世話を焼かない四人の女
麻宮ゆり子
著者のデビュー作『敬語で旅する四人の男』が、デビュー作とはおもえないほどいい小説だったので、似たタイトルの『世話を焼かない四人の女』も読んでみた。
ふむ、こちらも悪くない。めちゃくちゃおもしろかった! というほどでもないけど、ゆっくり身体に染みわたってゆく味噌汁のような小説。
『敬語で旅する四人の男』の登場人物のひとりであった斎木くんが登場するのもうれしい。四篇ともに登場して、『世話を焼かない四人の女』というタイトルでありながら真の主人公は斎木くんかもしれない。
自閉症スペクトラム障害で他人の気持ちをまるで理解できない斎木くんが、今回も物語を動かす上でいいアクセントになっている。男性以上に「他人に気を遣うこと」が求められる女性だからこそ、まるで気を遣わない斎木くんに良くも悪くも刺激をもらうのだろう。
まあこれは小説だからであって、実際に斎木くんがいたら嫌われ避けられるだけだろうけど(斎木くんが超美形という設定はずるいとおもう)。
離婚歴があり、会社では身だしなみをとりつくろうことをやめた女の『ありのままの女』、愛想がないと言われるセールスドライバーの『愛想笑いをしない女』、感覚が鋭敏すぎるがゆえの悩みを抱える『異能の女』、主婦をやっていたのに夫の失踪を機に社長をやることになった『普通の女』の四篇を収録。
主人公となる女たちは、それぞれ「女だから部下から反発される」「女だからなめられる」「女だから男以上に愛嬌を求められる」という生きづらさを抱えている(『異能の女』の主人公の生きづらさはあんまり性別と関係ないけど。敏感すぎる人はむしろ男のほうが生きづらいとおもう)。
きっと多かれ少なかれ、現代日本で働く女性たちが抱える悩みなのだろう。
近代以降の女性の社会進出の歴史を探った斎藤 美奈子『モダンガール論』を読んだときにおもった。女性が生きづらいのって、選択肢が多すぎるからなんじゃないかって。
どういうことかというと、この百年で女性の社会進出は飛躍的に進んだ。もちろんまだまだ差別は残っているけど、それでも百年前に比べれば天と地の差だ。
「女に教育なんて必要ない!」の時代から「良妻賢母」の時代となり(今では想像しにくいが良妻賢母は女性に教育・就職の機会を増やすための思想だった)、戦争で男手が不足したことにより女性の社会進出を経て、戦後は少しずつ働く女性が増えていった。今では、結婚・出産後も働く女性も、資格職について高給を稼ぐ女性も、社長となる女性もめずらしくない。様々な生き方が選べるようになった。つまり選択肢が増えた。
その結果、女性は生きやすくなったのだろうか。「女は高校か短大を出たら数年腰かけOLをして寿退社して専業主婦」の時代よりも生きるのが楽になったのだろうか。
決してそんなことはないだろう。「生きやすさ」を比べる指標はないけれど、平均をとればひょっとしたら生きづらくなっているかもしれない。
だとすると、それは「他の選択肢がある」ことに由来するんじゃないだろうか。あるいは「他の選択肢があるとおもわれていること」か。
「専業主婦/兼業主婦」の道もあるとおもわれるから、仕事でもなめられる、給与も上がらない、昇進しにくい。また「他の生き方もあったのでは」とおもうからこそ隣の花が赤く見え、悩み苦しむ。
なんだかんだいっても男の道は狭い。主夫になる人はごくわずか。「仕事をせずに生きていく」「短時間労働で生きていく」という選択肢はないに等しい。それはそれでしんどい面もあるけれど、仕事に慣れてさえしまえば意外と楽だ。ぼくは無職だった頃よりサラリーマンになってからのほうがずっと楽に生きている。
「いろんな生き方をしていいんですよ」「自分らしく生きましょう」という言葉は美しいけど、決して人を楽にしてくれるわけじゃないよね。ほとんどの人にとっては「あんたにとっての幸せはこれ! こう生きなさい!」と誰かに決めてもらったほうがずっと楽に生きられるんだろうね。
だからといって今さら時計の針を巻き戻すことはできないんだけど。
その他の読書感想文はこちら
0 件のコメント:
コメントを投稿