SF作家の地球旅行記
柞刈 湯葉
SF作家による旅行エッセイ。
出版社が企画した旅行記ではなく(昔はよくあったけど、今もそういうのあるのかな。出版社にそこまでの経済的余裕がないかもしれない)、著者がプライベートで行った旅行をnoteに投稿したものなので、そんなに肩肘張った旅でないのがいい。
琵琶湖とか千葉とか筑波山とか、旅先としてはあまりメジャーでないところが逆に新鮮。国外でもカナダとかウラジオストクとか。途上国や田舎のような雑多な感じもなく、ヨーロッパの有名都市ほどの歴史があるわけでもない。
ぼくはあまり旅をしないが、旅に対する姿勢は著者と近いものがある。あまり人が行かない場所に行きたいとか、何でもなさそうなものにおもしろさを見出したいとか、そういう気持ちがある。はっきりと「ここに行ってこれを見るんだ!」という感じではなく、「なんかおもしろいものないかなー」という気持ちで移動を楽しみたいのだ。
知っているものを確認しにいく旅ではなく、知らないものを探しにいく旅。もちろんハズレを引いてしまうこともあるが、ハズレたこともまた楽しい。でも世の中には絶対にハズレを引きたくない! という人が少なくないんだよね。ハズレこそが旅の醍醐味なのに。
そんな風に旅に対する姿勢が近い(とぼくは感じている)ので、『SF作家の地球旅行記』はおもしろかった。ぼくが憧れる旅だ。
そしてなんといっても魅力は軽妙洒脱な文章。レポートと知識と空想とほら話が軽やかに錯綜する。
心情はあまり書かれず思考や発想が多いので、ドライな文章で旅の雰囲気とぴったり合う。奥田民生『イージ㋴ー★ライダー』を聴きたくなった。
カナダ旅行記『チップがないならポテトを食べればいいじゃない』より。
旅行記というか滞在記というか。旅というとついつい、あれも見なくちゃこれも見なくちゃあれも食べなくちゃという気になるが、この人の旅は日常の延長。
また、SF作家(であり生物学の研究者)でもあるだけあって、科学に対する知識も豊富だ。
千葉旅行編『電車に乗ってチバニアンを見に行った』より。
こういう知識がそこかしこに散りばめられているのもおもしろい。
このエッセイを読むと、ほんとに教養って人生を豊かにしてくれるスパイスだなとおもう。
NHKの『ブラタモリ』なんかもそうだけど、なんの変哲もない道や坂や山でも、知識のある人が見ればそこからいろんな情報を引きだせる。そしておもしろがれる。
柞刈湯葉氏も教養が深いので、有名観光地でない場所からもいろんな発見や空想をして楽しんでいる。こういう人は何をしていても楽しいだろう。
旅行エッセイもおもしろいが、なんといっても真骨頂は巻末の、月面を訪れた『静かの海では静かにしてくれ』と日本領土となっている南樺太を訪れた『南側と呼ぶには北すぎる』である。
もちろんこれはフィクションである。まだ月面旅行は気軽にはできないし、南樺太(サハリン)はかつては日本領であったが今はロシアが実効支配している(日本は南樺太を放棄したがロシアのものとは正式に決定していない)。どちらも気軽に旅をできる場所ではない。
しかし人間の想像力は距離も時間も国境も次元も軽く飛び越えてしまうので、月面にだって「もしも終戦がもう少し早くて日本領のままだった南樺太」にだって行けちゃうのだ。
月旅行記より。
なるほど。重力がある生活があたりまえになっているから考えたことなかったけど、服って重力があること前提なのか。
無重力だったらスカートは履けないし、帽子だって脱げちゃうし、ネクタイは邪魔で仕方ないし(重力あっても邪魔だけど)、眼鏡もとれちゃうよね。宇宙時代の眼鏡はゴーグルみたいな形状になるのかな。
言われてみればその通りなんだけど、月旅行を想像してもなかなか「無重力下での着こなし」までは想像が及ばない。さすがはSF作家だ。
臭いって生きる上ではかなり重要な問題だけど、目に見えないものだから、想像しにくい。「宇宙船の中はどんなにおいか」なんて考えたことないもんなあ。
言われてみれば、宇宙ステーション内は臭くなりそうだ。いくら宇宙時代になったって人間は汗をかくしおならやゲップもする。
たぶん剣道部の部室みたいな臭いになるんだろうな。柔道とか剣道やってた人は宇宙ステーションに入って「なつかしい!」という感情になるのかもしれない。
とまあタイトルに冠した「SF作家の」は伊達じゃない、SF作家の空想力や好奇心が存分に楽しめる旅行記(+小説)でした。
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