「夢がない」について。
じっさいに耳にしたことはあまりない。多く使われるのはマンガだろうか。ぼくが知ったのは『ドラえもん』だったとおもう。
「宇宙人なんているわけないだろ!」
「夢がないなあ」
みたいな使われ方をする(この後、のび太がドラえもんに頼んで宇宙人をさがす道具を出してもらうことになる)。
あれはなんで「夢がない」なんだろう。
正確に言うと、なぜ〝宇宙人やツチノコや雪男や超能力の存在を信じている側〟は「夢がある」で、〝存在を信じていない側〟が「夢がない」になるのか。
たとえば、誰も成し遂げたことがないこと(宇宙人を発見するとか)を実現させたいと願うのは「夢がある」と言っていいだろう。
のび太が、宇宙人発見者第一号になりたいと願い、そのために宇宙飛行士を目指すならば「夢がある」と言っていい。
でも「いるんじゃないかな。何の根拠もないけど、いたほうがおもしろいし。といって見つけるための努力なんかしないけど」というのは「夢がある」とは言わない。それは「夢見がち」だ。
逆に出木杉くんが「宇宙人はぜったいにいない。一生懸命勉強して宇宙物理学や生物学について研究し、宇宙人がいないことを証明する理論をぼくが見つけるんだ!」と心に誓ったなら、それは立派な夢だ。「夢がある」だ。
だいたい、宇宙人がいることを証明するより、いないことを証明するほうがずっとむずかしい。フェルマーの最終定理や四色問題など、数学の超難問とされるのはたいてい「ないことを証明せよ」だ。
だから「夢がない」というのは、何も未発見のものの存在を無条件に信じるとかじゃなくて、仮説に向かって自分がどう取り組むか、で決まるんじゃないでしょうか。藤子・F・不二雄先生。
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