暴走するポピュリズム
日本と世界の政治危機
有馬 晋作
ポピュリズム。そのまま訳せば大衆主義などになるのだろうが、日本では批判的なニュアンスを込めて大衆迎合主義や衆愚政治のように使われることが多い。
この言葉を知ったときからぼくがずっとおもっているのは、「ポピュリズムって悪いことなの?」ということ。
政治って大衆のためにやるものでしょ? 大衆に迎合するのが悪いことなの? そりゃあ大衆が誤ることは多々あるし、大衆に従った結果マイノリティが著しい不利益を被ることもある。でもそんなのはポピュリズムに限った話ではない。一部のエリートによる寡頭政治にも同じ問題はついてまわる。
同じように誤るのなら、一部の権力者が誤るよりも大衆が誤った道に進むほうがまだマシなんじゃないかとおもうんだけど。
ということで「ポピュリズムの何が悪いのかわからない」というぼくの疑問に答えてくれるんじゃないかとおもって『暴走するポピュリズム』を手に取ってみたのだが、結論から言うと答えは見当たらなかった。
著者がポピュリズムを嫌いなことだけはよくわかったけど。
たとえば、ポピュリズムが独裁を招くことがある、って書いてあるけど、独裁につながるのはポピュリズムだけじゃないよね。毛沢東とかスターリンとかプーチンはべつにポピュリストじゃないよね。
だったら、独裁になるかどうかはポピュリズムとは別の問題だとおもうんだよ。
それに、独裁による政治の暴走が起こるのなら、それはポピュリズムによるものではなく、そもそも憲法や司法によってそれを防止するシステムが機能してないからなんじゃないの?
「維新や希望の党はれいわ新撰組はポピュリズム政党」って決めつけて議論してるんだけど、そもそもポピュリズムの定義がはっきりしない。権力者への攻撃、一部の敵をつくって立ち向かう自分たちを演出なんてどの党もやってることだし。自民党だって下野してたときは庶民の味方のふりをして政権非難してたけどあれもポピュリズム?
逆に「こういうのはポピュリズムじゃない」という定義をしてほしいんだけど、そのへんの説明は一切ない。
結局、著者が気に入らない新しい政党はポピュリズム政党、昔からある党はポピュリズムじゃない、って分け方に感じられちゃうんだよね。
それに、たしかに橋下徹なんて政界進出当初はポピュリストといってもよかったけど(自分でも認めてたし)、それから十年以上たった維新の会をポピュリズム政党と片付けてしまうのはちょっと乱暴な気がする。
ぼくは大阪市民なので、維新が大阪にどれだけ根付いているかは肌身に感じて知っている(ぼくは支持しないけど)。市長も府知事も市議会も府議会も維新の議員だらけで、いいわるいは別にして、誰がどう見たって大阪では大衆側ではなく権力者側だ。十年以上市政や府政のトップの座にいて、二回も住民投票で反対された都構想をいまだ掲げている党が大衆迎合主義? その認識は現実とずれすぎてない?
日本においてポピュリズムという言葉がさかんに使われるようになったのは、小泉純一郎の「小泉劇場」の頃からだと著者は指摘する。
この考えは今も生きているよね。
ぼくが政治に興味を持ちはじめたのはちょうど小泉純一郎氏が自民党総裁選に出馬した頃だったので(そのときの総裁選では小渕恵三氏が勝った。「凡人・軍人・変人」のときね)、それ以前の政治がどんな雰囲気だったかは知らない。
でも、とにかく今は政治を「敵を負かすもの」ととらえている人が多いように感じる。本来は「利害の調整を図る」ものであって、その根底には「意見の異なる者も認めて尊重する」ことが必要だとおもうが、そんなふうに考えている人は今では少数派なんじゃなかろうか。
わが党の中にはいろんな考え方があり、他の党にも我々と異なる立場や思想がある。それらすべてを尊重して調整を図るのが私たちの仕事です。……なんて考え方をしている国会議員が今どれだけいるだろうか? 「敵をつくって分断をあおるのがポピュリズムだ」なんて定義をしたら、すべての政党がポピュリズム政党になっちゃうんじゃない?
日本でもポピュリズム政党が政権奪取に近づいたことがあった。
2017年に希望の党が結党されたときだ。自公政権の支持率が低下し、都議会で躍進していた都民ファーストの会が国政進出するのために希望の党が結成された。野党第一党であった民進党が希望の党への合流を決め、一躍最大野党となり、直後の衆院選の結果次第では結党わずか数ヶ月で政権奪取もあるのではないか……というムードが漂っていた。
当時の希望の党には国政の実績はまるでなく、ビジョンだってほとんどなかった(あったのかもしれないが国民のほとんどは理解していなかった)。それでも希望の党はまちがいなく衆院選での大勝利に近づいていた。あれはまちがいなくポピュリズムといっていいだろう。
が、民進党との合流を発表した直後の記者会見で小池代表が「(安全保障への考えや憲法観が異なる議員は)排除いたします」と述べたことで雰囲気は一転。民進党議員からも国民からも反発を招き、合流を拒否した議員たちによる立憲民主党結成があり、衆院選でも希望の党は政権奪取どころか立憲民主党の議席をも下回ることとなった。
ほんとに「排除」の一言で政局がころっと変わってしまった。あの一言がなければその後の日本政治はまったく別のものになっていたんじゃないだろうか。
あの発言は「たった一言で歴史を動かした」ランキングの中でも相当上位にくるんじゃないだろうか。
今は自公政権が過半数の議席をとっているが、その支持基盤は盤石なものではない。国民の多くは不満を抱えている。その不満の受け皿となる党がないだけで。
だから、今後も大衆のハートをうまくつかむ政党が現れたら、あっという間に政権交代を成し遂げてしまうかもしれない。少なくとも、既存政党が少しずつ議席を増やしていって……という展開よりは、新党が一気にまくるシナリオのほうがずっとありそうではある。
読めば読むほど、ポピュリズムが悪いというよりは、ポピュリズムによって引き起こされるかもしれない出来事(三権分立の破壊とか少数派の弾圧とか民主主義の形骸化とか)が悪いだけで、ポピュリズム自体はべつに悪くないんじゃないかとおもう。
そして立憲主義さえ担保できていれば、ポピュリズム政党がどれだけ議席を獲得しようと独裁につながることはない。
逆にいえば、憲法、司法、報道に手を入れようとする為政者は徹底的に排除しなくてはならないということだ。そこを自分たちの都合のよいように変えようとしてるのって、今のところはポピュリズム政党じゃなくて歴史あるあの党だとおもうけど。
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