスさんという人をテレビで観ていておもうのは、自分のことをよくわかっている人だなということ。

 とても客観的に、自分のポジション、自分が求められていることを把握しているように見える。

 たとえば、物事をずばずばと言うように見えるけど、基本的に語っているのは好き嫌いであって善悪ではない。また決して自分を良く見せようとはしない。どれだけ売れても偉くなろうとはしない。

池田 :そうやってマスコミはマツコさんをスターにしちゃったわけだけど、それに対する自己認識はどうなの?
マツコ:たぶん、ヒジュラ(男性でも女性でもない「第三の性」を指すヒンディー語 インドではアウトカーストの存在として、聖者として扱われたり、逆に極端に蔑まれたりしている)とかさ、そういうのが稀にあるじゃない? 結局、何か正体がよくわからないもの、どこか気持ちが悪いもの、既存の価値観では収まりのつかないものを、神格化これは自分でそう思っているわけじゃないから誤解しないでほしいんだけど―――して、すべてをその「神格化」したものになすりつけてしまってさ。で、最後は神輿から突き落とすんだろうと思っているんだけど。いまのテレビというのは、さっき池田先生も言ったように、ちょっと変わったことをなかなか言えない感じになってきているでしょ。その状況のなかで積もり重なったいろんな思いをいまアタシはぶつけられている感じはするのよね。そうして、みんながすっきりしたら、きっと「もうあんたは要りません」と言われるんだろうし。そういうのが刹那的だということも自分で肌で感じてわかっていて、その上でそれを引き受けてやろうと思ったの。「どうぞ、どうぞ、石でも何でも投げてください」というかまえで。
池田 :やけくそだね(笑)。
マツコそうなのよ。
池田 :大勢に乗って動いているということに関して、心のどこかでは「何かヘンだな」と思っている人もいっぱいいるんだよね。だけど、そのときに表立って「それはヘンだ」とは言えない。そこで、なんだかふつうじゃなさそうなヘンな人を祭り上げるようなことをやって、一種の欲求不満のはけ口にしているというか、それで自分のもやもやしたものを洗い流してせいせいしたい感じがあるのかな。きっとマツコさんはその象徴的な存在としていろいろなところに引っ張り出されているんだろうね。

 そうなんだよね。世間の人ってだいたいマツコ・デラックスという人を「なんだかよくわからない人」として受け止めているんだよね。ぼくもそうだった。気づいたらテレビに出ていたけど、どんな経歴の人で、どういう考えでああいう恰好をしているのかとかこの本を読むまでほとんど知らなかった。

 多くの視聴者はマツコさんの発言を「なんだかよくわからない人が変なことを言ってる」と受け止めている。だから少々乱暴な意見でも「まあ変な人が言ってることだから」と受け流している。

 そういうポジションを当人もよくわかってるんだよね。だから、どんな飯がうまいとか、あのお菓子が好きとかどうでもいいことは語っても、あの政治はおかしいとか、この法律は変えるべきとか、そういう“正しい”ことは言わない。「変な人が変なことを言ってる」範囲を決して踏み越えようとはしない。

 好き勝手言ってるようで、誰よりも自分を殺して求められる姿を演じている。つくづく賢い人だよね。


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